【5-完】
『だ……だから自分の言葉にはあまりに説得力がない、って、分かって』
そう言ってノウが肩を落とす頃には、ユウも朝香も明も、彼女の話に聞き入っていた。顔の無い代わり、声が、手に入った力が。ノウの感情を示している。
『だから私が顔を何とかして! 凜の前に出られたら! きっと勇気づけられるんじゃないかって!!』
ノウにも出来た。だから。凜にも出来る。
そう言ってあげたいと、思ったのだ。
(……さっきの、演劇をしていたポニーテールの女の子……)
きっと、あれが凛だった。
そして、声を掛けてきた時にノウが作っていた顔もまた。
力になってあげたいとは思う。けれどどうしたら良いのか、ユウには皆目見当も付かなかった。緊張を解す方法? 緊張しない心のあり方? もし存在するならば、その方法を凜に教えた方が手っ取り早い。
すると、ふとレンが朝香の肩を叩いた。
彼は何かを察したように、カメラを目線の位置まで掲げる。一度、レンが瞬きをすると。
かしゃっ。
シャッターが、鳴った。
『ふぇっ!?』
驚いたノウが慌てて顔を隠す。が、もうフィルムには焼き付いた後だ。
『な、何で撮ったんですかぁ!? 真っ白い顔を写しても意味ないですって』
その言葉に、ユウは少し目を見開いた。元々、ノウがずっとそういう考え方をしていたと分かってはいたけれど。
レンが何を言いたいのか、何となく分かった気がした。
一番最初に答えを言語化したのは、そっと溜息をついた明で。
「……テメェ、最初っから意味のあることと無いことをはき違えてンだよな」
『え……?』
「どうせ顔を保てたとして、『テメェの顔』じゃねぇんだ。借り物の顔でそいつを勇気づけて、意味あんのかっつってんだよ」
ゴールデンレトリーバーの低い声が発する、圧は強かった。『それは』、とノウがたじろいで口を噤む。有無を言わさぬ、先端の尖った言葉。しかしその「尖り」は、頑なな心を削って磨いていく、繊細さを伴っていた。
その通りだと、頭の片隅で彼女も思っているに違いない。
だから何も、言い返せない。
『でも……でも、どうしたら良いんですか? 私は貴方みたいに、人に受け入れて貰える「普通」の見た目をしてないんです!! そ、そもそも貴方はズルいんですよ! 普通の犬にちゃんと変化出来てるじゃないですか!!』
「あ!? ンだとコラ!!!!」
「ちょっと二人ともケンカしないでよ」
透明な体で、間に割って入る。二人がケンカしている場合ではない。
明はぐるるっと喉を鳴らしたが、やがて落ち着く。ノウはまだ、納得していない様子だ。
「……その前から霊的なものが視えていて、耐性のあった僕の感性は当てにならないとは思いますが……アカリと最初に出会った時、僕はちゃんとアカリのことを『恐ろしい』と感じましたよ」
そこに更に割って入ったのは、朝香のワントーン落ち着いた声。ノウは少し、肩を震わせた。「恐ろしい」。ノウにとって、凜には抱いて欲しくない感情だろう。
霊的なものに耐性があった朝香でさえそう思った。
普通の人間である凛は、どう思うだろう。
『な、なんで、怖くなくなったんですか』
「簡単なことです。僕はその時アカリに助けてもらったので、優しさを受け取りましたし……何よりその後、一緒に過ごしたから」
さらに、続ける。
「でも、あなたは違うでしょう? もう既に一緒に過ごした時間がある。それも、十年も」
『……っ』
「その十年で貴方が凛さんの優しさを受け取ったように、凛さんも貴方の優しさを、分かっていると思いますよ。それこそ、見た目なんて関係ないくらい」
そう。ノウにとって、写真を撮ることも、顔を保つ方法を探すことにも、意味は無かった。
本当に必要だった勇気は、「顔を作ったまま表に出ること」ではなく、「ありのままの自分で凛の前に立つ」という勇気だった。
「……そうね。まだ出会って二ヶ月くらいしか経ってないけれど、私も今さら、明の本当の姿を見たところで怖くはないと思うわ。二カ月でそう思うのだもの。十年ってきっと凄いわよ」
ユウの言葉に、明がそっぽを向いて鼻を鳴らした。
ノウは俯いて、自分の両手を軽く祈るように組む。緊張の代わりに葛藤が、ぎゅっとそこに詰め込まれた。
「……写真と、同じかもしれません」
朝香の手が、カメラを撫でた。
「写真を撮る、カメラの前に立つ。いざそう構えると、誰もが緊張するものです。嫌だ、と思う人もいる。その気持ちは、写真にも出る。ぎこちなさや、作り物が浮いたように現れるんです」
先程の、誕生日に写真を撮られていた男の子のように。
「ふと、偶然、何もない時、切り取った自然体の姿が、何より良い写真になることがあります。『写真を撮ろう』と思わずにふとカメラを掲げた瞬間が。……貴方も、凛さんも、自然体でいることが一番素敵なのでは? 何かになろうと、思わなくて良いのです」
