【5-5】

 ──ノウは、この広い公園の片隅に住んでいた存在だった。公園が出来る前は静かな静かな村だったので、のびのび過ごしていた。

 村だった頃は、時折人に紛れて暮らすこともあった。見慣れた顔ならば、顔を「作る」ことが出来るので顔がなくて怖がらせる事もない。それに、人の村は様々な意味で開かれていた。だから子どもの群れに少女一人増えたところで、誰も気付かなかった。し、気付いても一緒に遊んでくれた。人と共に居ることは、ちょっぴりのリスクと、沢山の楽しみが詰まっている。時に危ない事もあったけれど、そんな事も、人里に下りたくなるようなクセになるエッセンスだった。

 しかし時が経ち、建物が立ち、そんな時代の流れは共同体の縁も断つ。

 見知らぬ女の子を受け入れて遊んでくれる人は少なくなった。

『なんで私といっしょのお顔してるの!?』

 近付くと、そう言って泣く子もいた。昔は「同じ顔? ふしぎだなぁ」くらいだったのに。子どもから「ふしぎ」は遠く、遠くのものになってしまった。

(……なんで、なんで顔があるのに、泣かせちゃうの?)

 顔があったら、皆と遊べるんじゃないの?

 皆私のこと怖いと思わなくなるんじゃないの?

 顔さえあれば、自分は「普通」だと思っていた。けれどもうそれは叶わないらしい。ノウはぽとぽとと、人の波からは隠れて、岩陰で暮らす小さな貝殻のように、静かな呼吸をして生きることになった。

 彼女と会ったのは、それから何十年か経った後だった。


「きらきら、はーと、あたーっく!!」


 最初は、そんなセリフだったと思う。

 キラキラ? ハート? アタック……?

 謎の単語の羅列に、ノウの興味は惹かれた。それが、当時放送されていた朝の女児アニメに出てくるセリフだと知るのは少し先の話。とにかく、その少女は公園でアニメの真似をしていたわけだ。

 見えない敵に繰り出す攻撃。

 見えない人々に手を差し伸べ、助ける姿。

 草陰から、それを見守る。

 すごい、すごい! と思った。見えないものをしっかり捉えると同時、無い存在をこちらに見せる。演技と呼ぶにはまだ幼いかもしれないが、小さな舞台には目を奪われるものがあった。

 久々に、人へ話しかけてみたい気持ちが芽生えた。

(えっと、えっと、同じ顔だと怖がられるんだよね……)

 よし。気合を入れて、別の顔を作ってみた。かつて村で仲が良かった女の子の顔だ。もう随分昔の顔だから朧げだけれど、無いよりはマジ。無いよりはマシだろう。……と、思ったのに。

(……あれ?)

 ぺた、ぺた。

(……あれ、あれれ!?)

 ぺたぺたぺた。自分の顔を触る。あるべき凹凸が無い。あるべきパーツがない。鏡を見なくたって分かる……これは、いつもの自分だ。のっぺらぼうの、白い顔。

 なぜか、顔が作れない。

「あれーっ!?」

「? 誰かいるの?」

 衝撃で上げた叫びに、少女が気付いた。近付いてくる。あわわわわ。

「こっ、来ないで!!」

 草陰にしゃがみこんで、顔を両手で隠す。目の前までやってきたらしい少女は、「なんで?」と聞いてきた。おかしい。今の子どもは知らない子に話しかけたりしないんじゃなかったのか。

