【4-2】
◇◇◇
「はい皆さん、改めてご挨拶してね」
「「「こんにちはー!!」」」
「はい、こんにちは」
朝香は微笑んでしゃがみ込む。
病院内の中でも、「たんぽぽ園」という区画に連れてこられていた。園、といっても幼稚園や保育所の類ではなく、入院中、この病院を出られない子どもたちのために用意された教育施設のようなものらしい。
目の前には子ども、子ども、子ども。小学校高学年ほどの子どもから、まだ指を咥えている年齢の子どもまで。色々な子が一人と一匹を取り囲んでいた。その奥には、色鮮やかに壁や絨毯が彩られた広い子ども部屋。ガラス張りなので、中の様子もよく見える。絵本がつまった本棚。積み木などのオモチャ。なるほど、子どもたちのコミュニティが築けて、退屈が凌げる場所……それがたんぽぽ園、らしい。
子どもたちの視線の大半は、明に向いていた。ウズウズ。の文字が表情に出ている。
病院内なのだから、きっと動物もあまり見たことが無いんだろう。
皆に挨拶を呼び掛けた、年配の看護師が揚々と口を開いた。
「みんな、行ってみたい場所、あるかな? 今回はねぇ、このお兄さんが写真を撮りに行ってくれるよ」
わぁっと歓声が起こる。
「動物園!」「おうちの近くの公園」「学校!!」「僕のともだちのいるとこ」「まほうの国!」「ゆうえんち~」
子ども特有の、高く大きい声がたんぽぽ園の中に響き渡った。ぞろぞろぞろっと、声と挙手の大波が押し寄せる。慌てて看護師が宥めようとした。
しかしその前に、朝香がゆっくり子どもたちの前にしゃがみこむ。
「絶対一人一枚の分は撮るから、ひとりずつ、ね。お願いは午後に聞くから。ゆっくり考えてほしい。あとは出来れば、お兄さんの行けるところにしてくれると助かるな」
「おにいさん、まほうの国行けない?」
「うん、ごめんね。お兄さん、君みたいにまほうの才能無いんだ」
そっかぁ、と団体の中から声がする。
子どもたちはすっかり落ち着いた様子だ。
相変わらず、朝香がその場の空気感を掴む技量には感心してしまう。一人一人の声はきちんと聞いているのだろうし、声のした方にちゃんと顔を向けて話している。それに、人を安心させる穏やかな声色。
「あとね、これ皆にお土産」
「「「わぁーーっ!!」」」
「本当にすごいわね……完全に明への興味も失くしてるじゃない」
「何でちょっと残念そうなんだよ。……朝香は、人当たりが良いからな」
それに、と何かを言いかける。
しかし一瞬考え込んだ後、「何でもねぇ」と呟いた。黒目が迷うように揺れる。
「……? 何?」
「いや」
ゴールデンレトリーバーは、体を震わせるフリをして首を横に振った。
とりあえずリクエストを聞くのは午後、ということで看護師が彼らを解散させる。子どもたちは散り散りになって遊びに行った。
「ありがとうね、朝香くん。もう
「あぁ……はい、会いました。ここに来る前、書類を提出する際に」
看護師が、改めて朝香に向き直る。水井、という名前で見当は付かなかったが、朝香の言葉で分かる。あの、朝香を見知った風だった医者だ。あの医者然り、彼女も知り合いだったのか。
カリ、カリ。
音がするので、見下ろす。明が、居心地悪そうに前足で床を引っ搔いていた。薄く橙色に色づいた床。傷が付いてしまうんじゃないかと気になってしまう。
看護師は頬に手を添え、話を続けた。
「本当に、元気にやってるか私も水井さんも心配してたのよ。退院して以降、全然顔を見せてくれないから」
(退院?)
明を見る。明の方が朝香との付き合いは長いのだ。何か知っているんだろう。しかし彼は目を逸らすだけだった。ゆらゆら。しっぽが揺れる。
その揺らめきを見て、何だか心がざわつく。嫌な予感、とはまた違うが、それと似たようなもの。踏み入れても良いのか分からない領域に足を突っ込んでいるような、「ここに自分は居て良いのか」と思ってしまうような。もう動いていない心臓が、鳴り響いていると錯覚する。
すると朝香は、その空気を察したのか一瞬こちらを振り返った。不自然にならない程度に、軽く手を振る。問題はない、と。そう言っている。
「すみません。でも顔を見せていない、ということは健康ということですよ。それに、来るべき時には来てます」
「えぇ……そうね」
看護師が一回息をつく。
そのタイミングで、「
「じゃあ、私は行くわね。午後はよろしくお願いします」
「はい、こちらこそ」
話は終わったようだ。何となく、入っていた肩の力が抜ける。構えていた訳ではないけれど、安心した。
だからこそ。
次の言葉には、意表を突かれてしまった。
「それにしても驚いたわ……朝香くん、無事に退院したと思ったら、目が見えなくなってるんだもの」
◇◇◇
朝香の持ってきた「お土産」は、子どもが遊ぶ素朴なものの数々だった。
午後に入り、子どもたちのリクエストを聞いて回る。彼らは皆お土産で各々遊んでいた。折り紙。トランプ。紙風船。ふきもどし。ベーゴマといった、駄菓子屋で売っていそうなものたち。中庭に行けば、竹トンボやシャボン玉で遊ぶ子もいた。
子どもは全部で、二十四人。その一人一人に、丁寧に話を聞いて回る。そのどれも、スマホに録音してメモを取っていた。
「いちいち点字を打つのは面倒だし、一応文字は書けるけど、見返せないから……この方法が一番便利なんだよね」
「へぇ……」
人数の半分まで聞いて回ったところで、中庭で少しの休憩を取っていた。朝香がベンチに座り、その傍らに明が佇み、そしてユウは、「形だけ」ベンチに座っている。実際には透けているので、座っているポーズを取っているだけの姿勢だ。
何度か、ボイスレコーダーを再生する。大体どんな場所があるのか、聞いて検討しているようだ。
「それにしても、骨が折れそうね。二十四人なんて」
「そうだね。分担作業をするかもしれないな」
分担? と首を傾げる。朝香以外に写真が撮れそうな人物はいないが。
朝香は詳しくは何も言わず、録音された声を三周くらい聞いてから、頷いた。
「大体、三つに分類出来そうだね。動物園とか遊園地、『どこかの施設』の写真と、自分や友だちの家、『見知った場所』の写真と、山とか海とか、『自然の場所』の写真。この三つ」
当然だが、十人十色なリクエストだ。各々が、見ることの出来ない風景を頭に浮かべて、写真を望んだのだろう。
代行写真家。「理由があってその場に行けない人の代わりに」というコンセプトだったが、まさに子どもたちにとって、朝香の写真は「目」なのだろう。景色の額縁だけ届けて、時に音や香りも届けてくれるもの。本来広いはずの子どもの世界。彼らはそれを、想像力でしか描けない環境にいるのだから、写真はきっと、どうしても足りなくてもどかしい部分を、埋めてくれるのだろう。
朝香が何となく嬉しそうにしている理由も、分かる気がする。
小鳥遊は朝香に、この代行を無断で持ち掛けたようだが……朝香にとってはそんなことは、本当にどうでも良いのだ。
「じゃあ、残りの子どもたちにも聞きに回ろうか」
おうよ、と明は立ち上がる。
ユウも頷いた。
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