第43話 壊れかけの広大

 無人地帯ノーマンズランド――


 二瓶の妄言でしかないが、実際に人通りは少ない。

 その代わり、というのもおかしな話だが、すぐ側を通る道路の交通量は実は多いのだ。

 見上げれば高速道路が住宅街と無人地帯との物理的な区別を押しつけてくる。

 その高速道路の下、あるいはそれと交差する幹線道路はさらに騒音をプラスして、この区画を切り取ってしまう。

 必然、住むには適さず、工場、倉庫、あるいは広大がバイトをしていた、夜も動き続ける集配所などの施設が軒を並べることになってしまう。

 それでも幹線道路のすぐ側には、ある程度の店舗があり――安さの殿堂を標榜する店もこの流れだ――広大と多歌が今歩いている道も、そういった店舗が軒を並べる場所だ。

 だがやはり、基本的に人はいない。

 この一帯は徒歩で赴く場所ではないのだろう。

 かと言って、

「どうして後ろ向きなんだ?」

 と、広大に尋ねられるような、多歌の歩き方が許されるはずはないのだが。

「スマホ見ながら、それに何か打ち込みながらなんて、もっとダメだと思う」

 広大も許されなかった。

「ここ、うるさくて電話使えないんだよ」

 さらに情状酌量の余地を削り取る広大の証言。

「今度は何のお願いをしたの?」

「いや、これはただの報告。忘れないうちにやっておこうと思って」

「謎が解けたことを報告したのね!」

 喜色を浮かべた多歌が、広大の横に並ぶ。

 だが広大はスマホをポケットに入れると、訝しげに多歌を見つめた。

「……まぁ、キミがそう錯覚するなら上手く行ったって事なんだろうな。気休めにしかならないけど」

「え? ちょ、ちょっと待って? どういうこと?」

「僕の目的は――細かく分割すると巻目を自首させること」

 その広大の説明は、多歌の想定外に過ぎた。

 生じた空白。

 その空白を埋めるように、すぐ横の幹線道路から排気ガスとクラクションが流れてくる。

「……帰りはバスで良いか。あっち側に行けば、結構バスが来そうな気がする」

 そんな状態で、話は終わったとばかりに広大が話を変えた。

「あ! それで、あんな『芝居』をしたんだ。わたくしなんて言っちゃって」

 だが、そんな事はさせないぞ、とばかりに多歌が追いすがる。

 そして広大にとって間の悪いことに、渡るべき信号は赤だった。

「……それっぽくすれば、勝手に勘違いするだろうと思って」

 諦めたように広大は答える。

 それに気をよくした多歌はさらに言葉を重ねた。

「うん。あれは変だったもの。でも、そんなのとっさに出来るものなの?」

「文系は全員出来る」

「嘘だ」

「ただ、それを実際に行うためには、文系以外の要素がいるんだ」

「例えば?」

「……幸せだったと思える幼年体験かな? いや逆か」

 あまりにとりとめのない広大の返事。

 再び生じる空白。

 多歌は圧倒されていた。

 恐らくそう……イヤな予感に。

 そして信号が青に変わる。

「文系と理系の違いもあるな。理系は一つの正解を探すだろ。逆に文系は正解を沢山作るんだよ」

 広大は完全道路の上に描かれた、消えかけの横断歩道の上に乗りだした。

 高速道路の下を潜る道筋なので、光と影が順番に襲ってくる。

「ということは未成熟な文系は対応出来ないということになるな」

 さらに重なるエンジンのアイドリング音。

 涼しくなる気配もない、茹だるような午後の暑さ。

 無機質な臭い。

 多歌は必死なってついて行く。

 広大の言葉を聞き逃さないように。

 しかし、広大はそれ以上口を開くことは無かった。

 横断歩道を渡りきると、目の前に中華料理チェーン店の大きな駐車場が広がる。

 それでもまだ人通りは少ない。

 広大は、その駐車場に背を向けて、今度は先ほどの進行方向からは直角に横断歩道を渡った。

 まだ言葉は無い。

 渡りきると、やはりそのまま歩を進め、バス停の前で停止した。

 ベンチこそ無かったが、ビニール製の屋根だけはある。

 そして時刻表を確認する広大。

「うん、ここでちょっと待つ事になるな。ヒバリさん、それじゃ質問どうぞ。時間も空いたし」

「コーダイくん……」

 多歌は戦慄した。

 行動の全てが効率的すぎる。

 それなのに、どこか壊れているように感じられて仕方が無い。

 いや、そんな広大の姿に、かつての自分の姿を見たのか。

「どうしたんだ? 聞きたい事が――」

「コーダイくん。それは最優先事項じゃ無いよ!」

 たまらず、多歌が叫んだ。

 空虚なこの通りで。

 人が行き交わない、寂しさにこだまするように。

「……おかしいな。ヒバリさんは、説明を求めていたはず……」

「それは正解だけど、正解じゃ無いよ!」

 多歌が、未だ時刻表に向き合っていた広大の肩を掴む。

 自分の方を向かせる。

「最優先事項じゃないって! 今重要なのは、えっと……とにかく、コーダイくんが普通になること」

「僕は普通……」

「そういうのは良いから。今何がしたいのか言って」

「ヒバリさんに説明――」

「それは私がお願いしたからでしょ? そんな方程式解くみたいに左辺と右辺のバランス取らなくて良いから、今何が欲しいの? コーダイくんの欲望を見せて!」

「……キミの言ってることはさっぱりわからない」

「わからなくて良いから。いえ、むしろわからないままの方が良い。そういう状態のコーダイくんが今欲しいモノは何?」

 多歌は必死になっていた。

 元々、そんな予兆はあったのだ。

 広大が無理をし過ぎている――そんな予兆が。

 そんな広大の様子を思い出すと、多歌にはアレもコレも怪しく感じられてしまうのだ。

 このまま広大が倒れてしまえば――同時に、自分の都合を計算してしまう自分を嫌悪しながら、多歌はさらに尋ねる。

「私――買ってくるから。何か好きなものある? 嫌いなものばっかり聞いたけど」

「食べ物の話か。そうなると本を読む時間が欲しい」

「へ? あ、そうなの?」

 どうにもピントがずれた言葉が返ってくる。

 その言葉に恐怖する多歌。

 そして、同時に多歌はその恐怖に嬉しさを感じていた。

「バイト中は、時間に追われているからゆっくりと読めなかった」

「あ、それで……」

「で、甘い物とコーヒーを……」

「わ、わかった。本はあるんだよね? スマホの中に。ケーキは何が良いの? それぐらいはごちそうさせて! コーヒーはどうする?」

 嬉しさを滲ませながら、多歌がさらに広大に質問を重ねた。

 まるでカウンセリングのように。

 広大も、その質問に答えることで自分の欲求を形にしていったのだろう。

 どこか茫洋とした眼差しで答える。

「コーヒーは何でも良い。部屋にインスタントがあったはず」

「うん。あるね」

 広大の部屋を勝手知ったる戸破多歌。

 しかし広大はそんな多歌の斜め上を行った。

「じゃあ、あとはジンジャーショコラとレモンクリームタルトを」

「え?」


 ――果たして広大は実に面倒な甘党であった。

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