【1-1】
◇◇◇
「……は……?」
彼女は何よりも戸惑いの感情が先に来て、気付いたら顔をしかめていた。自分に話しかけているのか? 本当に見えているのか? そしてなぜ普通に話しかけてくるのか……何もかもが、よく分からない。
彼はというと、彼女のしかめ面が「犯人として疑われて心外だ」という意思表示に見えたのか、「やっぱり違うよねぇ」と呟いて腕を組む。自分の存在が至極当然のように、扱われている。いわゆる「視える」人、ということだろうか。
「とりあえず、今日のところはお帰りいただいて、また後日お越しいただいた方がいいのではないでしょうか……お手数をおかけしてしまいますが、この調子じゃ今日は無理でしょう」
「そうだねぇ」
男性は頷き、三人家族の方へ事情を説明しに行った。それを見て、青年がこちらに向き直る。
「……驚かせてしまってごめんね。君、僕みたいな人に会ったのは初めて?」
「……えぇ。視える人に会ったのは初めてよ」
そっか、と彼は柔らかく笑った。ゆったりとした口調が、こちらの警戒心を自然と解いていくような、そんな感覚がした。その間も、ずっと目は閉じられている。
彼女は彼の顔を少し覗き込む。
「もしかしてあなた……目が見えないの?」
「うん」
存外あっさりと頷かれて戸惑ってしまう。彼にとっては、もう慣れたことなんだろうけれども。
「目が見えない……のに、私は視えるわけ? 一体どういう事?」
「それは、残念ながら僕にも分からないんだ。君のことだって、目を使って『視てる』というよりかは、『感じてる』の方に近いし……まぁ、人体の神秘だと思っておいてくれたらいいよ」
それにしては、顔がしっかりとこちらを向いている。見えていないのに視えている……想像しても分かりはしない、不思議な感覚だった。
「僕は、
「私は……生きているときの記憶がないの。だからふらついていたわけだけど。好きなように呼んでくれていい」
「なるほど。……じゃあ幽霊だから、仮にユウと呼ぶね。雑?」
「いいえ。後腐れなくていいと思うわ」
どうせ、ここに長くいるつもりもない。が、けれど現時点で、彼女……たった今「ユウ」と名前の付いた少女は、ここのことに少し興味が湧いた。柔らかい雰囲気に包まれた写真館。「目が見えない」のに「幽霊は視える」という青年。だから、ほんの少しの好奇心でもって、尋ねてしまう。
「さっき、何か話していたけれど、何かあったの?」
「あぁ。仕事で撮った写真に、白いモヤみたいなものが映ってしまうんだ。何回撮っても」
写真を差し出される。「あなた、そのモヤは見えるの?」と問うと、「見えないけど、霊的なものだから存在は分かるよ」と返された。何とも、不思議なことである。
ユウは写真をまじまじ見つめた。なるほど、確かに館内にいる三人家族の後ろにモヤのようなものが霞んで見える。カメラの不調、ではきっとないのだろう。
「カメラの不調ではないんだ。今日他のお客さんを撮った時はこんなこと無かったし、何よりレンもカメラに異常はないって言ってたから」
ユウの思考を読み取ったように朝香が言う。
この家族にだけ起こっている現象、ということだろうか。
「あの……すみません」
朝香が振り返る。声をかけてきたのは、三人家族の中の父親のようだった。もちろん、ユウのことは全く視界に入っておらず、依然として柔らかい笑みをたたえている朝香を見ている。
「はい、何でしょう」
「細波さんは、『代行写真家』としての仕事もしているとお聞きしたのですが」
「代行……写真家?」
「はい、していますよ。よく知ってますね」
「たまたま噂で聞いたんです」
父親は、心なしか声を弾ませていた。よく知っていると感心したということは、それほど有名ではないということだろうか。そもそもこの「うぐいす写真館」自体、小さな場所であるけれど。
「依頼を、してもよろしいでしょうか……?」
おずおずと、尋ねる調子。朝香はそっと自分の胸に手をあてて。
「えぇもちろんですよ。出来る限りのことは致します」
父親は少し期待に瞳を煌めかせると、後ろにいる自らの妻を振り返る。そして、二人で目を合わせて頷いた。娘であろうまだ小さな少女だけ、退屈そうにゴールデンレトリーバーに構っていた。
