【6-5】
◇◇◇
「おーおー繁盛しているようで結構だ!!」
「わ……」
館長の中にいた「モノ」は出現するまで気付けなかったユウだが、展示室の中にいた「それら」は、入室してすぐに捉えることが出来た。
この町の歴史を語るプレート。昔の人々の生活の写真。戦争で焼け落ちたコンクリートの欠片の展示物。高い天井。大理石の壁、床。……全部、白く濁っているのだ。火災が起きたその最中、煙が充満した部屋であるかのように。ただの浮遊した塵灰に見えなくもないもの。これが全部、恐らく除霊の対象であるのだろうということを察する。
「これはまた……大変ねぇ」
「一か所に纏めるか吸うかしてから消すほうが無難だな。さて行くぞ。ゴーストバスt」
「それ以上喋らないで」
灯が制止する。
早乙女は肩をすくめて、また、ポケットから何枚か札を取り出した。一か所に纏めてから、と言っていたか。
透けた茶色の髪を揺らし、ユウは展示室内をもう一度見渡した。
「……ねぇ、これらって本当に悪いモノなのかしら」
「何が言いたい?」
責めたつもりは無いのだろうが、いつも通りに語気の強い明の言葉に口をつぐんだ。何が言いたい、と言われると。
単純に言って、先程館長についていた「影」より、よほど悪意が無いと思ったのだ。ふよふよ浮いている埃のようなそれは、ただそこに存在しているだけであって、意思が無いように思えるし……何より、体が苦しくならない。
「言わんとすることは、分からなくもねぇがよ」
黙るユウに。そう語り掛けてくる明。
「これらは、まだ『前段階』だからかな。多分、そう感じるのかもしれないね」
朝香も、優しい声でそう言う。前段階ということは、何かきっかけがあれば悪いものに変化してしまうということなのだろうか。
まだ悪い存在でないのなら……と。
何故かユウはそう考えていた。
何故そう、この白モヤたちに肩入れするのか、自分でも分からなかった。まさしく埃のようにここに散り積もるものたち。彼らは今何を想い、ここに留まっているのだろう。
「確かに、最初は何かしらの『想い』があって具現化したものたちだろうがな」
一連の会話を聞いていたのか、早乙女はそう述べた。背中はこちらに向けたまま。首に掛けていた小さなシルバーリングのネックレスを掲げ、札を持つ手の、指先でなぞる。
ヒュオッ。そこに空気の通る音。
「今は全く、何を考えているか見当も付かん。分かるだろう? こいつらは形を持たない。この世界に具現化してまで抱いていたかった『想い』を、既に忘れているからだよ」
「忘れている」。その言葉に胸がざわついた。
心の内を、知らずの内に抉られている、気がする。
ふと、目に入ったのは、展示されていた古時計に張り付くように存在していた白モヤだった。かちり、こちりとした音はもう奏でないのに。その振り子が今も動いているのだと、時を刻んでいるのだと言いたげに、振り子の前で体を揺らしていた。
「それ」は目もない、顔もない。けれどこちらをずっと見つめているようで。
(これが、本当に「忘れている」っていうの?)
側に、いるというのに?
「忘れているということすら忘れている。何故ここにいるのかも分かっちゃいない。自らの内に、どんなものを秘めているのかも知らず……それは、厄介なものに成り得るのだよ」
「まだなっていないのに?」
「なってからじゃ遅い」
ヒュッ!! と。
今度はより、強い風音がした。
実際に吹いているわけでは無いだろう。早乙女の服も。明の毛並みも。朝香の髪も揺れない。ただふと。朝香の持つカメラだけが揺れた。と、思ったら、朝香はそれを持ち上げていた。
前髪の下、閉じられた双眸。そこに、微かな悲しみが滲んでいるのだと分かる。
──カシャッ。
それを引き金にしたかのように。
リングが、物凄い勢いで白モヤを吸い込み始めた。
ギュルルルル!!!! 渦を巻く音。掃除機のように、吸う。吸う。霧が晴れたように、展示室は鮮明になっていく。
その輪っかは、どうなっているのだろう。吸い込んだ白モヤは、その穴の先の早乙女に降りかかることなく消えていく。リングの「中」に閉じ込めてしまったかのように。
「…………!!」
息を飲む。
さっきの時計の白モヤは。
しがみ付いていた。手などない。しがみ付く方法などない。それでもその場に、しがみ付いていた。古時計を必死に抱きしめていた。
何を忘れたのかすら忘れた。自我の無いそれが。
白モヤがふと縮こまる。吹雪に耐えるペンギンの如く。風に耐える。
剥がれる。
床から。
剥がれていってしまう。
その寸分の後、展示室は完全な輪郭を取り戻した。
「こっちの方が、手が掛からなくて楽だ」
事も無げに言う、掃除の主は。札でリングをチェーンごとくしゃくしゃに包み……頭上に放り投げた。そこには、役割を待ち佇んでいた灯が尻尾を揺らしている。
「あ…………っ!!」
自分の口からは、思いがけず声が漏れていた。
灯が、札の上からそれを、全て燃やし尽くしてしまう。
あっけなかった。
確かに、少しも手は掛かっていなかった。
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