【6-完】

 カランコロン……。


 遅れて固い床に響いたのは、シルバーリングの落ちた音。周りの札は灰になっていたが、リングはその輝きを失わないままだった。ネックレスのチェーンも、何事もなかったかのように付いている。

 館長に憑いていたモノはあれほど大掛かりに火災レベルの火を使ったのに対して、こちらは、蠟燭の火で少しお灸を据えたようなものだった。しかし行ったのは同じこと……全ての抹消。人に害を為すものの退治。

 元は、何か「想い」があったはずなのに。

 何か、それでも消えたくない理由があったろうに。

 あれがレンのような付喪神なのか、霊魂なのかは知らないが。

(あんなに、簡単に消えて……しまうのね)

 ゆっくりと吸い込んだ息は、混乱するほどに澄んでいた。ここに濁り溜まったものが、全て清浄に掃われたからだろう。

 綺麗だった。空気が。この部屋に入ってきた時よりよっぽど。

 何が必要な事で、何が不要なものだったのか。嫌というくらい分かる。この霊体にも。

「……ごめんなさいね。ちょっと無理矢理過ぎたかしら」

 ユウに気付いたのだろう。最初にそう気遣うように微笑んだのは灯で。だがその顔に、「自分のした事が間違っている」とは少しも書かれていない。その通りだ。何も間違ってはいない。

「甘やかすな灯」と打ち消したのは早乙女。

「でもねぇダイ……」

「過去を知ることはな、それなりに覚悟がいるのだよ」

 そこには。強い言葉が籠っていた。今しがた空白の想いごと消し去った男の手は、ふと頭に手を伸ばし……そこにあったものが無いことに気付いたのだろう。「ふむ、帽子は飛ばされたか。探しに行かねば」と呑気に呟いた。

 置いて、いかれている。上手く呑み込めない。

 明はこちらを見上げてから、目を伏せて。朝香はカメラを少し撫でてから、困ったように微笑むだけだった。

 ……その時。

 ようやく少し、理解、した。

「早乙女は手遅れになったものを消す」と聞いた時に、どうして自分に例えようのない焦燥が襲ってきたのか。

(……私は……)

 自分の手を、組む。自分の両手を励まし、抱くように胸元に持って行く。緊張を伝える鼓動がない。焦りを伝える冷や汗も無い。ただ、黙り込んで、顔が引き攣った。

(早乙女さんにとって……「同じ」、なのかもしれない)

 今消えていった存在たちと、ユウ……ただ「人」の形を取っているのと、原形が少しも無いもの。早乙女にとっては、それだけの違いなのかもしれない。

 展示室の照明はやけに白く。人も物も空気も、何もかもが静謐だった。今しがた失われたものを、嘆く存在はいなかった。初めからそれが当たり前だったかのように。古時計も、何も語らない。素知らぬ顔をして、不愛想な錆色をこちらに向けるだけだった。ひどく憂鬱な静寂は、孤独感や恐怖感を与えてくるでもなく。胸を押し潰すだけ押し潰して、後はユウに委ねてくる。

 この胸中に名前を付けろと。

(私が、ここにいる意味って……)

 自分の立ち位置が分からずに、ユウは足元を見下ろした。

 元々足が無い。


 ユウは、どこにも立っていない。


「細波朝香」

 静けさなど恐れぬその声は、やはり一番に思慮をかき消す。

 朝香は首を傾げた。

「お前に依頼をしよう」

「早乙女さんが僕に依頼……ですか?」

「あぁ。お前の行動には、そこの幽霊も着いてくるんだよな?」

 顎で指されて、びくっと肩を震わせる。何考えてやがる、と言いたげな明。普段は早乙女の言動に割り入るも、そこに意図があると察したならば我関せずの灯。

 そうですが……と、朝香すら珍しく不安そうだ。

 各々の反応など気にも留めずに、早乙女大地は告げた。


「ある墓を、俺の代わりに撮ってこい」


 早乙女の声が大きいのか、空気が静かすぎるのか。

 無機質な部屋は、無遠慮にその依頼内容を響かせる。




《空白とモノクロ写真 終》

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