【1-3】

 数秒の沈黙があった。どうやら朝香は驚いているらしい。ユウもそうだった。心霊写真、と言えば、写真館で撮っていた三人家族の写真に映るという白いもやのこと。朝香の背中越しに、明を見る。この場所で何かが分かったのだろうか。玄関扉。チャイム。扉の側に植木鉢、花。石畳。庭石。特に変わったものは無さそうだが。

「何が、分かったっていうの?」

 ユウの問いかけに、明はたすっと、尻尾を地面に軽く叩きつけた。ついでにふんと鼻を鳴らして。

「こいつが犯人だよ」

 ちらりと動いた視線の先を追う。……玄関、植木鉢の側に置かれた、一つの大きな庭石しかそこには無い。ごく一般の庭石、庭石にしては小さめのサイズかもしれない。大型犬である明の背丈より少し小さかった。ユウは眉をひそめる。

「……石じゃない」

「だぁーもう!! 幽霊の癖に霊感は人並かよめんどくせぇな!!」

「悪かったわね」

 ということは、朝香には何か分かっているのか。朝香を見ると、その横顔が少し驚いたものだった。ユウには、本当にただの石にしか見えない。

 しかし。

『犯人って何ですかぁぁぁ……心外ですぅぅ……僕は無実で』

「っるせぇな黙れ!!!!」

『ひぃぃぃぃん……』

 何か、聞こえた。

 なよなよとした男の声が。無論、この石から。

 思わず、ユウは訝しげな顔をする。

「……石って喋るの?」

 呟くが、驚いているのはユウだけだし、何より犬(と言ったら怒られるが)も喋るのでもう今更という感じもした。

 明に怒鳴られた石(?)はぺそぺそ泣いている。人間にイメージすると、病的に細身で眼鏡のいかにも気弱そうな成人男性が、不良にたかられて泣いている様子が容易に想像できた。

「物には魂が宿ることがあるんだよ。付喪神は知っているでしょう? この方もそんな感じかな」

 石を「方」呼ばわりする朝香に違和感しか覚えない……が、そういうことらしい。

 石は朝香の優しげな声色に気付いたようだ。顔はないが、顔があったら朝香に視線を向けていたことだろう。

『あぁ人の方。貴方はとてもお優しそうだ……どうか、どうかこの犬から僕を救ってください……』

「オレぁ犬じゃねモゴッ」

「アンタ何でもかんでも突っかかるんじゃないわよ」

 ユウが明の口を塞ぐ。無意識にとった行動だったが、明に触れられたのはきっと明も霊的な存在だからだろう。明は不服そうに「ぐるる」と喉を鳴らしたが、朝香の話の妨げになるかと思ったのか、大人しくなった。

「犯人、といっても責任追及がしたいわけではないのです。ただ理由が知りたいだけで……何かご存じではないですか?」

『さっきから何が何だか……そもそも何があったんですか? 殺人事件ですか?』

「そんな大事件じゃないですよ」

 朝香は写真館での心霊写真でのことを話す。石は「ふんふん」と頷きつつもそこに納得や心当たりの色は無かった。説明後も「ふーむ」と声を唸らせるばかりである。

『本当に分からないです……というかなぜ、その、犬さんは』

「チッ」

『ひぃぃぃ……あの、なぜ僕が犯人だと思われたのでございましょうか、です』

 石は明に怯え切った結果、ヘンテコな敬語で明を伺う。

 明は、ゴールデンレトリーバーにしては鋭い目付きを光らせ、口を開いた。

「お前、あの家族がここに住んでいた頃からここにいるだろ」

『えぁ、はい……住んでい「た」?』

「前の家族がもう別の家に越したって知ってるか?」

 一瞬の沈黙。

『え、えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?!?!?!?』

「うるっっっっせ!!!!!!」

「アンタも人のこと言えないわよ!!」

 石と明の叫び声に、キンキンと唸る耳を塞ぐ。普通なら通報案件だろうに、人間からすれば閑静な住宅街のままで世界が回っているのだろうから、案外生者の世界は平穏だなと思う。

 朝香一人は涼しい顔をして、石の前に座り込んだ。

「ご存じ、無かったのですか?」

『えぇ……えぇ、知らなかったです……』

 あからさまに、石のテンションが落ちた様子が分かる。前の家族が別の家に越した、という情報だけで、こんなに落ち込むものだろうか。じめ、じめ、と明らかにここの湿度が上がった。

『うぅ……僕……この家が建った時からいて……お父さんとお母さんとちびっこちゃん……僕はみんなみんな大好きだったのですが……そうですか……』

 置いていかれた……と小さく呟く石。心なしか「ズーン」という効果音と、仄暗い黒の背景が石の周りを取り巻いている気がする。

(そんなに、家族のことが好きだったって言うの……?)

 庭石、なんて人間からすると、置いた後は管理を除けば放置してしまう存在。その家族に特別、何かをしてもらったわけでもないだろうに。好き、だったんだろうか。石の方がこんなに人を好いている所を見てしまうと、何だか虚しい。よっぽどのことがなければ、人間「引っ越しに庭石も連れていくか」とはならないだろう。

 うじうじとし始めた石の、呟きは続く。

『お父さんとお母さんが新婚の時、二人で住み始めた家なんですよぅ。そんな大事な家にこんな石めを置いてくれたんです……このご慈悲は一生涯忘れません……』

「さすがにその意志は重いかと思うけれど……」

「石だけにな」

「誰かこいつの座布団持って行って」

「何でだよ」

『僕は動けないこの身ですが、沢山の……沢山の時間を彼らと共有したつもりでした……お父さんが家族に「行ってきます」と言えば、僕は家族と一緒に「行ってらっしゃい」と返しました。怪しい訪問販売のおじさんがやって来たときは、言葉こそ通じずとも精一杯にお母さんと「帰れハゲ」の念を送りました。ちびっこちゃんが入園する朝には、玄関で写真撮影をするのに、僕も一緒に映りました。友だち、出来るといいね、と応援の声をかけると、ちびっこちゃんは僕の頭をぽこぽこ叩きました。本当に、本当に楽しかったんです……意思疎通を図ることが出来ていた、気になっていたのですが……所詮は「気」ですね……うぅ……』

 石の声は寂しげで、それでも優しく柔らかかった。彼の中にある思い出を、言葉に出す。そうすることで、様々なことを思い出したに違いない。今語らなかったユウたちの知らない物語も滲み出て、優しさとなって、声に乗った。表情に見えなくとも、そう分かる。

 それが今ここに戻ってくるものではないものだと分かっているからこそ、段々とユウの胸は締め付けられていった。

 居たたまれなくなって目を逸らすが、朝香も明も何も言わない。

『……でも、うすうす分かっていたのも事実ですよ。ある時からこの家には、僕の知る顔ではない方々が出入りするようになりました……僕の見知ったお父さんお母さん以外に、ブルーシートを張っていった沢山の人たち。あれが境だったんですね……あの蟻さんマーク……』

「引っ越し業者さんですね」

『えぇそうだったのでしょう……はぁぁぁ……しばらくしてその方々がいなくなったと思ったら、家族もいなくなっておりました……それから数か月後に今のご家族が出入りするようになりましたが……そうですか。もう、彼らは帰ってこないのですね……』

「…………なるほど」

 朝香は同情と納得を交えたような声色で、呟く。



「幽霊写真の真相が、僕にも分かりました。……あの白いモヤはあなたの生霊ですね」

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