【6-3】

◇◇◇


 ファミレスといいここといい、今日は早乙女に連れまわされてばかりだ。

 今度やってきたのは……街にある小さな博物館。


「早乙女大地が来た!! ここを通したまえよ」


 入口で偉そうに叫んだ結果、一度不審者扱いを受けた後、依頼をしたのであろう館長に仲介されて今に至る。困惑した学芸員を背中に、一行は裏口へと案内されていた。

 廊下をどんどん、暗がりへと進んでいく。

「ほんっと……あなたって子は全く……」

 呆れて肩を落としている灯。心なしか耳も尻尾も垂れ下がっていることに苦笑しながら、ユウは博物館を見回した。

 白地に黒い生き物が這いずり回った後のような。大理石を基調とした壁。年数を感じられる木目調の床。きしりきしり。生者が通る度に存在を打ち鳴らしてくれる。勿論ユウには、それが無い。裏口から入ったからだろうか。ここが「博物館」という感じはまだない。壁と床だけ風味を残した、事務所のようだった。

 しかし……何かを、感じる。

(……この、壁一枚隔てた向こう側かしら……)

 ふっと目をやる。

 壁の向こうは、展示室だろうか。何だろう。この感覚は。ちりりと立つ鳥肌をさすりたくなるような。数回、瞬きをしたくなるような。

 些細な、落ち着かなさというか。

 けれどそれは違和感からくるものではない。寧ろ「似ている」という感覚。自分が居るはずのない、かっちりと嵌りはしないこの世界に、自分と似通った存在の気配を感じることに、落ち着かないのだ。

 似通った、とは、何に?

 霊的な何かだろうか。いや、でも明や灯の近くにいてもこんな感覚は覚えない。上手く、言えない。仲間が近くにいる──と言えば一番近いのだろうけれど、仲間と言うのも変な感じだ。

 妙な不安感に眉を潜めていると、置いて行かれそうだったので慌ててふわり追い掛ける。

 そこで、同じくふわっふわっと右往左往、飛び回っている灯に気が付いた。壁から壁へ。時に天井へ。どうも落ち着きがない。

(……この灯さんも、霊的な存在なのよね。狐さんって言うけど)

 ならば、ユウが感じているのと同じ、この秒な感覚に陥っているのかもしれない。だからあちこち見て回っているのでは。

 そう考えていると、ふと朝香のカメラが。輪郭をゆらり、波打たせて。

 分裂するように、レンが出てきた。朝香が首を傾げて小声で尋ねる。

「どうかした?」

「あぁ、付喪神か。久しいな! 会った最初に顔くらい合わせてほしかったものだ!!」

 この大声で僅かに顔に皺を寄せたのは二人。一人はレンが見えない館長で、もう一人はレンだった。元々が無表情だからだろうか。数ミリの変化で感情が見て取れる。露骨に嫌そうだ。

「レンはあの人が苦手なのね……」

「まぁ見るからにタイプが合ってないだろ」

 そんな小柄な付喪神は、朝香の後ろに隠れて耳元に顔を寄せた。

 朝香は苦く笑って頷く。

「話しかけてこないでほしいそうです」

「何だと!?」

「あの、先程から何のお話を……?」

 可哀想なことに、館長をフォローする人はいなかった。

 早乙女の前に出てまでなぜ姿を現したのだろう。レンは続けて、明に視線を送る。透明な瞳がレンズのようにくるくる煌めいた。何かを察した明が「ん」と返す。

「『ここでカメラのことも聞いてみたら良いんじゃないか』だと」

 こくり。長い前髪が頷く動きと一緒に揺れる。


 ──「『あるカメラ』を使って、写真を撮ってきて欲しいんだ。」


 写真館を出る前に受けた、おじいさんの依頼。

 確かに、その手は有効かもしれない。ここは町や人の文化発展に特化した歴史系の博物館だ。その「文化」の中に写真機系の何かがあるとしたら。もしかしたらおじいさんの探すカメラの手掛かりになる何かがあるのではないか。何なら、寄贈されているという希望もごく僅かだが、ある。

「そうだね。後で聞いてみようか」

 レンは微かに目を細めて、またカメラの中に戻っていった。

「それで? 今日はどういう用件だ?」

 館長に尋ねる早乙女。五十代程の彼は、今までの会話に少々困惑の皺を顔に残しつつ、答えた。

「……取り憑くのです」

 コツ。

「ほぉ?」

 コツ、コツ……。

 静かな廊下に、やけに足音が響く。

 周りの照明がフェードアウトしたかのような。ひとつ温度が下がったような。そんな雰囲気が漂ってくる。

「ここの係員や来館されたお客様が、何かに憑かれたような症状を見せるのです」

 館長によれば。

 軽い症状で言えば、眩暈や吐き気といった一般的な体調不良。

 重い症状で言えば、突然奇声を上げたり、暴れ回ったり。それだけならば良いのだが、無意識に車道に飛び出して、車と接触事故を起こすという最悪なケースも数件あったようで。

「そんな事があったのですね……全然、そういう噂も話も僕の耳には入っていませんが……」

 朝香が首を傾げる。

 もっともな話だ。そんな事件があれば、近所の噂になっていてもおかしくない。ましてやうぐいす写真館は、地域の写真館なのだ。お客さんが立ち寄った時、そういう話題があっても良いのに。

