【4-5】

   ◇◇◇


 それから数日、三人は別行動を取ることになっていた。

「ここら辺がお煎餅系で、ここら辺がチョコ。ここら辺が遊べるお菓子系だね」

「遊べるお菓子ですか? それはすごいですね。どんなのが?」

「吹くと音が鳴るラムネとか、舌の色が変わるグミとか……あと、自分で練って遊ぶお菓子もあるよ」

「あぁ、いわゆる知育菓子というものですね」

「……朝香」

「ん? ……あぁ、その声はアカリ?」

 朝香は振り返る。多分、呆れた顔をしているんであろう明が……あぁ、今『ピント』を合わせてくれたので、分かる。本当に呆れた顔をして明が立っていた。

「何してんだお前……」

「駄菓子の説明を受けてた。次行くときのために、また何かお土産を買っていこうかなと思って」

「ん? 兄ちゃんの友だちかい?」

 駄菓子屋のおじさんが、明に対してごく普通に声を掛けてくる。朝香は「はい」と柔らかく頷いた。明は、今日は別行動をしていたはずだ。それが今ここにいるということは、頼んだ場所へ代行してきてくれたに違いない。

 朝香はというと、この駄菓子屋も撮るべき場所の一つだった。お土産はついでである。

 明はガシガシと頭を掻いて、ため息をつく。

「とっとと撮って帰っぞ……ちょっと疲れてんだよオレ」

「先に帰ってても良かったのに」

 朝香は苦笑してから、駄菓子屋のおじさんがいるであろう位置に視線を向ける。

「この辺のお菓子、適当に詰め合わせて頂いてもよろしいでしょうか? 大体、千円くらいになるように」

「はいよ」

 駄菓子をかき集めるための、カゴを取りに足音が店内へ消えていく。その音を聞き届けてから、朝香は杖を持って一歩外へ出た。明は見えているので、歩くのには困らない。

「犬の姿に戻っても良いけど。疲れるんでしょう? 人の姿でいると、僕に視えるように霊力を合わせなきゃならないから」

 朝香はカメラを構える。駄菓子屋の看板まできちんと映っているだろうか。首を傾げていると、「もう一歩下がった方がいい」、とカメラから小さな声が聞こえてくる。

 言われた通り、一歩。往来の真ん中でないと良いのだが……まぁその時は、明が注意してくれるだろう。

 その明──姿──は、小さく肩をすくめた。

「別に疲れるのはそれだけが理由じゃねぇよ。それに、今犬に戻ったらあのおじさんびっくりするだろうが」

「それもそうか。……何で犬の姿を取る時はそんなに疲れないんだろうね」

「オレが犬に近いって言いたいのか?」

「そんなこと言ってないって」

 かしゃっと。

 楽しく笑うようなシャッター音が転がり落ちた。

 開かれない目は柔らかい角度を描いて、カメラの窓を捉えている。まだまだ沈む様子のない夏の太陽は、朝香の背を燦燦と焼いて。逆光じゃなくて良かったな、と思った。

 カメラの先、誰かが想いを寄せる景色を想像して微笑む。

 その表情を横目で見ながら、明は呆れたような顔をした。きちんと写真は撮ったけれど、明は彼ほど写真撮影に情などは求めない。狛犬だから、というのもあるが、ありのままに景色を写し取るのなら、撮る側の感情の方は二番手に来ると思う。