 ズカズカと、あっという間に、すぐ隣まで踏み込んでくる土足。驚いたし、どこか懐かしい。

「え、えーと……はずかしいから!?」

 適当にそんなことを言う。

「ふーん? へんなの」

 ズキリ。

 心にヒビが、入った音がした。入ったヒビの、割れた欠片が。心の関係ないところまで傷付けていく。

 そうか、自分は。どうしたって変なのだ。顔があっても、無くても。

 変なら早く、離れてほしい。覆った両手に、顔の熱さを感じながらノウは思う。だが、自分にかかる影は中々離れていかない。

「……?」

「ねぇねぇ、わたしのマジカルマジックみてた!?」

「ま……マ、え?」

「かわいかったでしょ! わたしね、みんなを助けるヒーローなんだから!」

 何の話だろう。

 ノウは混乱しながら、真っ暗な視界の中で少女の話を聞いていた。少女の戦いの話は続く続く。話の中盤くらいから理解し始めた。

 ノウのことは変だと思う。思うけれど、そんな事は彼女にとってどうだって良いのだ。今思えば、あの「へんなの」は、「おもしろい」も含んだ意味だったかもしれない。

「ね、あしたも来る? またわたしのヒッサツワザみてよ! かくれんぼ、しててもいいから!」

 それが彼女、友だち、りんとの出会いだった。



 以来、凜が公園に来る日はほぼ毎度、ノウは彼女の「演劇」を見た。

 流行っていた女児アニメ。少し背丈が伸びた頃には、マイナーなドラマ。羞恥心を覚えて「本家を知っている人に見られたら恥ずかしいもん」との事で、マイナーなドラマを選んでいた。もう少し顔が大人びた頃には、彼女は演劇部に参加するようになった。

「……ねぇ」

 まだ、顔すら見せられない関係が続いていた。

「私さ」

 それは、ひどく夕日が焦げ付き過ぎていた日のことだったと思う。凛はノウのいるいつもの草陰に、背を向けて座っていた。彼女は気を遣って、未だに「ノウの顔が見たい」とは言わない。

 容赦のないオレンジ色が、鮮明に彼女の顔を浮き彫りにする。

 複雑に歪んだ、彼女の顔を。

「初めての舞台で……失敗しちゃったよ」

 それがどういう意味を持つのか、ノウには分からない。その報告よりも、凜の声で一大事を察する事が出来た。

「ダメになっちゃった」

 だめ、の言葉が震えて落ちる。

 涙と一緒に。

「人前に立つと、途端に言葉が、出てこなくなっちゃった」

 はた、と思い出していたのは自分のこと。


「緊張で、恐怖で、焦りで……何て、言うの? 怪物に食べられちゃったみたいに、自分が溶けて、どこにいるのか分からなくなっちゃう」

 人の前に立つと、「顔」を保てなくなってしまった自分。


「舞台の後はみんな励ましてくれた。その後も何度か部活には参加したの。でも……練習でも、脳が空っぽになって。練習ですら、使い物にならなくなって。一人家で練習する時はいつも通りなのに!!」

 一人の時は、ちゃんと顔が保てるのに。


「練習でもこんな有様だって分かった時は、流石に皆、呆れた顔してたな……いや、喜んでる人もいたか……」

 背中越しに、ごそごそ、と音がする。立ち上がろうとする音だ。待って、待って、帰らないで。まだ凛に、何も言えていない。

「ごめんね、こんな話して。ノウにしかこんな話出来なかった。いつも、見守っててくれてありがとう」

『ま……待って!! その、あの、演技、やめちゃう!?』

 少し、黙り込む気配があった。

 首を振る音。どっちに振ったのか、分からない。次の言葉を待つ。

「私、諦めが悪いから……努力はするよ、まだ。ここで一人で」

『一人じゃないよ!! 私はずっとここで見てるよ』

 顔は出せないけれど。

 出せないからこそ、安心でしょう。

 顔の無いノウは、凜を脅かすような人の「目」になどなりやしないのだから。

 ありがとう、と凛は苦く笑った。

「そうね……ノウと、それから、偶然ここを通りすがる時にチラチラ見てくる人。まずは、そこから克服していかないと」

『凜なら出来るよ! きっと!』

 そう言うノウに対して、返した凛の言葉は……。

 きっと、悪意は無かったのだと思う。或いは、ノウが気付かなかっただけで、凛はノウの能天気さにずっと苛ついていたのかもしれない。それはちっぽけな、八つ当たりで。当てつけ。そうして、真実。



「……どうかな。説得力ないね。ノウだって、私に『恥ずかしい』って言って顔が出せないまま、もう十年も経ったじゃない」



 軽く言われた割に、それはあまりに冷たく心を凍り付かせた。

 なびいたポニーテールの先っぽが、公園から去っていく。動けなかった。

 違う、と、色んな言い訳を並べた。

(わた……私は、恥ずかしいんじゃないの。本当は。怖がらせたくないの。だって、だって凜も、顔が無いなんて知ったら怖がるでしょう。一人ならちゃんと作れるの。作れるのよ、顔は……)

 人の前に立つと、ダメになっちゃうだけなの。

 呟いて、顔を覆った。

 凛とノウは、残酷な程に同じだった。

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