二人の告白

第44話 クッキーのような笑顔で ※

 午後七時――


 現在、広大は自室のベッドの上で突っ伏していた。

 背を丸め、肩をブルブルとふるわせて。

 呼吸困難であるのは、まず間違いない――笑いの発作で。

「どこもおかしくないでしょ!?」

 広大に笑いの発作をもたらすという偉業を成し遂げた多歌は、それを不名誉と感じていた。

 今は多歌の「少年探偵」コスチュームは丁寧に畳まれて仕舞われており、初お披露目のクレリックシャツ姿。それにデニムのミニ。

 そんな多歌はテーブルを前にして、必死の訴えである。

「そ、それで……め、飯は?」

「うん? 無いよ。これだけケーキがあるんだもの。いらないでしょ?」

 そう。

 テーブルの上にはホールケーキが二つ載っているのだ。

 ノーマルな白いクリームケーキ。そしてダークブラウンのチョコケーキ。

 どういう気遣いの賜物か、バリエーションを増やそうとはしたらしい。

 まさに「蟷螂の斧」の見本であった。

「……さ、参考として聞きたいんだけど、どうしてこの結論になった?」

「コーダイくんの疑問がよくわからない」

「そ、そのだな……ありがたいことに、何かごちそうしてくれるって話だったよな?」

「そこは私も冷静になって考えたのよ」

「冷静……」

 日本語の限界を感じながら、広大はベッドの上で身体を起こした。

「その辺りの理由は是非とも、聞きたい」

「だから、ここは一番手料理! ……とか考えるのは可哀想なことになりそうだったので、やめたのよ」

「そこは頷けるな」

「で、もともとケーキは買う予定だったでしょ? 生姜のチョコケーキと、レモンムース」

「この辺りからおかしいな」

「でも、それを揃えるのは不可能に近いし、生姜のチョコケーキに関しては、いったいどうすれば良いのかわかんないでしょ?」

「そうだな。僕が買っていた店は無くなってるし」

 多歌の瞳に殺意が閃いた。

 恐らく、事に及んでも執行猶予ベントウは付けて貰える事案ではある。

「……で、でもね」

 しかし、そもそもは多歌が広大に「欲しいものを言え」とリクエストした事が原因だ。

 それを忘れていない多歌は強引に話を先に進めた。

「どっちにしても、この時間に間に合わせるには無理なのよ。だから『量は質を兼ねる』という言葉を参考にしたの」

「そんな言葉あったっけ? ……ああ、でも何故こうなったかはわかった……気もする……く」

 再びツボにはまった広大。

「それになんだかんだいって、糖分が一番なのよ。コーダイくんには、これぐらい補給しても良いと思うし。でも、さすがに夕ご飯の後じゃ大変でしょ? いくらコーダイくんでも」

「ホールケーキは絶対条件なんだな」

「当たり前でしょ!」

 自信満々に断言する多歌。

 やはり根本的におかしい。

 だが――

「ヒバリさん、ありがとう」

 広大は、今にも崩れそうなクッキーのような笑顔で。

 いや「広大」を構成していた何かを崩したからこそ漏れ出した柔らかな声で。

「なんだか、これで諦められる気がする」

「え……?」

「僕の出来る事はもう無いんだ。今までずっとそれが気に掛かっていたんだ。もう出来ることは無いはずなのに、何かをして、それで安心しようとしてたんだろうな。でも、もういいや」

 そんな広大の言葉に対して、言葉を紡ぐことも出来ない多歌。

 いや、声を掛ける人間ものなどいるのだろうか?

