第46話 特別でも一番でも無い

 そもそも、広大にとって優先順位が高い問題とは、淵上ひとえの死にまつわる問題では無かったはずだ。

 AとBの世界を揺れ動く状態である事――それが最大の問題。

 これが解消されない事には……本当の危機から回避出来ないのではないか?

 だが、広大の返事はこうだった。

「実に理系っぽいな」

「どこが!? どう?」

 反射的にフォークを振り上げながら多歌が叫ぶ。

「処理の順番だよ。確かにその問題は説明しようと思ってたけど、そっち先に説明したら今日の『明月荘』の出来事の説明が全部おまけになるから」

「う……それはイヤかも」

「でも理系の手順としては、ヒバリさんの順番が正しいんだろうな、と思って。別に馬鹿にしたつもりは無いんだが」

「うん……ごめん。でも、その順番を気にするって事は――」

「多分“当たり”だと思う。そういう勘」

「聞かせて」

 多歌は居住まいを正す。

「まず……そうだな。分裂させたのは僕たちじゃ無い――もっと前に世界は分裂していたと仮定してみた」

「え?」

「“シュレディンガーの猫”」

 広大は、ポツリと呟いた。

「この言葉も色々な解釈が出来る……これが文系ならね。僕はその中で『要素だけを揃えて、結果がどうなるかはわからない状況を作り出すシステム』という感じに再解釈した」

「……うん、それはわかるわ」

「で、“シュレディンガーの猫”を用意したのは城倉だ」

「…………えっと……」

 多歌の目が揺らぐ。

 しかし広大は、もう止まらなかった。

「関係のあった淵上ひとえ。そして戸破多歌に殺し合いさせる状況に追い込む。淵上ひとえの方が操りやすかったんだろうな。彼女のアイデアか、城倉のアイデアかはわからないけど、戸破多歌を呼び出しておいて、淵上ひとえはその戸破多歌の前で自殺するように見せかける。ヒバリさんは知らないだろうけど、彼女は首にロープを巻いた状態で発見されているんだ」

 Aの戸破多歌とBのヒバリさんが、広大の説明の中で並立している。

 正気では、到底処理出来るものではないはずだ。

 だが――まだまだ序盤だった。

「そうやって誘い込み、油断した戸破多歌を片付ける。それが淵上ひとえのプラン。部屋の中には凶器になりそうなものまで揃えられていた、という報道もあったんだ。だけど――」

「私が反撃する可能性もある……のね」

 ようやく多歌が声を上げた。

 相変わらず「自分」を突き放している事は同じだが、それ以上の「恐怖」に苛まれているようだ。

「僕は二人の運動神経は知らないけど、ヒバリさんは俊敏そうだ。淵上さんは……多分、あんまり良くは無いんじゃないかな? つまり準備した淵上ひとえと運動能力で淵上さんに勝る戸破多歌は互角」

「それでこういった状況が発生するのね。どうなるのかわからない――“シュレディンガーの猫”」

 呆然と多歌が呟いた。

「実は現場近くに城倉がいたんじゃないという発想はこれが元なんだ。観測したいわけじゃなく、城倉は結果を見届けないと動きが取れないし――」

「もしかして……」

「うん。淵上さんを死に至らしめる仕掛けは準備していたと考えても良いと思う。隣と話せる仕掛けはもっと前からあったのかも知れない。巻目さんの部屋を日頃使っていたのは間違いないと思うし」

「そこがよくわからないのよ。どうして隣で?」

「自分の痕跡を淵上ひとえの部屋に残したくないんじゃないか? と最初はそう考えた。言葉を飾っても……不倫、だからね。バレないように慎重になっていた、それだけで理由は十分な気もする。けど……」

「けど?」

「こういう“後始末”を最初から考えていたんじゃないか? って。いや、そうであって欲しいという僕の希望があったんだろうな」

「……どうして?」

「ハッタリが強化されるから。徹底的に城倉を“悪者”にしたかったんだ、僕は」

 残ったチョコケーキを頬張りながら、広大は続ける。

「城倉が“悪者”であればあるほど、巻目さんは怖くなって警察に行く決心がつくかと思ったんだ。けれど、そのための証拠らしいものが、どうしてもでっち上げられなかった。幸い、そこまでやらなくても十分怖がってたみたいだし――」

「私ね」

 多歌が告白した。

 会話の流れを断ち切るように。

 しかし、会話が断ち切られたわけでは無かった。

 かつて、広大が記憶をつなぎ合わせた時のように輪郭アウトラインはもう出来上がっている。

 広大の説明によって。

 そして「城倉楼」という人物の為人ひととなりが。

 それを実際に知っている巻目――そして多歌が、彩色してしまうのだ。

 自分たちの持っている「感触」で。

 そして「観測」してしまう。

 「城倉楼」という男の恐ろしさを。

 広大はそれ以上、輪郭線を描くことはしなかった。

 衰えぬ食欲と、実際に甘味を求めていたのか、飽きずにケーキを食べ続けている。

 そして、ショートケーキのような形に残された白いケーキ。

 上に残された苺。

 その苺を前に、広大は親指をカクンと逆に曲げた。

「――ちょっと、順番がおかしくなった。まず城倉のやり様は世界を分裂させるには十分な企みだったと仮定する」

 それに殊勝に頷く多歌。

 自分の企みで関係のある二人の女性を、殺し合わせ、その結果はどちらでもいい――これほどの悪意はない。

「戸破多歌が殺される結果と、生き残る結果。この二つで揺れ動いている世界で、城倉は先に今の僕と同じ状態になったとする。つまりこの時点で、世界はあやふやになっていたんだ。城倉自身のせいで」

「それは……わかりようもないんだね。観測出来るの准教授せんせいだけだから」

「そう。もしかしたら、城倉はその状態を楽しんでいたのかも知れない。だけど、そのあやふやな状態に、キミの後悔と僕の後悔が重なった」

 多歌の後悔はもちろん、城倉の企みに乗せられて動いたこと。

 そして広大は救いを求めているのでは? と察しながらそれを見捨てたこと。

 重なる二つの後悔。


 ――「やり直すことが出来るなら」


 そんな後悔はありふれた感情であるのだろう。

 しかし、この時だけは。

 世界の輪郭線が怪しくなっていた、あの時なら。

 実際のタイミングは、当たり前にハッキリしない。

 だが、重なった後悔が世界をもう一度分裂させた。

 多歌が殺してしまうAの世界。

 多歌が殺しに行かなかったBの世界。

 そして何故、Aが最初でBが後になったのか。

 Bは最初に分裂したAの後付けの世界だからだ。

 その説明を聞き終えた多歌は……どうしようも無く納得していた。

 広大の言ったように“当たり”の感触がある。

 根拠はない。

 “予感”がするだけ。

 しかし、広大の説明はまだ終わりでは無かった。 


「――そしてBは、ヒバリさんがヒバリさんでいられる唯一の世界」

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