 写真を撮る方法。タイミング。枚数。姿勢。回数。頻度。感情。

 それら全てが人間の生き方を表すのだから、仕方ないのかもしれないが。

「……朝香」

「ん?」

 明は、言う。


「お前は良かったのか? 小鳥遊陽子が依頼を持ってきた時点で、あの病院に足を運ばないといけないことは分かってただろ」


 夏の、湿った重苦しい風が、足元に纏わりついた。どこか、学校から帰宅する小学生たちの掛け声が聞こえてくる。

「何で?」

 朝香の声は、あくまで穏やかだった。戸惑いも動揺もなく、真っ直ぐな空気だけが、いつだって彼の周りにはある。

 かしゃっ。

 そのシャッター音も。

 揺らぐことはない。人差し指が震えないから。

「……気持ち的にあるだろ。何か。隠したいとか。まぁあの女は好奇心でとやかく聞いて来ない辺り、良いやつだけどよ」

「あまり無いかな……ユウはユウで、自分のことに手一杯だと思うし。過去を探してるんだもの」

 再び、明がため息をつく。いつもこんな調子だ。朝香は、自分のことは蔑ろな部分がある。ある意味夢乃というあの少女には、そんな所を見抜かれているのかもしれない。

 それからまた何枚か写真を撮り、二、三度風が廻った後。一度ゆっくり、朝香が息を吐いた。それを聞いていると、撮影に適度な緊張を抱いていたのだと、そう伝わってくる。

 胸元までカメラを降ろすと、明を振り返って笑った。

「ユウと言えば、その姿ユウに見せなくていいの?」

「何でだよ。見せモンじゃねーっつの」

 虫でも払う仕草をしながら、明が首を傾げる。

 可笑しくて朝香がもう一度吹き出す。とその時に、駄菓子屋のおじさんが、袋いっぱいのお菓子を持って出てきてくれた。



 耳に心地いいドアベルの音が、二人に「おかえり」と告げる。それに重ねるように、おじいさんの「おかえり」も奥から飛んできた。

「ただいまです」

「ただいまじーさん」

 帰りの途中、人気の無い場所で犬の姿に戻った明は、今は朝香の足元を歩いている。写真館の床には遅い時刻の夕日が差し込んでいて、ゴールデンレトリーバーの小麦色の毛並みを一層輝かせた。

 おじいさんが、奥の部屋からお茶を出してくれる。窓際の机にそれを置いて、自らも椅子に座った。

「駆け回って疲れたろう。夕ご飯の前に、一服したらどうだい? 茶菓子もある」

「ありがとうございます」

 見えないが、少ししてほんのり甘い香りを感じる。おじいさんも食べ始めたに違いない。

 朝香は席に着く前に、きょろきょろと写真館内を見回した。明も同様、見回している。恐らく同じことを思っていた。

「……ユウ、帰ってきてないんだね」

「迷子になったか、仕事放ってどっか行ったか?」

 明が冷めた口調でそう言う。そんなことは無い、と思うけれど。明も実際にはそう思っていない様子で、無意識に尻尾が揺れる。

「ん、帰ってきていないのかい?」

「えぇ」

 霊感は全くないおじいさんが首を傾げる。彼はユウが見えないのだから、一旦帰ってきたのかどうかも分からない。

 夏とはいえ、さすがに日は傾き始めている。幽霊相手にこんな心配をするのもおかしな気がするが、夜に一人、外にいるのだとしたら何となく心配だ。事件や事故など、普通の人間に対して抱くような心配をしてしまう。連絡を取る方法も無いのだから。

「……何も無いと良いんだけど」

「まぁ、幽霊なんて誰にも干渉されねぇし、大丈夫だろ。何かあるとしたら、霊媒師にでも退治されるか記憶が戻って成仏するかだ」

 はた。

 自分で言ったことに、明が動きを止める。

「…………まぁ、あいつに記憶が戻る予兆なんて無かったしな」

「記憶か……」

 朝香が考え込むように腕を組む。珍しく微笑みを消した顔で。

「今回ユウに行ってもらった場所の中で記憶を戻す何かがあった、という可能性は、否定は出来ないね。記憶が戻って早々成仏するかはさておき」

 なぜ、帰ってきていないのか。

 今夜はもう、帰ってこないつもりなのか。

 思えばユウがここに来てから、ユウと別行動するのは初めてのことであって、突然のことに驚いてしまうが、そう。

 本来ユウは、ここに留まっているはずもない存在なのだ。

 すっかり当然になってしまったけれど。

 それに、「ここに居たい」と望んでいたからユウはここに居たわけだが、そうでもなくなれば、すぐに別の場所へ向かうことだって出来る。

(……もしそうだとしても、ユウの性格的に、何も言わずに去っていくことは無いと思うけれど……)

 明は朝香を見上げていた。何だかんだで、心配をしているのは見て取れる。少し考えてから、朝香はいつものようにぱっと穏やかに微笑んだ。

「まぁ、考えていても仕方がないね。ユウが帰って来ない理由がいずれにしろ、僕らには探す方法も無いのだし」

「……そうだな」

「帰ってくるのを、待つしかないよ」

 朝香はしゃがみ込んで、明の頭を撫でる。彼は何か言いたげに朝香を見上げたが、それ以上に何も言わなかった。

 夜が来る。店を閉める。じっとりとした湿気が言葉すら落として、その夜の明はあまり喋らなかった。朝香は、明よりは軽い調子で、夏の夜を過ごす。

 結局ユウは、その夜帰ってこなかった。


《「たんぽぽと青写真」前編 終》

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