 ユウもそんな話は聞いたことがない。足元の明が顔を持ち上げて、すん、と鼻を鳴らした。

 館長はというと、困ったように顔を掻く。

「いわゆる霊障の類ですから……警察があまり表沙汰にしていないようで。当博物館としても、その方が変な風評被害が無くて助かるのですが」

「人命より博物館の運営かよ」

 ひっそり、溜息をつく犬のことに気付く由もない。

 早乙女は口元を歪めて笑い、腕を組んだ。

「ふむ。霊案件の事件が隠蔽されることは、確かに珍しいケースではない。知らないだけで、小さいのならその辺でコロコロ起こっているだろうさ」

「コロコロ起こってるの……」

「貴様自身幽霊のくせに、無知だな」

「それは、普通の人間だったから……」

 多分、と心の中で付け加える。何も覚えてなどいないが、少なくとも今心には衝撃が走っている。

「近々、写真館も閑古鳥が鳴いていましたし……そういう事情なら、たまたま話が入って来なかっただけなのかもしれませんね」

 そう言って、朝香は納得したように頷いた。それに合わせて、足元の影が揺れる。ふとその影に、わざわざ目が行ったのは。

 薄黒い床にさらなる闇を落とす人の影の形が、やけに長く、ブレているように感じたからだ。

(!? ……何?)

 声には出さず、そのまま、床を見渡す。朝香の影だけでは無い。明も、早乙女も、影ある者の影は皆不気味に伸びていて……いや、皆、ではない。影のない例外がいる。それはもちろん、ユウと灯。

 それから。


 ──館長。


(何で……!?)

 ぞくっと変な悪寒が走る。皆はこのことに気付いているのだろうか。平然としている人間二人。明は……何かを睨んでいる表情がいつも通り過ぎて分からない。灯はというと、依然としてあちこち漂って、漂って。壁に触れたりしている。

 そういえば、廊下もだいぶ奥まで来た。何処まで歩いて行くのだろう。壁が、薄暗さに、闇に没入していっている。幽霊が、可笑しいだろうか……何だか気味が悪い。素直に、そう思うのだけれど。

「ふはは、細波朝香! それは全然たまたまでは無いかもしれんぞ」

 そして。

 そんな闇すら全て切り裂いて行けそうな豪快さを持つのは、早乙女の声。

 ギラリ。目を。メガネのレンズを光らせて。



 そんな事を、言う。

 遅れて驚きの声を上げたのは、ユウと館長だけだった。

 ふふん、と得意げに話す霊能探偵は指を振って。

「お前らは、そして館長、貴様の中身も知らんだろうが、依頼者は館長ではなく学芸員の方なのだよ!! そして、『この依頼は館長には内密に』という話もしていた」

「えっ、じゃあ」

 今、その館長に案内されているのはおかしくないだろうか。一体、なぜ。

 五十代の男は……否、その姿を取った「何か」は黙り込んでいる。

「待って。無関係かもしれないけれど、じゃあなぜ入口であなたは不審者扱いだったの? 依頼したのは他でもないあの人たちだった、ってことでしょう?」

「怖くて、藁にも縋る思いで依頼して、来たのがこんなんだったら誰だって驚くでしょう?」

 灯が呆れた調子で言う。いけない。納得してしまった。

 早乙女は続ける。

「いや、『事件など起こっていない』と完全否定したが取り消そう。部分一致と言ったところか。体調不良を起こした者は、いる。しかし奇行に走ったのは館長、貴様だけだよ」


 貴様、我々を『どこ』に連れて行こうとした?


 伺うように、挑戦的に。

 ぶわり。ぼわり。

 すると何か、濁って質量の重い、曇天のようなものが膨れ上がってくる。館長を取り巻くオーラから。徐々に、徐々に、その器の瞳からは生気が抜け、表情も虚ろになって来た。人間の様変わりに、一変した空気に、体が、強張る。

 息が、苦しい。

「ユウちゃぁん。貴方はちょっと、明さんのすぐ側にいた方が良いわねぇ」

 とんっ。軽い調子で、灯に肩を押される。ふっと一瞬にして、喉に詰まった何かが取れたので目を見開いた。

 狐は人差し指を一本、口元にあてて妖艶にほほ笑む。

「器が無いから、直にワルイモノにあてられちゃうのよ。明さんは狛犬だから、周りの空気は澄んでいる。一歩下がっていなさいな。朝香くんもね」

「大丈夫です。承知していますよ」

 朝香は、何でもない風に微笑んだ。そうだ。彼は霊的なものが視える。となると、こうなることは入口の時点で彼にも分かっていたのかもしれない。

 一歩も。仁王立ちのまま揺らがない早乙女。その背中越しに、館長を見る。肉体を突き破ったオーラは、早乙女の身長をも抜いた。

「可哀想に。怯えていたぞ、ここのスタッフは。『館長が近頃おかしい』とな!」

『……ナゼェ……ナデ、ワガッガガガガ』

「なぜ分かった? 今言ったろう。元々私は貴様を怪しんでいた。それに、そうだな。貴様、幽霊たちが視えていただろう」

 ──「あの、先程から何のお話を……?」

「あそこは、『誰とお話を』と言っていい場面だ。視えていないのならな」

『グギギギギギギ』

「皆まで言うな。そんなのは根拠にならんと言いたいのだろう? そう。もっと大切な根拠なら別にある」

 早乙女は目を閉じる。

 息を飲んだ。

 ずる、ずる、影は這い出る。形容のし難い何かは、姿を現していく。抜けて、抜けきった。用済みのように、足元で顔色の悪い館長が倒れる。放射状に伸びた影が、この場を遂に覆いきった。

 朝香に無言で促されて、明のハーネスを一緒に掴む。黄金色のゴールデンレトリーバーから、暖かい「気」が流れてくる。なるほど、落ち着く空気だ。

 こちらに向かい風が吹いて、飛ばされた帽子は遥か後方へ。闇に溶けて消えていく。

 カッッッと目を見開いた早乙女は叫んだ。



「カンだよ!!!!!!!!!!」

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