それは、演劇には繋がらないかもしれない。演劇は、何かになろうとしなければならないのだから。
けれど……「演じよう」と思わずに、ふと見えない何かへ手やセリフを掲げる瞬間が、今の凛には大切なのかもしれない。あの、好きなアニメのキャラクターになりきっていた幼い頃のように。
そしてノウは。友だちの前で、演じる必要などどこにもない。
『~~~~~っ、がんば、ります!!』
それが、友だちの一番の勇気になるのなら。
ふっと空気が緩んで、夏の風が吹き抜けた。服と肌の隙間に蔓延る煩わしいくらいの湿気も、今は流れ落ちたように消えてなくなる。
明の尻尾が、パタパタ揺れた。
「何つーか、隠す程の事じゃ無かったじゃねぇか。随分と遠回りしやがって」
『そ、それは本当にすみませんんん』
甲高い声が広い空を突き抜ける。ユウはそれに笑ってから。
(……でも、確かにそうよね。すぐに事情を話してくれたってことは、隠し事でも無いようだし……)
明の言う通り、もう少し率直にそう言ってくれれば解決出来た話だ。
「ねぇ、どうしてあれ程話すことを渋っていたの?」
『あぁそれは……また「どうでもいい話だ」と突っぱねられたらどうしようと思って……』
「『また』?」
『はい……実は貴方たちにこの事を相談する前に、別の霊能者の方に相談したんですよ』
霊能者。そんな存在が実際にいるのかと目を見開く。幽霊のユウが言うのもなんだが。
じゃあ朝香を相談相手として選んだのは、幽霊である自分と、狛犬である明が側にいたから「霊的なものに精通している」と思ったのだろう。
「朝香は、霊能者ではないけどな」
「霊能者の方ですか……知り合いにいるので見た事はありますが」
「知り合いにいるの!?」
「うん。ただ、彼は霊的なものを祓うことが仕事だから、こういう悩み相談には乗らないと思うけれど」
知り合いに霊能者がいるのか。ほぼ写真館内と代行写真家の客としか接している所を見ないので、彼の人脈が謎である。友だちの話も、家族の話もしたことが無いのだから。
それを聞いたノウは肩を落として。
『はい……その方もそう仰いました。「それは私の専門外だ!! その話に対して興味も湧かん!!」と爽やかかつ明快に断られてしまって』
「それで、本当の事を言おうか躊躇ったのね」
自分の悩みを、今度は相手の「専門内」に入るよう、無理矢理に「写真」へ繋げたわけだ。少々強引だったが。
それにしても、バッサリ断る非情な人間がいたものだ、と思う。そもそも霊的なものに対して相談が出来る人など少ないのだから、少しくらいノウの話を聞いてあげても良かったものを。「興味がない」の一言で片付けられたら、確かに傷つく。
『で、でもでも! 貴方たちのおかげで解決しました……! いやまだこれからですけど……私頑張りますから』
無い微笑みが、見えてくるようだ。
きっと想いは、届くと思う。そう感じる。
「じゃあ、僕たちはそろそろ行こうか。お昼にも、良い時間になったしね」
「そうだな」
「またね、ノウちゃん」
『はい! 本当に、ありがとうございま』
「おーーーーいおいおい!!」
その時。
謎の男の声が、公園に轟いた。何事だ、と思っていると、遠くの方に──本当に、なぜその距離感から声を掛けてきたのだろうと思う程遠くに──その男はいた。
コツコツコツと速足、大股で歩いてくる。どうやら、此方に用があるらしい。
(……誰?)
茶色の帽子。緩くうねった天然パーマの紺色。ビビッドな赤シャツに白いパンツ。上着は袖を通す事なく、肩に羽織っていた。そんな目立つ見た目に負けない表情の強さ。眼鏡を掛けた目元は鋭く、唇は強気な笑みの線を描いていた。
そして何より。
脇に従えていた。
狐の耳を生やした脚が半透明の女性……所謂、霊的な存在を。
「ゲッ……あいつ!!」
「明、知ってるの?」
『わーーーっ!! あの人です!! 私の相談、蹴った人!!』
「あぁなるほど……近くに
各々が反応を見せる中、カツン!! と男性がベンチの前で足を止める。逆光。身に纏う圧を少しも抑えることなく、寧ろ影がそれを助長していた。
苦く笑っている朝香も、この男の事を知っているようだ。
そして。
「ふはははは!! そうだ、この私が姿を見せたぞ!!!! 光栄に思いたまえよ、皆の者!!」
惜しみない高笑いは、公園中の視線を引き付けた。その辺の奥様方、野生の鳥に至るまで。しかし何故だろう。視線は集まるのに周りから人は遠ざかっていく。
なるほど、朝香も明も微妙な顔をしていた理由が、ユウにも何となく分かった。第一声、初見、第一印象。多分、ユウも今微妙な顔をしているんじゃなかろうか。
失礼かもしれないが、正直に思う。
(何か面倒くさそうな人が来た…………)
《「記憶とスナップ写真」 終》
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