【6-4】

 カン。

 早乙女は、周りの空気の何もかもを置いていく。組んだ腕を解き、どこからか取り出したお札を指に挟んだ。

「行くぞ灯!!」

「了解よ~」

 灯がふわっと舞い上がる。

 ニィ、とその笑みを深めると、右腕を頭上に掲げた。長い袖で見えなかった白い手が、薄暗闇に浮かび上がる。

「下準備は済ませておいたんだよな?」

「えぇ、言われなくとも」

 早乙女と短い言葉を交わす。

『ガギギギギギチチチ』

 不気味な声を発する黒い塊。

 一直線、こちらに突っ込んで来たそれ。


 パチン! と一回、細い指を鳴らした。


 その瞬間、ボウッ!! と脇にある壁一面が燃え上がった。

 黒い塊がたじろぐ。

「わっ……!? これ、大丈夫なの?」

「相変わらず派手にやりやがる」

 明が呆れたように溜息をついた。

 そんな、悠長にしている場合ではないと思うのだけれど。朝香や明は熱くないのだろうか。それにここは博物館なのだから、燃えて困るようなものとか。

 煌々、暗闇すら養分に食って、燃え盛る火。そのど真ん中、灯はこちらを振り返って笑った。

「これ、普通の火ではないから安心なさって?」

 よく見ると、火は無作為に燃えているのではないようだった。

 壁にポツ、ポツ、ポツ。照明のように。一定の間隔おきに。

(……これって……さっき灯さんが触っていた壁の位置……!?)

 下準備、とはそういうことか。

 炎の点は、やがて線を結び始める。火から火へ。壁から天井へ。橙色の線を引く。

 それらは眩い光を放ち、黒い塊を完全に囲んだ。

 まるで光の結界。何かの儀式のようで、思わず息を飲んでしまう。

『グガガガガガ』

 取り囲まれたことに気付いたらしい。

 影は蠢き。邪の念は膨れ上がり。

 今度は風船のようにその姿を膨らませていく。この火の織を打ち破ろうとしているかのようだ。


 ──バヂバヂッ、シューーーッ……!

 ──バヂヂバヂバッ!!!!


 破裂音。焦げる音。軋む音。

 影が膨れては、灯が胸元で何かの印を刻み、火で対抗する。燃やす。燃やす。影は焼かれる。……しかし、影の肥大スピードはそれを上回っていた。

 熱風がその場に吹き荒れる。

「! 割れたわ。ダイ!!」

 灯の、艶がかった声が響く。

 事実を伝える必死さはあるが、焦りは無い。

 しかし状況は裏腹、影がプレッシャーを放っていることで、またユウの胸は苦しくなった。

 結界に閉じ込められたことから来る、生存本能による警戒心と恨みだろう。更に強力な暗闇の圧を感じる。

 さらに影は、結界だった火すら手玉に取り。粉々。磨り潰してこちらに噴射した。

 バチバチッ!!

 あちこちで燃える火の粉。

「くっそ!」

 明が舌打ちして、たすたすと尻尾を床に打ち付ける。

「おい!! こっちまで巻き込むんじゃねぇぞコラ!!」

 飛んできた火の粉が、熱風が、こちらに触れる前に消える。

 淡く、微かに目視出来る程度の、金色の幕が、明を中心に張られていた。生身の人間である朝香を守っているらしい。

「狛犬、貴様が何とかするだろう!!」

「巻き込む前提で仕事してんじゃねぇ!!!!」

「ふむ……観客が煩いのでそろそろ終いとするか」

 早乙女は、指に挟んだ幾つもの札に。

 ふっと息を吹き込んだ。

「灯! もう一度だ!」

「全く、貴方がもう少し早く片付けてくれたら手早く済んだのに!」

 憎まれ口を叩きながら、長い袖を、狐の尾を振る。

 嫋やかに流れる白い尾。その先。夕焼けと黄昏がかかったような毛先がほんのり光を伴う。


 ボッ!! と。

 もう一度火が、灯の手札に戻ってくる。


 それを認めた早乙女が、札に霊力を流し込んだ。

 そう分かったのは、赤い気流として、力が可視化されていたからだった。

(……!!)

