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第50話 見知らぬ朝

 広大は目覚めた――


 記憶はある。

 あるがしかし、しかしこの世界がAなのかBなのかがわからない。

 それも当たり前の話だ。

 今までだってそうなのだから。

 いきなり切り替わったりはしないだろう。

 傍らを観る。左。右。いない。

 広大は今、ベッドの上で一人きりだ。

 ただ――

 まず、服を着ていない。

 部屋にコンポが無い。

 多歌の持ち物も無くなっているが、確かに残されているモノがあった。

 匂いだ。

 このややこしい事態の始まりを告げた多歌の匂い。

 それが十重二十重に広大を包んでいた。

 

 ――多歌は存在するのだ。


 では、どういうことになるのか?

 広大は「習慣」で推測を始めた。

 多歌がいるのならば、それは世界がBだということだ。

 しかし世界が揺れ動いているなら、今度はAの世界に現れるはず。

 つまり世界は定まった――多歌が無事なBに。

 多歌の匂い。理屈。

 その二つが、多歌の存在――そして広大の目論見が成功したことを示唆している。

 だが、未だ広大にその実感は無い。

 何かもっと、決定的な……

「ただいま~って、コーダイくん起きてる? さすがに起きなよ。もう昼回ってるんだから」

 突如、多歌の声が響いた。

 玄関から。

 外出していたらしい。

 広大が起きている保証も無いのに語りかける多歌の声は、やたらに明るく――そして元気だ。

 その声に安堵のため息を漏らす広大。

 遅れて、多歌の言葉の意味を理解した。

「昼……?」

「お? やっと起きたね。お母さんから凄い連絡があってね。一度は帰らないと。で、荷物も送っておいたの。効率的でしょ? あ、コインランドリーでコーダイくんのも洗っておいたから。着替えはそこね」

 ベッド……の下を指さす多歌。

 その姿はキャミソールにショートパンツ。

 はじまりの九月一日を意識してのことなのか。

 あの時と違うのは――前屈みになった多歌の姿に、広大が反応してしまったことだろう。

 それを誤魔化すように、広大は気になっていた言葉を確認する。

「今、昼なのか?」

「そだよ。あ、もしかして起きたばっかり? ああ、そうだね。裸だもん。テレビ点けるよ」

 まったく多歌の勢いが止まらない。

 興奮状態なのだろう。

 原因は……考えるまでもないことだ。

『……ですと、この大学の先生と自殺された方とは』

『ええ。そういう噂がですね。在籍している生徒の方達からも伺っております、はい』

『それでこの……言葉を選ばなければ遠隔殺人というんですか? これに関しては?』

『これはハッキリしたお言葉はないんですけど……』

 昼のワイドショーは絶好調に下世話だ。

 いやいつも以上に踏み込んでいると言うべきか。

 生放送では編集も出来ていない可能性もあるが――

准教授せんせい。重要参考人なんだって」

「……捕まったのか」

「うん。今日の未明だって。だから私たちがクタクタになってる頃だね」

「その動詞も残ってしまったのか……」

 それだけは間違いなく「運が悪い」の範疇だろうと確信する広大。

「そんなわけで、私にも呼び出しがあるみたい。准教授せんせいが何か言ってるみたいだけど、私はほら。アリバイ完璧でしょ?」

「……そうだな」

 それもまた確信出来る広大。

 この「五日間」――呆れるほどに広大と多歌は一緒にいたのだから。

「だから一端帰るね。その先の事はこれから決めよう」

「僕も警察から話を聞かれそうだけど……先か……」

「そういう風にコーダイくんが計画したんでしょ? そしてそれは全部上手く行ったの」

「いや、それは……」

 いつも通り自分のやった事を疑う広大の唇を、多歌が自らの唇で塞いだ。

 そして唇だけを離し、補助線を引くように腕を広げ、そのまま広大の首に回した。

 口元には笑みを。

 眼差しには熱を。

 その全てが広大を捉え、広大の何もかもを奪ってゆく。

 さらに勝ち鬨を上げるように、広大に密着したまま多歌はこう尋ねた。

「ねぇ、コーダイくん。ここで質問。自分は運が良いのか悪いのか、ちゃんと観測出来た?」

 その問い掛けに、呆気にとられる広大。

 それでも、辛うじて言葉を返す。

「……キスと質問の順番がおかしいな」

 と。


 もはや離れる方法すらも“あいまい”な二人。

 やがて多歌の背中に回された広大の親指が――カクンと逆に曲がった。

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