第2章 記憶、後悔、覚悟

第5話 記憶とスナップ写真

【5-1】

 先端を尖らせた日の光が、木の葉を貫きギラギラと光っている。

 こちらを逃さんと纏わりつき、絡みつく夏特有の熱。湿気は地を這いこちらに手を伸ばしてくるけれど、「彼女」がそれに捕まることはない。

 なぜなら彼女は、この世界の摂理から、半歩だけ、ほんの半歩だけ外れているところにいるから。


(これだけ眩しいのに……全く暑くないなんて不思議な感じね)


 窓際にいる彼女は、思う。

 視覚から入ってくる情報と、情報の入ってこない触覚の差異を覚えながら。日の光に透かされた、腰まである茶色の髪を揺らす。向かって左側、三つ編みに結んだ一房を指にかけて後ろに流す。


 ここは、「うぐいす写真館」。

 街の片隅にある、地元では知られた小さな写真館だ。

 そして、「彼女」……幽霊のユウが迷い込んだ場所でもある。

 飾られた写真。撮影器具。数々のカメラ。直射日光を遮るために存在する、柔らかなカーテン。木製の机に椅子。夏にしては涼やかに、しかし元来持つ暖かさをそのままに、その写真館は存在していた。


◇◇◇


 そしてその写真館の中は……緩みきっていた。

「……すごく伸びてるけど、アンタ大丈夫?」

 ユウは若干冷めた目で足元を見降ろした。机と椅子の足の間を縫うように、黄金色の塊が横たわっている。舌をだらんと出して、耳はその辺に放り投げたかのようにくたり垂れて。……有り体に言えばゴールデンレトリーバーなのだが。彼はふさふさの尻尾を気怠げに持ち上げて返事をする。

 本人からの反応を想定しつつ、ユウは一言。

「何か……夏の犬の姿って感じ」

「犬じゃねぇっっ!!!!」

 想定通りの反応に、半透明の肩をすくめた。

「元気そうで何より」

「お前わざとかよ!! しゃーねーだろ暑いんだからよ!!」

「はいはい。吠えるともっと暑くなるんじゃない?」

 犬(というと怒られるのだが)はガバッと身を起こし、ぐるるると喉を唸らせる。さっきまでのぐったり具合はどこへ行ったのか、ギラギラ輝く瞳が夏の太陽並みに厳しい。穏やかで人懐っこいレトリーバー系の犬とは思えない形相である。

 この犬と当然のように会話をしているのは、何もユウが幽霊だからで、特別な意思疎通が測れるようになったからではない。

 彼はアカリ。見た目は犬の姿をとっているが、その正体は、今は寂れたとある神社の狛犬らしい。今ゴールデンレトリーバーの姿でいるのは、とある青年の盲導犬を熟しているからであって、彼の本来の姿ではない……らしい。と言いつつ、ユウはこの姿以外目にしたことは無いのだけれど。

 ついでに添えると、謎の拘りがあるらしく「犬」と呼ばれるとキレるのも特徴だった。

「やっぱり暑いのね」

「テメェは良いだろうよ。暑さを感じねぇんだから」

「でも暑さを感じてなさそうなのは、こっちもそうじゃない?」

 目を向ける。

 ユウと机を挟んで向かい側に、微笑みながら二人の様子を見守っていた青年がいた。彼は長そでの白シャツに、その上一枚薄い朱のカーディガンを羽織っている。元々どこか浮いた雰囲気を醸し出す青年だが、それがさらに際立っていた。汗一つかいていない。

「ちゃんと暑いよ」

「「説得力が無い……」」

 声が重なる。なおも青年は微笑むだけだった。

 細波朝香さざなみあさか。「理由があってその場所に行けない人の代わりに写真を撮ってくる」という代行写真家。そして、「目が見えない」のに「霊的な存在が視える」という、特異な体質を持つ人間。

 ユウは約二か月前、たまたま立ち寄ったこの写真館で、朝香と明に出会った。生前の記憶が無いユウは──「ユウ」という名前すら持っていなかったのだが──今、ここでこうして彼らと行動を共にしている。

 地上にいるほぼ全ての人間、自然がユウを捉えることは出来ないため、それなりに心地いい居場所となっていた。

「暇そうだねぇ、朝香も、明も」

「そういうおじいさんも、暇そうですが」

 声を掛けてきたのは、「うぐいす写真館」店主のおじいさんだった。

 朝香の言葉にはっはっはと笑い、椅子を軋ませる。

「ここ最近、客が来ないからねぇ」

 がらん。人の少ない写真館の中には、おじいさんの笑い声がよく響いた。

 確かに、最近お客さんは来ていない。写真館の方も、朝香の仕事も、だ。そういう時期なのだろうか。

(しばらくは朝香の仕事に着いて回っていたから……こんなにのんびりとした時間も久しぶりね)

 一軒家。空き家。森。それに、病院にいる子どもたちのリクエスト。思い返せば、色々なところを回った。最後、病院での件を思い出すと同時……鼓膜の奥で、小さな小さな波音がさざめいて、少しだけ、顔を曇らせた。

 海へ立ち寄った時。ユウの中の知らない誰かは、勝手に嘆き、喜び、涙を流した。記憶の無い、ユウだけを置いて。

 一体あれがなんだったのか。どういう記憶だったのか。あれ以降、特に進展も無いけれど。

「あぁそうだ」

 緩み切った空気に、パチンと拍手の音がする。おじいさんの声に、三者三様、肩を震わせた。

「もしも暇なら……私の頼みを聞いてくれんか、朝香」

「おじいさんの……ですか?」

「あぁ。他の依頼が来たなら、そちらを優先してもらって構わないから」

 ユウは小さく目を見開いた。

 明もゆったりと身を起こし、何やら興味ありげにおじいさんを見上げている。

「それは、依頼っていうことでしょうか。あぁいや、お金を取るつもりはありませんが……」

「いいや。れっきとした依頼だよ。……それにきっと、相当苦労するだろうからな」

 後の方、小さくなる言葉。一体どういうことだろう。

 気が付けば暑さを蚊帳の外に追い出し。おじいさんの声だけに空気が注目するような、そんな沈黙が流れた。少々気の早い蝉の鳴き声が、遠く。遠くの方で鳴いている。


「『あるカメラ』を使って、写真を撮ってきて欲しいんだ。場所は、どこでもいい。問題はカメラの方でな……私が昔、持っていたカメラを探し出して欲しいんだよ」

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