「では、お願いします。……私たちの、前に住んでいた家の写真を撮ってきていただきたいんです」
◇◇◇
『前に住んでいた家の写真を撮ってきてほしい』
曰く、三人家族は数か月前この近くに越してきたらしい。前に住んでいた家にはもう既に新たな居住者がおり、自分達では写真を撮りに行くのは気が引けるのだと。
「事情があってその場所に行けない人の代わりに、その場所の写真を撮ってくる仕事?」
ユウは思わずそっくりそのまま、朝香の言ったことを復唱してしまった。春の日が柔らかい光でもって道筋を照らしてゆく、仕事の道中のことである。朝香の前では先ほどのゴールデンレトリーバー──彼の盲導犬らしい──がてくてく歩いていた。どこかその表情が冷めているのはユウの気のせいだろうか。
「うん。僕はあの写真館に住まわせてもらってるけど、ほら、僕目が見えないだろう? あと恥ずかしながらカメラに詳しくないし、全然役には立てなくて」
逆になぜあの写真館にいるのか、疑問だがとりあえず黙っておく。
「だからせめて何か出来ないか……と思ってひっそりやってる仕事なんだ。大抵僕はおじいさんの補佐をしてるし、大々的に宣伝はしていないから、頻繁に依頼が来るわけじゃない、知る人ぞ知る、みたいな感じの仕事かな」
「なるほどね。……けど目が見えないのなら、この仕事も同じように出来ないのではないの?」
「それはまぁ、着いてくれば分かるよ」
朝香は前を見据える。ユウも前を見た。ここまで電車で五駅を経てきたが、あとどれくらいで着くだろう。目的地も知らないだろうに、先導し続ける盲導犬に少し感心する。
「……アンタ、着いてくるのはいいけどよ、邪魔はすんじゃあねぇぞ」
突然怒られてしまってユウは小さく目を見開いた。それから朝香を見る。やはり迷惑だっただろうか。
「えぇ、邪魔はしないつもりよ。邪魔だったなら別のどこかへ行くし……」
「ユウ。今のは僕じゃないよ」
え? と首をかしげてしまう。朝香は苦笑しながら、自分の足元を指さした。……正確には、ゴールデンレトリーバーを。
数秒の間。
「……え!? この犬!?」
「犬じゃねぇ!!」
「いや犬よね……?」
鼻をふすふす鳴らして憤慨する犬(?)。「犬が話している」という衝撃よりも先に、「犬じゃない」と怒られたので自然とツッコんでしまった。穏やかな朝香の声とは対照的な、「オラついた不良の兄貴」のような印象を与える声である。
「……あなた喋れたのね」
「悪ぃかあぁん!? てめぇも幽霊だから変わんねぇだろうがゴルァ!!」
「どうどう落ち着いて。そんなに怒らなくてもいいじゃない」
「朝香は優しすぎんだよ」
彼は呆れた調子で頭を横に振った。傍から見れば犬なので、その仕草にとても違和感がある。朝香はしっかりこの犬を捉えているようだ……ということは。
「あなたも、霊的な何か?」
ユウが尋ねると、「ふんっ」と機嫌悪そうに再び鼻を鳴らす。なぜこんなにも敵視されているんだろう。ユウと朝香に対する態度が違い過ぎる。
「オレは
「狛犬だから、犬の姿なの?」
「だぁから犬じゃねぇって言っとるだろが!!!! 狛犬と犬は違ぇよ!!」
「今犬の姿でいるのは事実じゃない」
「いい度胸の女だな噛みちぎっぞ」
「こらアカリ」
朝香にたしなめられると明が渋々口をつぐんだ。「犬」と言われるのが地雷らしい。もはやキレ芸に見えてきた。
「……朝香にゃ恩があるんだよ。だから盲導犬の姿でこいつと行動してるってことだ」
「最初は少し怖いかもしれないけど、こう見えて頼れるお兄ちゃんだから安心してね」
「こう見えてって何だ朝香」
麦色の毛がふるりと揺れる。なるほど、いいコンビには違いないらしい。
すると、明がピクと耳を動かして、顔を持ち上げた。くんくんと鼻で匂いを嗅いでいる。それと同時に朝香も顔を上げた。
「着いたみたいだね。今回の目的地だ」
「……ここが」
ユウはぽつりと呟く。
何てことのない、何の変哲もない一軒家が、そこには佇んでいた。
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