 目を、丸くするしかない。

 ユウにも、確かに分かった。

 早乙女大地。彼の霊能力者としての力は、確かに本物だ。

『ヂヂヂヂッ』

 バチバチバチバチッ!!

『ギギギギギ!!!!』

 もう一度。灯が無理矢理火の中に、それを押し戻す。

 肥大する。何かが、決壊する。

 その直前に。

「ほーら。消えろ、化け物が!!!!」

 ぎゅるぎゅるっ。力を、薄い紙一枚に閉じ込めた札。

 両手の指に挟んで、計八枚

 歯を見せて笑った。それらを。


 手裏剣のように全て、影に向かって投げつけた。


 札は、紙らしからぬ鋭さと速度を持って、一直線に影へ。そうして、灯の起こした火に張り付いた。

 火は炎へ。勢いと明るさと濃度を増し、黒い塊を閉じ込めていく。

『────!!』

 こちらの鼓膜を押し潰さんとするかのような悲鳴、悲鳴、悲鳴。

 炎は黒い塊を食い荒らす。一点に収縮し、あれだけ燃え広がっていたのが噓のように、バスケットボールくらいの大きさにまで纏まった。

 その中心には、当然。黒い影。影、ともはや呼べない黒。あれではただの消し炭だ。

 やがて、それは全て灰になって消えた……と、思った途端、廊下が元の明るさを取り戻す。

「戻った……!!」

「僕に、館長さんが見えなくなりました。うまく行ったんですね」

「当然だ!! 私だぞ!?」

 これが、霊能探偵としての早乙女の仕事。「手遅れ」のものを、全て無に消し去ってしまう。つまりは除霊。しかも、かなり手馴れている。家が神社と言ったか。

 強い。味方であるならば、これ以上ないくらい安心出来る存在だけれど。

(……まだ、心がもやもやするのは何故かしら)

 理由のつかない、霞んだ不安にユウは首を傾げる。

 その合間にも、早乙女は犬類(?)二人に噛みつかれていた。

「貴方ねぇ!! もう少し早く封じられたんじゃなくて!? 勿体ぶりすぎなのよ!!」

「朝香を危険に晒してんじゃねぇ!!」

「着いてきたのは貴様らだろう」

「連れてきたのはお前だ!!」

 騒げど喚けど、早乙女には右から左。

 代わりに明の叫び(ワンワンと聞こえているだろうが)を聞き取ったのは、近くの部屋にいたのであろうスタッフたちだった。

「どうかしましたか!?」

 駆け寄ってくる彼らに視線をやり、霊能探偵は笑みを深める。

「ふっ。あの影が作っていた変な別次元も消えたようだな。こちらの声が現実に届いている。この男も、あいつらに任せれば良いだろう」

 この男。見下ろされたのは青い顔をした館長だ。

 命に別状は無いのだろうか、と心配になってしまう。何せ、中に入っていたのがあの不気味な代物だ。

 顔を寄せてみる。顔をしかめているが、呼吸はしているようだ。

「もうただの体調不良だ。案ずるな」

 そう言い放ち、早乙女は「さて! 次だ次!」と歩を進めた。

「次?」

「まだ、展示室の方に何かがいる気配がするね」

「そうなの?」

 朝香は頷く。

「さっきよりも小規模……なのかな。でも数は沢山いると思う」

「流石の目だな細波朝香。心霊現象センサーとして連れ歩くならお前が一番精密で便利だ!!」

「なんちゅう称号を付けやがる」

 ぐるるっと喉を鳴らしたのは明。灯はいつも通り、肩をすくめるだけ。早乙女の隣を歩くなら明くらいの根気強さか灯くらいの適応力が必要なのかもしれない。

 精密で便利。

 まさかとは思うが、早乙女は朝香の目を必要として自分の仕事に同行させたのだろうか。ずんずん歩いて行ってしまう背中。何だかんだで、彼の真意は中々掴みづらい。

 自分たちを同行させた理由は、もっと他に。この先にあるんだろうか。

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