第25話 命中精度が低いドッグファイト
ボクから私へ。
一人称の変更。
あるいは“ボクッ娘”の消滅。
二瓶が嘆きそうだ。
この変更は継続されるものなのか?
いや、それよりも問題なのは、こんな
広大は完全にペースを乱されている。
「どうして? どうやって
もちろん、そんな広大に構う多歌では無い。
普段からマイペースが過ぎる多歌であるのに、拍車がかかっている。
立ち上がって両手をバタバタと振り回し、ニット越しに胸を揺らし、もはや補助線もへったくれも無い有様だ。
ここから逆襲するためには、その准教授とどういう関係かを尋ねれば良い。
広大は、その「正解」に気付く。
多歌に圧倒されたことが幸いしたのか、選ばざるを得なかった沈黙の中で、広大はいつもの冷静さを取り戻しつつあった。
だからこそ「どうして?」を繰り返す多歌の独演会はそのままに、広大の猜疑心がさらに考え続ける。
このまま多歌を詰問することは本当に正解なのか?
確かに、多歌と城倉はどういう関係なのかは判明するだろう。
だがそれだけだ。
そしてその関係性がわかったからと言って、それが今のややこしい状態を解消する鍵になる可能性は――低いと考えざるを得ない。
(要するに、戦術的な勝利)
勝利を収めた結果、多歌が
多歌と城倉との関係性については、Aの世界の二瓶が教えてくれた。
そう、肝心なのはAの世界との連携だ。
それが果たされることこそが――戦略的勝利。
では、次の一手とは?
広大は必死にシミュレーションを繰り返し、次の答えを見出して、顔をしかめた。
しかし、その感情を抑え込むように、広大は親指をカクンと逆に曲げる。
「――ヒバリさん」
「何? この不思議を簡単に謎解きするの? それとも私にさらなる不条理を与えてくれるの?」
演説している間も、多歌はしっかりと広大に気を配っていたらしい。
反応速度が尋常ではない。
それなのに、並べられた言葉がまさに抽象的だ。
だが、そんな中でも……
「まず、ヒバリさんの一人称が変わってる」
それが広大の見出した、次の一手。
外堀を埋めることで、多歌の本当のところを見定めようという作戦。
「い……い、忍者?」
広大の狙い通りと言うべきか、多歌の勢いが止まった。
同時に、語彙が偏っていることについては本気である事も窺える。
「自分をどういう風に呼ぶかって事だよ。さっきまでヒバリさんは『ボク』だった。でも、少し前から『私』になっている」
「あ……そ、そうだった?」
決まりが悪そうに、多歌はその場に座り込んだ。
多歌が大人しくなったのだから、とりあえずこれで正解なのだろう。
「そんな風に素直に応じたって事は――ヒバリさんが自分を『ボク』と呼んでいたのは意識しての事なのか?」
「あ、ええと……それはそうなんだけど」
「で、意識しないと『私』になるんだな」
「いちいち確認しないで」
「どうしてそうなった?」
この流れに任せてしまえば――という広大の目論見は甘かった。
多歌は、自分が今、情報を搾取されようとしている事に、すぐに気付いたからだ。
その敏感さは、つい先程まで広大から搾取するつもりだった事も原因だろう。
だからこそ、即座に多歌は反撃に転ずる。
まるでターン制だ。
「先に私の質問に答えて。コーダイくんは、どこで
「例えば?」
「ええと、そうね。私の顔を撮って、それで検索。引っかかったら、個人情報なんかあっという間に丸裸でしょ? それで防犯カメラにアクセス。ログをあさって……」
そんな推測を並べる多歌は実に生き生きとしていた。
どうやら、こちらもまた多歌の本性であるらしい。
広大もそれに付き合うことにした。
「それで、そのやり方の実現性は?」
「ああ……多分無理。多分、確率にゼロが九つは並ぶ」
「僕が説明する『方法』はもっとゼロが並ぶ。いやもう、特異点のせいにした方が良い」
こんな広大の反論に、さらに目を輝かせる多歌。
わかりやすく興奮している。
そんな多歌の様子を見てしまった広大は、激しい頭痛を感じた。
「……待ってくれ。特異点とか言い出した僕の頭がおかしくなったとは考え無いのか?」
「説明する前に、そんな事言える人の頭はイヤになるぐらい大丈夫」
「説明するとは言ってない」
「ほら」
「どうして、その言葉になるんだ……」
広大は首にかけていたタオルを外して、仕切り直すことにした。
「……さっき“不条理”がどうとか言ってたな」
「さすが、耳が良いね」
「こういう時は。耳聡い、の方が適当だな」
「適当じゃないよ!」
思わず瞑目する広大。
「日本語の限界と、その説明の困難さに絶望」
「文系はこれだから……」
「
「お医者さんに診て貰えば良いとまでは言ってないわよ」
「ありがとう。証明してくれて」
「なんの!?」
互いにピントのずれた状態で刺し合う二人。
じゃれ合いにも似たそんな状態に、先に音を上げたのは――広大だった。
何しろ多歌の表情は、今まで見たことがないほどに輝いているのだから。
どうやら多歌もまた“普通”ではないらしい。
それもまた“普通”である事の条件であったとしても。
だからこそ、広大がこう宣言した。
「
「いきなり何に幸せ感じたの?」
「ああ、これはもう日本語の問題じゃないな」
広大の口の端に笑みが浮かぶ。
追い詰められたように。
親指をカクンと逆に曲げる。
元々、自分は他者からの理解を期待してはいないのだから――と、広大はいつものように諦めた。
だからこそ――
「――ヒバリさんが好きな“不条理”な話をしよう」
「
「何故か。どういうわけか」
――不平等貿易という言葉は賢明にも呑み込みながら。
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