【2-2】

「町はずれにあるお化けや……じゃなくて、空き家の写真を撮ってきていただきたいんです!!」


 女子中学生三人組の中で、一番背の高い子がはきはきとそう言った。一瞬「お化け屋敷」なんて聞こえた気がするのだが。

「あたしたち、ゴールデンウィークの間に『地元の歴史』を調査することになっていて」

「何を調べようね……ってなったときにぃ、この町で一番古いお屋敷みたいなおうちがあることを思い出してぇ」

 長身女子に続き、眼鏡の女子、おっとりふんわりとした女子が代わり番こで事情を話した。なるほどこの三人は、その一番古いお屋敷を調べれば、この土地の歴史にも繋がると思ったわけだ。

 確かにこの町は最近建った一軒家やマンションが多く、小さな博物館やこの写真館など時折古い香りが紛れているが、それでも都市化が進んでいる。目に見えた状態で残るこの土地の歴史調査は難しそうだった。

「町はずれにある空き家……っていうとあれかね、元々、黒田くろださんが住んでいたお宅かね」

「それは分からないですけど」

「多分それです!!」

 おじいさんの口はさみに、元気に答える女子。雑だ、とユウはコケそうになってしまった。いや、それをきっとこれから調べるんだろうから、別に良いのか。

「でも、調べ学習なら自分たちで撮ってきた方が良いんじゃないかしら……」

「朝香に頼む意味は、あまり分かんねぇな」

 聞こえないと分かっていつつ、ユウは呟く。明も冷めた目をしている。それでも「可愛いー!」と背中を撫でてくる女子中学生の手は振り払わなかった。「しょうがないから子守りしてやるか」、という台詞が顔から見て取れる。

「……事情は分かりました。ですがなぜ僕に? これはれっきとした依頼ですから、お金が発生してしまいます。中学生……というと、もっと他のことにお金を使いたいのでは?」

 朝香はあくまで柔らかく、三人に尋ねる。

 三人は、顔を見合わせた。それから、何やら真剣な表情で頷き合い、背の高い子が代表して口を開く。

「怖いからです!!」

「「…………は????」」

 思わず、眉をひそめるユウと明。

「あのお屋敷知ってます? 私たちの間ではお化け屋敷って呼ばれてるんですよ!!」

「誰も住んでないしぃ、暗いしぃ、調べたいのはやまやまなんですけどぉ、ちょっと怖すぎるのでぇ」

「それ以外はちゃんとあたしたちで調べますから」

 お願いします! と、三人は同時に頭を下げた。

「……なんて言うか……」

「拍子抜けだな……」

 珍しくユウと明の意見が合致する。女子中学生にとって空き家……は、それは確かに怖いかもしれないけれども。

(まだ日も出ているし、大丈夫なんじゃないかしら……)

 そう考えた途端に、自分も幽霊であることを思い出して静かに苦笑した。

 おじいさんは、愉快そうに目を細めて、お茶を一口すする。代行写真家はあくまで全て朝香の一存でやっているため、口を出す気はないのだろう。

「なるほど……分かりました」

 朝香はユウや明と違って何も否定することなく、ただ微笑んだ。朝香にとっては、どんな理由があろうと依頼は依頼、に違いない。

「お受けしますよ。何か、写真を撮ってくるにあたってご希望等ありますか?」



 ──そんなわけで、今に至る。電車で目的地へ向かった前回とは違い、今回は徒歩で目的地まで赴いていた。もうそろそろ夏へと移り変わるだろうかという日の光は、じっとりと朝香に纏わりつくように差している。もちろん、透けてしまうユウには関係の無いこと。

「……にしてもあちーな……」

「うん、暑いね」

 朝香は涼しい顔をして明に返す。明は胡乱げな瞳で相棒を見上げた。

「……朝香の暑いも寒いも説得力ねーんだもんな……涼しい顔しやがって」

「それに、服も長袖だものね。暑くないの?」

「こいつ、一年中こんな恰好だぞ」

「嘘でしょう?」

 改めて彼の全身を眺める。今日は薄い灰色のTシャツ一枚に、少し淀んだクリーム色の上着を羽織っていた。それに普通のスキニーパンツを履いている。夏もこのままなのだとしたら相当暑いだろう。せめて上着を脱げばマシだろうが。

「やだなぁ、ちゃんと暑いよ」

「突然ぶっ倒れられても困るんだからよ、ちゃんと言えよ」

「分かってるよ。僕の場合、直射日光に肌が触れてる方が暑いって感じるんだ」

(……一理あるけれど)