 AとBの“ゆらぎ”に呑み込まれて、そのまま消えてしまいそうに……

「――だけど、これは雑過ぎる。せめて半分半分にしないか? どうしてめいめいが同じ味だけなんだ。ちがう味があるのに」

 途端、散文的な広大に戻る。

「僕が今日何を――いや、この“状態”がどうなっているのか? 起こった理由とか……その辺りを説明するよ」

「わかったの?」

「これもまた、僕が僕を騙すためのハッタリだとは思うんだけどね」

 言って、広大はテーブルの側に腰を下ろした。


 そこから、シームレスに広大の説明タイムに……は、移らなかった。

 あの「バス停」から数えると、わずか四時間ほどであるのに、これだけの時間があれば多歌の前に不条理を積み上げる事が出来るのが広大という存在であったからだ。

 まずケーキを半分ずつ切り分ける必要があったので、さすがにその間に「本題」には入れない。

 そこで多歌が持ちだした疑問不条理は、広大が読みたがっていた本についてだ。

 広大が読みたがっていたのは小説では無く「リプレイ」。

 TRPGで遊んでいる様子を台本のように書き起こしたものであった(※注1)。

 多歌はまずTRPGを簡単に説明され、それはアバウトに理解したのだが、再び広大が不条理を積み上げる。

「これは僕にとって大事な要素が入っているから」

「大事な要素?」

「簡単に言えば、リプレイは他の人に文句を付けられることが前提のフィクションなんだ」

「全然簡単じゃ無いけど……何とかついていく」

 と言いながら、多歌は慎重にホールケーキを二分割し、それぞれを交換してゆく。

 多歌は意外と器用だった。

 だが、広大の説明について行けるは微妙なところだろう。

 何しろ、広大はここから長々とした説明を始めたのだから。

「ゲームで自分のキャラが死んだらいやだろ? それを書いている側の都合だけで『はい死んだ』とかやったら、読者の前にゲームで遊んでいる人がまず納得しないんだ。死ぬまでは行かなくても、シナリオの都合で『余裕で成功』が『失敗』だと判定されたりとか。そういうのを納得させるには、まず誰にでもわかる“理屈”がないと駄目になる」

「ははぁ。それは大事かも。私も一体何を伝えたいのか良くわからない本なら読んだことがあるよ。もう題名忘れちゃったけど」

「そういうジャンルの小説もあるよ。SFでもそうなっちゃうときがある」

「SFって確か科学がどうとかってジャンルでしょ? どうして?」

「そりゃ、数式が表してる考え方を文章で説明しろって言われたら無理なんじゃないか? 多分」

「無理じゃ無いかも知れないけど……」

 白とダークブラウンのツートンにホールケーキを再構成し、同時に補助線を引っ張りながら、多歌は答えようとする。

「……難しい以上に、書く人の考え方が出過ぎちゃうんじゃ無いかな?」

「やっぱりそうなるのか……と、まぁ、そういうことをしているのが文学とか芸術なんじゃないかな、と僕は思っている。けど、リプレイでやってるような『皆が納得出来るだけの理屈が整っている』本の方が僕は好きで、そういう本を読みたいんだ」

 完成した、ツートンホールケーキに再び笑いのツボを刺激されたのか広大は笑みを浮かべた。

「……その点、リプレイは外れがほとんどないし、この筆者ひっしゃのリプレイは百発百中だ」

 それを聞いて、多歌は納得したのだろう。

 感慨深げに、多歌は頷いていた。

「ちゃんと理論があるものなんだねぇ。私はコーダイくんの意図が良くわからなくて――」

「ケーキが……こんなことに……なったと……」

ツートンこうこうしたのは、コーダイ君でしょ!」

 当たり前に多歌が憤るのだが――


 ――このあと、マグカップと並ぶ個人用ホールケーキの絵面で、広大は再び沈没してしまうのである。

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※注1)

TRPGの説明は割愛させていただくとして。

実は作中の説明では片手落ちになってるんですよ。GMとの知恵比べ的な要素は薄れ、物語の中で如何に格好良く振る舞うか。つまりどれほど「役割をこなせるか」という方向に主眼を置いたリプレイもあるんです。

「どう攻略するか」ではなく「どう物語を紡ぐか」と言い換えてもいいのかも知れません。

個人的に前者を「SNE系」。後者を「F.E.A.R.系」と呼称してます。

広大が説明しているのは専ら「SNE系」ですね。

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