第4話 兄妹の絆(下)

 リアムよ兄としての心得は正しいと思うが、今回はしっかりと話しを聞いていた方が良かったと『われ』は思うぞ、其れが間違いの始まりだったとな。例えればヴァレリアは絶壁にしか生えることのない伝説級の貴重な薬草を手に入れようと、またひとりで悩んでいるようなものだったのだぞ。『われ』は個の運命には干渉してはならないのだ、たとえそれが最悪の選択だと『われ』が分かっていてもな。


 ヴァレリアの憂いはパント村のオルグ村長から内々に呼ばれている事であった。

 村長は時折、ヴァレリアに嫁入り話しを仲立ちしてきていた。今回もそうだろうとヴァレリアは思っていたが、ひとつだけいつもと違うお願いが一緒に来ていた事が、気掛かりと言えば言えた。其れがリアムには内緒で村長宅に来るようにとの事であったのである。

 そう、いつもならば兄のリアムと一緒に村長宅を訪れ、有り難いお見合い話に怒号の断りを入れるのは案の定、リアムの担当となっていたのである。やれヴァレリアにはまだ早いだとか、相手のことが気に入らないとか兎に角、難癖を付けまくって絶対に話しをまとめる気が無いことだけはヴァレリアによく伝わっていた。それがヴァレリアにはとても嬉しかったし、兄とふたりでいることがいつも心の拠り所であったのだった。それに村人であればリアムのことも良く知っているので、村長経由でヴァレリアにお見合い話を持ってくることは無かった。全部が村の外からの要請で、しかもヴァレリアの容姿をうわさいた貴族からの第二・第三夫人としての求婚が大半であった、いや全部すべてそうだったのだ。なのでリアムだって愛しい妹に、そんな見合い話を許すはずが無いのは当たり前である。

 今日の事も『リアムお兄様っ――頑張って』と兄の後ろで心の言葉として頼みの綱としたかったのだが、村長に内緒でと釘を刺されたことと、リアムの都合の間の悪さで相談出来なかったのである。

 それでもリアムが今日、家を空けて出掛けることがなければ、ヴァレリアが村長宅に行くと言うことだけで、彼女が出掛ける際に察しを付けてくれるだろうと踏んでいた。それだけに今日と言う日はヴァレリアにとっても厄災日だったのであろう。

 とは言っても、既にリアムは隣町のコリピサ町の冒険者組合ギルド支部に赴いてしまって、もうここにはいない。朝早くにパント村から出掛けても、リアムの帰宅は夕方であろう事はヴァレリアにも分かっていた。

 ヴァレリアもここでグジグジしていてもしょうがないと腹を括ることにしたようだ。彼女は割と腹を括ると存外、強気になれるであった。

「じゃぁ、さっさと出向いてパッパッと断ってきましょうか」

 パシッと自分の顔を両の掌で叩いて、ひと息気合いを入れる。と、家の扉を勢いよく大きく開いた。森の小鳥たちのにぎやかにさえずる声がせきを切った様に家の中に流れ込んできた。村長の悪口を交えた噂話に、かしましい娘達が花を咲かせているようにも聞こえ、ヴァレリアの背中をそっと押し出しながら何となく勇気を与えてくれているようにも思える。そんな朝の爽やかな思いの中に彼女は歩を踏み出していった。


 ヴァレリア達の家と村長宅の間は歩いてもさしたる距離は無い。村はずれの彼女等の家と村の中心部に居を構えている村長とは小村規模ではそんなものであろう。

 村長宅について、扉の前でヴァレリアはひと息つく。彼女が息を整えて玄関口の扉をノックしようとする。と、叩く前に扉がすっと開いた。出てきたのは村長の奥さんであるジャンナであった。

「あっ!」

 来訪を告げる間合タイミングを外した事でヴァレリアの口から思わず声が出る。そんなふうに扉の外に立ち竦んでいるヴァレリアの事を、優しく見つめながらジャンナが声を掛けてくれた。

