第49話 サイゴになるか、最初になるか

 その告白を受けた広大は一言。

「へぇ」

 ただこれだけであった。

 そういった事情――あるいは関係性がある事は、確認するまでも無く確実であったのだから、広大としても他に感想の抱きようが無い。

 ベッドに寝転がり、シャツにジャージで何かを読んでいた広大がそれだけ反応出来ただけ大したものだ。

 だが、こうした広大の反応は予想の範疇であった多歌は、敷いてあった布団に座り込んで、こう尋ねた。

「ね、電気消して良い?」

「どうぞ」

 暗い中で読み続けても、別に視力が落ちるようなことは無い。

 それは広大も多歌も知っていた。

 ただ、疲労が溜まるだけなので、むしろ広大はそれを歓迎する可能性もある。

 だからこの反応もまた、多歌の予想通りだ。

 多歌は壁に背中を預けた状態でリモコンを操り、電気を消す。

准教授せんせいは、おかしな人だったの」

 その暗闇に押されるように、多歌が始めた。

「とにかく何でも、相手のせいにしちゃうのよね。どんなことでも『君が悪いんだ』から始める感じ」

 闇の中で、広大は確かに身じろぎしていた。

 予想外――だったのだろう。

「それで『でも君はそんな状態で済ませるわけが無い』とか『君なら必ずこうするはずだ』とか……」

「決めつける感じか」

 ついに広大から反応を引き出した多歌。

 だが多歌は焦らない。

「そうするとね、何だがおかしな気分になるの。変に気持ちがよくなるのよね」

「ヒバリさん、近くにスマホある?」

「……難しい言葉使うのね――どうぞ」

「『自己肯定』と『承認欲求』」

「じ……ええと、ああ、うん――そういうことだと思う」

「それ、凄く簡単な洗脳の手口だな――最初否定から入って、そのあとに脈絡無しで褒めるんだ。整合性は全くないんだけど、しゅ……一人一人が納得すれば済む話だし」

 そこで、グルンと広大が多歌の方を向いた。

「――変だな。ヒバリさんがそれに引っかかるとは……」

「おかしなことしてるのはわかってたの。で、私から『良いこと』の範囲に入ることをしたらどうなるのか? って、そんな実験?」

「それは間違いなく実験だな」

 広大はため息をついた。

「そこから、どうにかして城倉は『君が悪い』と徹底的に他罰的に振る舞って、君は『明月荘』に深夜行くように言われたわけだ。余りに無茶苦茶だから、逆に君はそれに興味を覚えた。だけど実際に行ってみると、イヤな予感しかしないから……」

 多歌はそこで怖じ気づいたのだろう。

 生き物として、まったく正しい本能カンで。

 思わず、通りすがりの広大に声を掛けてしまうほどに。 

「……概ね当たり。こんなの『科学の終焉』やってるようなものだけど」

「そうだな。答え合わせしてるだけ……」

「でも、そこから先がやっぱり変なのよ。コーダイくんは。准教授せんせいなんて問題にならないほどに」

 暗闇の中で見つめ合う多歌と広大。

 睨み合い――なのだろう。

 二人は視線を逸らさず――そして先手を打ったのは多歌だった。いや、広大には手持ちのカードは何も無かった。

 広大は“終わった”つもりだったのだから。

 その上、多歌の攻め手は技巧に彩られていた。

「私も賭けをするわ、コーダイくん」

「何を……」

「私はこれからコーダイくんを抱くから」

「……は?」

 多歌は、立ち上がり広大が寝転がったベッドの上に膝立てで乗っかる。

 そのままマウントポジションを取った。

「もう、耐えきれないの。コーダイくんが好きすぎて。それにこれは実験でもあるのよ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ……実験?」

「やっぱり、そこに引っかかるんだ。それも想定通り」

「え? え?」

「まず、論理的に利点を教えてあげる。これから私たちはクタクタになるから、そのまま眠れるわ」

「そ、そんな事……」

「そしてクタクタしたいって言うのは、万が一失敗した場合、私の“サイゴのお願い”になるのよ。コーダイくんって、良いことをしたいんでしょ」

「おかしな動詞を……」

 それだけが広大に出来た、わずかな反撃だった。

 もちろんそんな攻撃で多歌が止まるはずは無い。

「それに実験よ。このまま私とクタクタして、それで私が残った場合はそれはコーダイくんにとって良いことなの? それとも面倒ごとが増えたって思うの?」

「それ……は――」

「ね? わかんないでしょ?」

「けどこれはキミのことだぞ」

「そんな事、私が気にしないの知ってるでしょ」

 多歌は実験のためなら自分の身さえ放り投げる。

 それについては保証付きだ。

 だが、広大はそこに突破口を見つけた。

「そういう理屈なら“サイゴのお願い”なんて理屈が――」

「そうよ。これも観測してみなければわからないの。コーダイくんも。私も」

 それが多歌が画策したゴール。

 全ては“あやふや”なまま。

 しかし、この先ずっと「シュレディンガーの猫思考実験」を続けるなら、それもまた一つの答えなのだろう。

 理系でも無く。

 文系でも無く。


 ――ただ、人間として。


 広大は言葉を失う。

 いや、はじめから言葉は持っていなかったのだろう。

 そして多歌は、もう言葉を使う気が無かった。

 羽織っていたTシャツを脱ぎ捨てる。

 その下には――暗闇でもハッキリとわかる、多歌の裸身があるだけ。

 まろみを感じさせる下半身と、くびれた腰つき。

 その腰つきと対照的な乳房が広大を威嚇するようだ。

 実際、多歌の眼差しは猛禽のそれ。さらに口元では肉食獣のように舌なめずりをしている。

 組み伏せられた形の広大は、完全にすくみ上がっていた。

 それでも、何とか言葉を紡ぎ出す。

「…………嵌められた」

 と。

 それに構わず、多歌は裸身を弾ませて広大の身体にのしかかった。

 そして広大の唇に自分の唇をぶつけ、その攻撃力がまったく衰えぬまま――あるいは増大したかも知れない――多歌は上気した表情で最後通牒。

「覚悟しろ」

 そして、勝敗も“あやふや”になったまま――


 ――いつしか二人は眠りに落ちていた。

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