【5-4】

『あっ、あぁぁの! 写真を撮って、くださいませんか?』

 母子と別れて、少し人気の無い場所まで歩いてきた所だった。また、後ろから声が掛かった。今日はよく声が掛かる。公園を歩けばいつもこんな感じなのだろうか。

 朝香が振り返るのと一緒に、振り返る。どうやら今度は、中高生くらいの女の子らしい。

(……あれ、この顔)

 どこかで、見た覚えがあるような。

 写真を撮ってほしい……そう言われた朝香は、数秒少女の方を見て固まっていた。どうしたのだろう、と思っていると、明まで何だか訝しげな表情をしている。本来柔らかいはずのゴールデンレトリーバーの表情に皺が寄っていた。

 この少女に、何か問題があるのだろうか。

「……朝香?」

『あ、あのう、ダメですかねぇ』

 少女はもじもじ、両手のひとさし指を胸の前でツンツン。

「……構いませんが……」

 朝香はまだ戸惑っている様子で、カメラを構えた。場所、ポージング、背景、軽く相談をした後に、撮影の体勢に入る。

 少女の面持ちは、写真を撮られる直前の人によく見られる、緊張した、ごく一般的なものだった。ひきつる頬、震える眉、ぷかぁと広がる鼻の孔。それらを引き締めて、やっと笑顔を作った少女。…………そして。「1、2、3」のカウントダウンが終わりを示したその時。

 ユウは漸く、朝香と明が渋っていた意味を知る。


「えっ」

『うわぁぁぁぁぁんやっぱりダメだった!! 私のバカぁぁぁぁ』


 ユウの素っ頓狂な声と叫びが重なる。わんわん泣き出して、その場に蹲ってしまった少女……少女?

「……また厄介なのに絡まれたな」

「アカリ、失礼でしょ。それに厄介でもないし。……お話、聞いても良いですか?」

「そうやって首を突っ込むお前が一番厄介だよ……」

 溜息をつく明。

 全く、気が付かなかった。黒い髪をポニーテールにした、一般的な制服を纏った、普通の少女。しかし今なら、分かる。

 朝香がちゃんと存在を捉えている時点で、この少女は人間ではない。

 うぅ、と顔を上げた。その少女には、無かった。何が無かった……と言えば、顔が。


◇◇◇


 さっきまであったはずの目も、鼻も、口も、勿論眉だって、何も無かった。感情を目に見えて形作るものが何も無い。今一緒にベンチに座って俯く少女は、ぽたり、ぽたり、と涙を流しているが、何処から来ている涙なのだろう。

 有体に言えば、彼女はのっぺらぼうだったのだ。

『わ、私は……ノウと言います。あぁいや、のっぺらぼうさんを略して勝手にそう名乗っているだけですが……』

 ずん、と肩を落とす。その肩に灰色の鉛を背負っているかのようだ。鉛は肩から溶けて、体に染みて、少女……ノウの体全身を重くしている。ずるずる、と体勢を崩してから、もう一度座りなおした。

 隣に座った朝香が、その顔を覗き込む。

「……ですが、厳密に言えば貴方は普通ののっぺらぼうとは違うようですね。先程は、顔を作られていましたし」

『そうなんです。見慣れた顔を、自分の顔に写し取ることは出来るんですハイ』

 では先程までの顔は、実際に存在する、別の誰かの顔という事になる。

『でもやっぱり白い顔に戻っちゃった……やっぱり私ってダメのっぺらぼう……』

 いや、顔が無い方が実際はのっぺらぼうとして立派なのでは……と思うが、黙っておく。もっと泣いてしまいそうだ。

 ベンチの前を横切っていく人たちが、通りすがりにこちらを見る。どうやら困った事に、ノウは他の人の目に映るらしい。親子はおろか、兄妹で通すことも難しいだろう朝香が、少女を泣かせている不審者になりかねなかった。

 明は朝香の足元で体を伏せ、しっぽをゆらゆら揺らしながら。

「お前、写真に写りたいのか?」

『へぁ……はい……そういうことにしときます』

「そういうことにしておく?」

『あぁいえ! 写りたいです! 写りたくて写りたくて震えています!!』

 ユウに向かって慌てて首を横に振るノウ。

 ……明らかに。

(何か、隠しているみたいだけれど)

 詮索すべきではないのだろうか。今の違和感に気付いたはずだが、朝香も何も言わない。

『私、写真を撮るとどうしても元の顔に戻ってしまうんです。力が入っちゃうっていうか……緊張しちゃうっていうか? 顔を維持したままでいたいのに、それが出来なくて』

「なるほど」

 朝香がうなずく横で、ユウも納得する。つまり、顔がある状態の自分の写真が撮りたいというわけだ。何に使うのかはさておき。

(でも、ノウちゃんが作る顔って『別の誰かの』顔であって自分の顔……では無いのよね)

 顔を持つ写真が撮れたとしても、ノウ自身の顔ではない。

 朝香は少し思案した顔を見せると、手元のカメラに「レン」と呼びかけた。カメラの輪郭が、ぶるり。一瞬震えると、その撓んだ輪郭から分裂するようにレンが姿を見せた。

 透明な瞳が朝香を、そしてノウを見る。

 色も温度もない瞳に驚いたのか、少女は『ヒッ』と息を引きつらせた。

「顔の写った写真が撮りたいみたいだけど……何とかなる?」

 数回。瞬きをすると、朝香の耳元に顔を寄せる。

「……合成みたいなもので良ければ、って言ってるよ」

「合成だったら、もう何とでもなるわね……」

「まぁ顔のある写真が欲しいだけだったらそれでも良いんじゃねぇのか」

 明は適当だったが、一理ある。

 しかしノウはそれ程納得出来ていない様子で、『うぅ』と呻いていた。彼女に顔があったなら、苦い顔で目を逸らしていたことだろう。

『いや~それじゃ意味無いっていうか……その、写真をどうにかするんじゃなくて私をどうにかして欲しいというか、その、顔を保つ方法? 精神を鍛える方法? あの、緊張しない方法って無いですか?』

「あぁ? 何だそれ、訳分かんねぇ話になってんぞ」

「話の論点が変わってきているし……」

『ひぇぇ』

 あわあわ、とノウの真っ白い顔に冷や汗だけがたらたら流れていく。

 ユウと明と朝香と、そしてレンが顔を見合わせた。彼女の話を聞く限り、「顔のある写真を撮る」という目的には重きを置いていないように思える。寧ろ何か別の目的があって、その為に「顔のある写真を撮る方法」……ひいては、「自分の顔を保つ方法」を知りたがっているような。

 何れにせよ、ユウたちには解決方法が検討も付かないのだが。

 いよいよ怪しさ満点のノウが頭を抱える。

『わーん何て言ったらいいの!?』

「あの、ノウさん。本当の事を仰ってください。貴方は何を目的としていて、何がしたいのですか? 本当に、写真を欲しているのですか?」

 朝香が優しく尋ねる。

 ノウはぴたりと動きを止めた。慌ただしい動きが止むと、一気に彼女の感情が認識出来なくなる。無に塗られた顔をそっと落として、観念したように、口|(?)を開いた。

『女の子を……友だちを、元気にしたくて』

 楽しげな談笑が夏風に吹かれ、このベンチまで届いてくる。けれどそんな声たちも遠くに、ノウは自らの経緯に思いを馳せた。

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