第6話 空白とモノクロ写真

【6-1】

 公園のベンチ。爽やかな青い空。のっぺらぼうのノウの悩みを聞いて、晴れ晴れとした気持ちを、そのままスポイトで取って移したかのような空。

 そんな空に突如響き渡った声。


「ふはははは!! そうだ、この私が姿を見せたぞ!!!! 光栄に思いたまえよ、皆の者!!」


 登場した瞬間にノウを怯えさせ、朝香と明を苦い顔にせしめた男。その堂々を通り越した胡散臭さを感じた幽霊のユウも、思った。

(何か面倒くさそうな人が来た…………)

 思った瞬間、こちらの思考を汲み取ったようにぐるん! とこちらを向いた顔。その目力にたじろぐ。今更驚くことでは無いかもしれないが、この男性はユウが見えているらしい。

 ユウは圧から逃げるように朝香へと視線を移す。気付いたら朝香の近くにレンがいない。彼も逃げたのだろうか。

「ね、ねぇ朝香? この人がまさかさっき言ってた……」

「うん、知り合いの霊能者」

「知り合い!?!? 知り合いとは寂しい紹介じゃないか細波朝香!! お前と私はかつて死闘を繰り広げたライバルだろうが!!」

 死闘て。言葉が出てこない。明らかに朝香はずっと苦笑いだし、どうしたらそんな話になるのか。明は足元で盛大な溜息。ノウは怯えきってベンチの陰だ。

「そもそもだな。私を紹介するならもっとマシな痛ァ!?」

 セリフの途中で、ベシーン! という音が響き渡る。

 音の主は……今までずっと隣で黙っていた女性……女性? だった。

 女性らしい色気を添えた艶めかしい体。白い巫女装束の衣装だが下は履いておらず、赤いタイツに包まれた長い脚が伸びていた。目を引くべきは長い白髪に……頭に生えた狐の耳と、腰に生えた尻尾。これらだけで彼女がどういう存在かが伺える。その毛先は、淡い山吹色に赤色のグラデーションが掛かった、美しい色をしていた。

 そんなお狐様(?)が男性をはたいていた。

 しかも物理で。

「何をするトモシ!! 主人をぶつ狐があるか!!」

「ダイはいつもいつも声がデカいの!! 自覚して!! ご近所迷惑になることが分かっていなくって!?」

 目の前で繰り広げられた口論に、開いた口が塞がらない。

(何……? とりあえず、何……?)

 何もかもが分からないので、誰か状況を纏めて説明してほしい。

 すると、ふわり浮いた狐の女性──先程「灯」と呼ばれていた──はユウに近寄ってきた。ふっと気付けば鼻がくっつく距離。「わっ……」と小さく声を上げると、灯は長い袖を口元まで持ち上げてくすくすと笑った。

「ごめんなさいねぇ、驚かせてしまって。朝香くんも、いつもうちの子が迷惑掛けるわねぇ」

「いえ、変わらずお元気そうで何よりです」

 涼しい顔で「変わらず元気そう」と流せる朝香の強さを感じた。

 灯は何処か、神社にある木々の香りを漂わせながら、男性を視線で差す。

「この煩いのは……」

「待て待て待て自分で言う!! ……私は早乙女大地さおとめだいち!! 細波朝香のライバルと言ったところか!」

「ライバル(自称)よ、気にしないでね」

「あ、はい」

「灯!!!!」

 何だか濃い人間と知り合ってしまった。思えば、自分が観える「人間」に出会ったのはこれで二人目なのだが、朝香との落差が凄くてついていけない。

 ……と、思えば、ふと。

 今まで感じていた雰囲気とは一つ、低い温度を感じて体を強張らせる。普段この身は、温度を感じない。だからだろうか、尚の事、その冷えた温度は執拗にユウを取り巻いた。

 その主は、紛れもない早乙女である。彼は涼しい……というよりかは見定めるような視線で、こちらを見ていた。眼鏡の向こうの瞳がぎらりと光る。

(何、この感じ……)

 背中を逆撫でされるような。頬を軽く抓られているような。そんな微妙な感覚がする。纏う雰囲気の変化に、射止められたように動けない。霊能者。「祓う」専門の霊能者。朝香の言葉が、何故か蘇った。

 何か用があるのか、と尋ねることも出来ずに数秒。やがて、早乙女の方が何も言わずにその空気を解いた。

 今度はノウの方に顔を向けて。

「それにしても貴様、あの時の妖か。よりにもよってこの男に依頼しやがって」

『だ、だって!! 「そんなの俺の本業じゃない」って言ったのは貴方じゃないですかぁ!!』

「言ったがな。それは貴様自身の問題だという意味だ。実際貴様の悩みに細波朝香が出来ることも、他の人間が出来ることも何も無かったろう」

 ぐ、とノウが息詰まる。確かに、早乙女の言う通りだ。ノウの「顔を保って人間の友だちと顔を合わせたい」という悩みは、結局「ノウがそのままの顔を見せる勇気を持つ」という結論に落ち着いた。他の人間ではどうすることも出来ない。それを早乙女は、見抜いていたという事か。

(……この人)

 ユウは、まだほんの少しの緊張感を抱えながら早乙女を見据えた。さっきの視線。飄々とした態度の割に、本質を理解する観察眼。

(実力のある霊能者ということには……違いないのかもしれないわね)

『ならそうと言ってくれても良いじゃないですかぁ。この方々は親切でしたよ!』

「細波朝香が甘すぎるだけだ!! 世の中そう甘くないと知りたまえよ!!」

 はっはっは! とまた響く笑い声。遠ざかる人。灯は片袖を額に当てて、「やれやれ」と言いたげに首を横に振った。……前言撤回。凄いんだか凄くないんだか、よく分からない。

 それに、一番気になるのは。

「……あの人と朝香ってどういう関係なの?」

 足元の、明に小さく尋ねてみる。ゴールデンレトリーバーは目付きの悪い表情をしたままこちらを見上げる。

「どういう関係っつってもな……あの霊能者が、顔を合わせては突っかかってくるだけの関係だ」

 なるほど、「知り合い」と定義付けた朝香の言葉は的を得ている。

 どういう耳をしているんだか、この会話を聞き取った早乙女が息を吐いた。

「はぁ、どいつもこいつも冷淡だな。よし。細波朝香。その狛犬も幽霊も連れて俺に付き合え」

「ダイ。そういうのはこの後時間があるか確かめてからになさいよ」

「どうせ暇だろ!!」

「えぇ、今日は暇です。大丈夫ですよ、灯さん」

「ほら見ろ!!」

「朝香くん、いつかダイのこと一発くらい殴ってくれても構わないからね」

「ふん、こいつが苛立ちという感情を持ち合わせる事はあり得んよ。自分の事であれば尚更な」

 早乙女の試すような口調。朝香は困ったように笑うだけだった。早乙女は眼鏡の奥にある瞳を、またぎらり、輝かせてから、天高く人差し指を上げて告げる。

「では俺と共に来い! 折角の再会だ、旧交を温めようではないか」

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