第2話 中学生とメッセージ写真

【2-1】

 優しい春の雰囲気が、ぎゅっと詰め込まれたような場所に、空気の中に、その建物は抱かれるようにして建っている。今日も今日とて温かい風が吹いていた。


 『うぐいす写真館』


 紙とインクの柔らかい香りに包まれた、ぽつねんと建つ写真館。



 生前の記憶が無い幽霊少女、ユウは先日ここに来たばかりだった。人にも自然にも相手にされず、孤独に数ヶ月、ただ漂っていた……のだが。

「だから、謝ってるじゃないの」

「そうだけどよ!! オメェはオレが犬じゃねぇって何度言やぁ分かるんだ!!」

 ぐるるる、と怒って呻るゴールデンレトリーバーに、目をつむってやれやれ首を横に振った。最近では、こんなことが毎日だ。人(?)と関わる機会が出来たどころか、口喧嘩をする関係まで完成している。それにしてもこのゴールデンレトリーバーは怒りの沸点が低すぎる気がするのだが。

「頭では分かってるわよ。ただ見た目は犬なんだもの。というか、何でそんなに犬って言われたくないの?」

「犬と狛犬は違うんだよっ!!」

 このゴールデンレトリーバーはアカリ、と言った。何でも、犬の姿を取っているだけで正体は狛犬らしい。

 ユウは小さくため息をついて、机に肘を着いた。写真館の窓際にある木椅子、そこにユウは腰掛けていた。と言っても、彼女に触覚は無いので、「そのポーズを取っているだけ」ということになる。目を温めるような、朝方の薄青い光。きっとこの陽だまりは温かいんだろうけれども、この透明な体はそれすら感じ取れないのだった。

「明や、おはよう」

「おーっすじーさん、はよ」

 すると、ユウの向かいの椅子に一人の初老の男性が腰掛けた。その右手には湯気の立った湯呑。淀んだ新緑の色が覗く。緑茶だろう。

 男性は明の黄金色に艶めく背中を撫でると、お茶を一口すすった。彼は、このうぐいす写真館の家主……店主、だったはずだ。当然ユウは話したことがない。そもそもこの写真館でユウを捉えているのは明と、もう一人だけなのだから。

「おはようございます、三人とも」

 噂をすれば、だった。

 人柄をそのまま音に乗せたような、柔らかい声が流れてくる。どこまでも「普通」の人間の雰囲気を纏い、しかしどこか異質な空気も漂わせる青年。その瞳は固く閉ざされたままだった。

「おはよう朝香」

「おはよう」

「はよ」

 青年……細波朝香さざなみあさかはくるっと三人の顔を見渡す素振りを見せる。ユウは席から立ち上がり、「ここに椅子あるわよ」と促した。ありがとう、と笑った朝香が、その席に着く。

「朝食の食器、流しに入れておきましたから。……何も手伝えなくてすみません」

「いやいや。朝香は食器をよく割るからなぁ」

 半分冗談交じりにおじいさんは言った。その声に、責めている色は無い。朝香とおじいさんに血縁関係は無いらしいが、そのまなざしは、孫を見るようだった。

 朝香は、目が見えない。しかし、「幽霊や人ならざる者は『視える』」という特殊な体質を持っている。いわく「目は見えないので存在を感じ取っているだけ」らしいが、理屈はよく分からないのだと言う。

「それにしても、『三人』とはねぇ。私にはよく分からないが」

 おじいさんが木椅子を軋ませて笑う。きぃ、という音。木椅子は、標準体型だが比較的長身のおじいさんの体をよく受け止めた。

 彼は、朝香の目のことを知っている。そのためユウや明のことも「存在だけは」知っているという様子だった。おじいさんがどれだけ視線を巡らせても、ユウとおじいさんの目は合わないのだけれども。

「ふふ、ユウは明の隣にいますよ」

「一度も話せない、というのは何だか寂しいねぇ、明は犬だから、こうして普通に接することが出来るんだけど」

 もう一度、明の背を撫でるしわしわの手。「犬」と呼ばれた明は少々不服そうだったが、さすがにおじいさんに噛みつく気は無いのか、尻尾をたすんと床に打ち付けるだけで落ち着いた。

「そもそも明ですら、私には普通の犬にしか見えんからな」

「オレの声聞こえねーもんなぁ、じーさん」

 ウォッ、と鳴いた明の喉元を、今度はわしゃわしゃ。

「ユウちゃん、だったかな。彼女ともいつか話してみたいものだ。まぁその日は近いかもしれないけどな」

「おじいさん、あまり不謹慎なことは言うものじゃないですよ」

「そうよ。おじいさんまだまだ元気じゃない」

「ユウもこう言ってます」

「『こう』、が分からないんだなぁ」

 朝香とおじいさんは顔を見合わせて吹き出した。その様子を見て、ユウの顔からも思わず笑みがこぼれる。足元で明だけがのんびりあくびをしていた。

 そんなのんびりとした朝。写真館の扉のドアベルがからりからりと鳴って、来客を告げた。

「こんにちは~~!!」

「代行写真家さんっていますか~~!!」

 まだ微睡むようなゆっくりとした時の流れに、パリッと煎餅を割るような元気な声色。中学生の女子、三人組だった。


 ◇◇◇


 『町はずれの空き家の写真を撮ってきてほしい』


 これが、今回の依頼内容だった。「理由があってその場所にいけない人の代わりにその場所へ足を運び、写真を撮ってくる」。それが朝香の、代行写真家としての副業である。

「地元の中学生さんが、よく僕のこと知っていたなぁ」

「宣伝は特にしてない、って言っていたものね」

「っていうかよぉ、自分たちで撮ってこいやってオレは思うんだが」

 道中の三人。その依頼を受けたのは既に数日前の話だった。まず空き家、となると自治体か所有者に立ち入りの許可をもらわなければならない。その手続きを行い、なおかつ管理者一人の同行が必要とのことで、予定も擦り合わせていたら数日後となった。今は午後二時。太陽が真上で燦燦と照り輝いている。

「僕は、報酬がしっかり貰えればそれでいいよ」

「しっかりしてるのね……学割とかあるの?」

「ありませんよ、商売ですから」

 おどけた調子で朝香は言う。けれどその後すぐ、「まぁ撮る点はしっかり細かい注文があったから、そんなに枚数は撮らないだろうし、安く済むとは思うよ」と続ける。その顔を見るに、結局学生からはそんなにお金を取る気では無さそうだ。

 ユウは、盲導犬として朝香を先導する明の尻尾を眺めながら、数日前の朝のことを思い返した──……。

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