 朝香の肌が透き通るくらいに白い理由が、何だか分かった気がする。見た目が細いのも加わって、朝香の輪郭はいつも弱くておぼろげだ。明が世話焼きになるわけだ。

「そうこう話している内に、着いたみたいだぞ。ここじゃねーか?」

 つい、と明が黒く湿る鼻を持ち上げた。ユウも朝香も、顔を上げる。もちろん、朝香は目を閉じたままで何も見えていない。

 その家──というより屋敷に近い──を見て、ユウは無意識に言葉を失う。

 圧迫感がある。第一印象で、そう感じた。沈んだ黒い巨体の、一匹の生き物に思えた。日陰を味方として、その怪しさを一層引き立てている。圧迫感がある、と感じたのはその大きさからか、それともこの屋敷が内包する、おそらく長い長い時間のせいなのか……分かりかねるが、茅葺の屋根はこちらまで覆わんとする勢いでこちらに穂先を伸ばしている。こちらに来いと手招きしているようで、逆に拒まれているようにも感じられた。不気味な、そして寂しい、家。窓、というより障子は換気のためか開けられており、春の風を受け止めている。

「……どう? ユウ」

 黙り込んだユウに気付いたのか、朝香がこちらをふと向いた。その声に我に返り、朝香を見つめ返す。

「……そうね、少し、威圧を感じたわ」

「威圧?」

「えぇ。価値ある古い家というのは分かるのだけれど」

 自分より長い時を眺めてきたこの家に、対する畏怖なのだろうか。

 そんなユウの一方、何も臆していない明がじっと家の中の暗闇を見据えている。狛犬、というのなら、この家よりも生きた年数は長いのかもしれない。

「……この家、何かいるな」

「え、また?」

 また、というのはユウが初めて同行した前回の依頼である。その時は、庭石が喋っていたのだが。明はまだ見定めているのか、家の中、ぽっかり空いた部分を見つめ続ける。

「やぁやぁ、細波さん、かな?」

 すると、横から声がかかる。

 六十代ほどの男性だった。髪の後退した頭を撫でながら、口元をペンチで歪めたような笑みを顔に浮かべている。垂れ下がり、査定するように細められた目元は、お世辞にも誠実そうな人とは言い難い。

 しかし話しかけてきた、ということは。

(……この人が、同行者? 何だか嫌な人ね……)

 この男性の印象に塗られ、家の「圧迫感」など気にならなくなってきた。この男性の方がよほど怪しい。見た目で人を判断するのは良くないか……と思うが、明も足元で胡散臭そうな目を男性に向けている。

「はい。僕が細波です。本日はありがとうございます」

「へいへい。渋田しぶただ。……それにしても、この家の写真を撮るのが目的と聞いていたが、まさか視覚障がい者とはねぇ。ちゃんと写真なんて撮れんのか?」

 しげしげと男性……渋田は朝香を食い入るように見つめた。その反応、視線にユウは顔をしかめる。それは確かに周りからしたら疑問だろうけども、どちらかというとこの渋田という男性からは、否定的な感情を感じる。視覚がないことを良いことに、嫌な笑みも惜しみなく滲ませているように見えた。

 朝香と渋田の間に割り入りたい気分だったが、ユウでは意味がない。明を見下ろすと、明は既に牙をむき出しにしていた。

「朝香のこと馬鹿にしてっと後世まで祟るぞゴラァ……」

 低く呻るように告げると、渋田も明に気付いたようだ。「おぉワンコか」とさして興味なさげな呟きに、「犬じゃねぇ!!」といつも通りの明。

「へー盲導犬か。初めて見たなぁ。このハーネスどうなってんだ? お?」

「ちょっと!」

 ユウが声をあげるがやはり意味がない。渋田は明に手を伸ばし…………パシ、と朝香がその手を掴んだ。渋田が朝香に視線を戻す。朝香はあくまで微笑んだままだった。

「……にーちゃん見えてんのか?」

「いいえ。でも気配くらいは分かりますから。……こいつ、よく噛むのであまりお手を近付けない方がよろしいかと」

 そんなこと初めて聞いた。と思ったが、確かに今の明は臨戦態勢で、渋田の手を噛むくらいやりそうな空気だった。朝香の崩れない表情を見て、渋田は眉を顰め、手を振り払う。

「それより、案内していただけると嬉しいです。立ち入りは三十分と聞きましたし」

「……ふん」

 渋田はそっぽを向いて、どしどし寂れた門へ歩いていった。朝香は首にかけたカメラを気にしながらしゃがみ、数回明の頭を撫でた後、肩をすくめた。

「……少しは怒れや」

「矛先が僕だけである内は、気にならないから大丈夫だよ。……ユウもありがとうね」

「いや、私は何もしていないけれど……大丈夫なの?」

 渋田は何かをはき違えているようだが、目が見えないとはいえ人の感情に鈍感であるとは限らない。特に朝香はこう見えて聡いし、自分に向けられたものを理解しなかったわけではないだろう。

「慣れているからね」

「……慣れてるって……」

 明が落ち着いたのを確認すると、朝香は立ち上がった。一人だけ何事もなさそうな顔をして、「行こう」と告げる。

「ちゃんと依頼をこなさないとね。……全体が大体見える外観の写真を一枚と、中で一番広い部屋を一枚」

 ユウと明は一瞬視線を交わす。本人がそれが最優先事項だというのなら、仕方がなかった。

 三人は渋田の背を追う。ぞぉ、と不気味な音で鳴く風が吹いた。

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