花とかけはし鶯

冬原水稀

第1章 幽霊と写真家青年

第1話 家族と心霊写真

プロローグ

 暖かい春の日が、芽生え始めた木の葉を透いてきらきら光っている。この光はきっと暖かいんだろうけれども、「彼女」にはもう感じられないものだった。


 春の日は彼女をもまた、透かす。

 しかし木の葉とは違い、彼女にはその暖かさも眩しさも、何も与えてゆかずに通り過ぎていくのだ。この世の森羅万象は、もう彼女に気が付くことはない。待つのは孤独。春とはほど遠い冷たさと、さみしさをはらんだ孤独だけが、彼女とともに歩いていた。

 幽霊である彼女と、共に。


(さて、ここはどこなのかしらね)

 十代後半か、二十代に差し掛かったくらいの見た目をした彼女は、ただ漂っていた。腰くらいまで伸びた、暗めの茶髪をなびかせる。右側で一房だけ、編まれた長い三つ編みは柔らかいミサンガを思わせた。

 適当に漂ってきたせいか、また知らない街にたどり着いてしまった。何もかも知らない場所は、暇つぶしにはなるだろうけど。

 そこで彼女はふっと顔を上げる。埃っぽいにおいに、誘われるように足が伸びていく。足なんてないのだが。

(館真写すいぐう……うぐいす写真館)

 隅が赤く禿げ、うぐいすの「ぐ」が消えかけた、その看板を読み上げる。壁もすすけたその写真館は、だいぶ古い場所のようだった。壁には元々のデザインなのかはたまた時間が付けたものなのか、薄いヒビ。しかしそれさえ「味」と呼べた。

 店の壁は半分がガラス張りになっており、中の様子が少しだけ伺える。ガラス越し、すぐ手前に、今までここで撮られたのであろう写真たちが、こちらに笑顔を向けていた。写真。なんて自分に縁のないものだろう。幽霊である自分は、写真になど写りはしない。

(……雰囲気は……素敵なところに見えるけれど)

 ほんの少しの好奇心と、偶然の気まぐれは彼女をその写真館に引き入れた。ふらふら、ふらふら、足のない、実体のない、ただ壁をすり抜けて中を覗いてみる。

 そこには七十代ほどの男性が一人と、二十代ほどの男性が一人、それに、三人家族がいた。三人家族は客だろう。スクリーンの前に置かれた木製の椅子に各々腰掛け、談笑している。だとするとあとの男性二人が、ここの写真館の人間か。二十代ほどの男性は、この店に合わず若すぎる印象を受けたが、老紳士の孫だろうか。

「……に、……が」

「……ね、……は…………です」

 声がよく聞こえない。もう少し、もう少し近づこうと思ったところで、足元に大きなゴールデンレトリーバーが眠っていたことに気付く。慌ててそこを避けた。実体はないので踏む心配はないが。……彼女は男性二人に注目していて気付かなかった。ゴールデンレトリーバーが一瞬目を開け、つまらなそうな瞳で彼女を見上げていたことに。

「……見間違えでは無いんですか。あぁ、疑っているつもりはないんですけど」

「あぁ、確かに写っているよ。ぼやっと白い影が……カメラの方には確かに問題ないんだが、しかし心霊写真と呼ぶにも荒唐無稽な話だ……何か見えんか、朝香あさか

 「心霊写真」、という言葉にどきっとする。自分は今ここに来たばかりなのだから、その写真に関係はないと思うが……写真に、何か写りこんでいたんだろうか。

 朝香、と呼ばれた青年はあたりを見回す。見回しているのに、なぜか目は閉じられたままだった。それから、彼女のいる位置で視線が止まる。

 いや、まさか……と思ったときに彼は口を開いた。



「この心霊写真って君のせい……じゃ、ないよね?」



 孤独に彷徨っていた幽霊の彼女。

 この写真館で、彼女は「視える」青年に出会ったのだ。

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