【2-完】

「おいっ何だこの犬っころ……っタヌキまでいやがる!! 追い出すぞゴラ!」

 明を振り切ってようやく、渋田が辿り着いてきた。その眉間には沢山の皺が刻まれ、「我慢の限界」と顔に書かれているのが見える。足元を見ると、明の他にも若いタヌキたちが渋田に群がっていた。チヨの連れる群れの仲間だろうか。どうやら、時間稼ぎを手伝ってくれたらしい。

(部屋を覗かれたら、チヨさんが見つかっちゃう……!)

 ユウがそう思うと同時、朝香がサッと部屋の入り口を塞ぐようにして立った。

「おいにーちゃん、時間だ」

「はい、本日はありがとうございました」

「ったくどうなってんだよ犬の躾はよ、そもそもにーちゃんはこの犬がいなきゃなんも出来ねぇんだろうが!!」

「すみません。だめでしょアカリ」

 朝香は涼しい顔で受け流し、明を見下ろす。明は利口にも、「ウォッ」と愛想よく鳴いてみせた。どうやら朝香の体でチヨは見えていないらしい。ユウはほっと息をついた。

 若いタヌキたちは渋田や朝香の足元をくぐりぬけ、ちょこちょこと部屋の中へと足を踏み入れていく。


 カサカサ。とてとて。ぼてっ。ウゥーーーン──……。


 渋田は苛立ちでそれには気が付いていないようだ。「出るぞ」と吐き出し、またあのどしどしという音を立て、玄関へと消えていく。

「僕らも行こうか」

 朝香は明のリードの手綱を握り、歩いていく。ユウはそれについていく前に、一度だけ部屋の中を振り返った。

 部屋の明かりは付いていない。外から差す光だけが、柔らかくその輪郭を浮かび上がらせている。若いタヌキたちはチヨの体を囲み、自分の体を淋しそうにすり寄せていた。


◇◇◇


「わぁっありがとうございます!!」

「これで調査もばっちりですよぉ」

 後日、女子中学生三人は再び「うぐいす写真館」へとやってきた。学校の帰りに寄ったのか、制服姿、そして制汗剤の香りを連れてくる。そういえば、もう汗ばむ季節だ。

 三人は依頼通りに撮られた二枚の写真を、共に覗き込んで。

「細波さん怖くなかったですか?」

「お化けとかいませんでした!?」

「いいえ全く」

 朝香はその様子を見て微笑んでいる。その足元では、例のごとく、明が冷めた瞳で女子中学生たちを見上げていて。「お化けならここにいるんだけれどね」とユウは静かに苦笑した。

 それから、表情はゆっくりと憂い気なものへと変わっていく。届けたいのだと、言ったチヨのことを思い返して。これで課題が出来るね、と笑い合う彼女ら。彼女たちはこの課題に取り組む間にどのくらいの調査が出来て、どのくらいその歴史に入り込んだだろう。

(……なんて、少し押しつけがましいかしらね……)

 ユウは目を伏せて、顔にかかった髪を後ろにはらう。

 ユウだって、チヨの話を聞かなければ意識しなかったもの。人はよほど他の機会がなければ、年に数回程度の合掌でしか、想像の付かない過去を追憶することは出来ない。それでも、自然と湧き上がった情念ならばその方がいい。

 他の人から押し付けられて過去を思うことには、何の意味も無いのだろうから。

 写真を見ていた三人。ふと、眼鏡の女の子が眼鏡をくいっと持ち上げた。

「あれ、この和室の写真、何かいません?」

「え、何!?!? 変なこと言うのやめて!!」

「ほら、このちゃぶ台の下、何かもじゃもじゃ……」

「幽霊写真なのぉ?」

「違うって。二人ともちゃんと見てよ」

 じぃっと。注意深く、そして恐る恐る。

 覗き込んだ三人の表情が、怯んだような顔から不思議そうな顔へと変わっていった。意味は無いが、息を飲んでユウはそれを見つめる。

「何これ……動物?」

「タヌキぃ?」

「細波さん、これなんですか!」

 視線が、写真から朝香へと映った。朝香は髪を揺らして、手を合わせる。

「よく見つけましたね。タヌキですよ。あそこに住んでいました」

「「「住んでた……??」」」

 三人の不思議そうな声は重なり、それから、まだらんらんと光る好奇心旺盛な瞳は写真へと位置を戻す。まだ真っ新な瞳は、写真の中に佇む和室の影を取り込んで、少しだけ光が弱まる。それは何も光が消えたわけではなく、丁度いい程度に抑えて、真っすぐに世界を見据える用意をした、かのように見えた。レンズを絞って、ピントを合わせるように。

 三人はしばし黙り込んで、その写真を穴が開くくらいに見つめていた。そのタヌキを見続けていたのか、和室の隅々までを観察していたのかは分からない。

「……って、すみません!! 何かマジマジ見ちゃって! 別に文句があるとかそういうんじゃなくて!」

「えぇ、分かっていますよ。……思う存分、見てあげてください」

 朝香の顔が、ユウの方を向いた。

 決してその瞳には映らないだろうけれど、ユウは微笑んでゆっくりと頷く。

「たくさん、見てあげて」

 ユウも呟いた。もしこの写真だけでは全貌を捉えきれないんだとしても、せめてその感触だけは、指先でつついてくれたなら。



 窓の外で日は傾き始めていた。夜闇の紫が、静かに歩み寄ってくる。うぐいす写真館も、それを穏やかに受け止めるように佇んでいた。

 部屋の隅をそよ風が撫で続けるまで、その姿かたちを失うまで、あの空き家もまた、きっと。




《中学生とメッセージ写真・終》

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