「ヴァレリアいらっしゃい、待ってましたわよ。今日も相変わらず綺麗だこと、いでたちも可愛らしくていらっしゃるわね、その淡い色合いの服は本当にお似合いよ」

「こんにちはジャンナさん。あっ、ありがとうございます。え~っと……村長さんはいらっしゃいますか」

「ええ、オレグなら奥でヴァレリアの事を待ちかねてましたよ。さあ、お入りなさいな」

「それではお言葉に甘えて、お邪魔させていただきます」

 いつものように、そしていつも通りの遣り取りでジャンナはヴァレリアを招き入れた。

 いつもと違ったのはここからだった、いつもならばヴァレリアはジャンナについていき調理場に入るはずだった、この時間ジャンナはだいたい昼食の準備をしている事が多く、そのまま無理矢理にと言うか率先して、ヴァレリアは彼女の料理の手伝いをするのが定番だった。まあ、『そんな事はしなくて良いのよヴァレリアちゃん……あ~っら、悪いわね有り難う』とニコニコとしながらも、彼女が掴んだヴァレリアの手は離されることがなかったので、ジャンナにとっても本音は、ヴァレリアと一緒のひとときが楽しかったんだろうと思うようにしている。そしてその後には村長宅で一緒に昼食を頂くのがお決まりであった。しかもジャンナの料理の腕は村一番との評判もあり、ヴァレリアとしても彼女から教わる事が出来るのは、何ものにも替え難い時間であったのだった。

 ヴァレリアとしてはリアムの胃袋をしっかり掴んで、今の生活をずっと守っていきたいと思っていたし、その為にも兄に食べさせる料理のレパートリーを増やす事は外せない彼女の最重要技能メインテーマであった。妹でしか無いはずの……ヴァレリアがたかだか兄であるだけのリアムにそこまでする必要があるのか、それはなんか違うような気がすると『われ』は思うのであったが――幸せそうなヴァレリアの笑顔を見るにつけ、夜中に寝ているリアムのおつむをデコぴんする事で気を晴らしていたのは内緒である。


         § § §


 ジャンナに導かれ案内された部屋に這入ったところで、ヴァレリアは自分がひとりで来てしまったことに後悔の念を感じ始めていた、直ぐに、思いっ切りと……。

 そこには村長であるオルグの他にもうひとり、部屋の中でヴァレリアを待っていた御仁が居たのである。それも村長の上座の応接椅子に深々と腰掛けている。そんなひとりの青年に目が釘付けになった彼女であった。

 ————えっ、誰なの?

 その青年がヴァレリアのことを値踏みでもするかの様に穴があくほどジッと見つめている、目線を外さず身じろぎもせずに。

 ヴァレリアも何か無性に癇にさわるその態度に思わずムッとして睨み返していた。そのお陰で彼の服装の詳細を克明に覚える事が出来た、気になったのはその服に散らばる様に刺繍された見たこともない紋章である。彼女が見定めた紋章の印象は丸型の赤地に白抜きで描かれた双頭の鳥の様な姿であるように思えた。


 ————何んですか、文句でもあるの。

 そんな事にはかまわず小鼻を膨らませて彼の事を見据え、ヴァレリアは心の中で思いっ切り毒づいていた。そんな彼女達の心情を露程つゆほども思わないオルグ村長がその青年に話しかける。

「彼女がヴァレリアですよ。クリスティアンさん」

 ————って何かしら。人のことを物みたいに。あれっでもこの顔でクリスティアンって? 

 どの顔だったらクリスティアンらしいのか、ヴァレリアの客人に対する心のツッコミはオルグの宣言と何ら変わらないと思うのだが。しかし人差し指を頬に当てて悩むヴァレリア自身、その頭の上には疑問符が飛び交っているようで彼女の視線はあてもなく斜め上のほうを見つめていた。

「二年ほど前から兄のリアムとふたりでこの村に移り住んでいるんですが、ヴァレリアの方は昔の記憶が無いらしく……」

「村長さんその話しはチョッと⁉」

 オルグの話しにギョッとして思わずヴァレリアは口を挟んだ。一瞬、部屋の空気がジンワリと重苦しくなる。そのとき丁度ジャンナがお茶を運んできたところで、彼女の機転で事なきを得る事が出来たが、とてもいつものようなお見合い話ではない状況にヴァレリアは今更ながらに戸惑っていた。

  

「お茶でもひとくち如何いかがですか、それとヴァレリアは、まずはご挨拶からね」

 ジャンナのひと言で場の空気が和んだ。それと彼女の言う様に挨拶は基本の基だ、流石は年の功と言うところか。

「あっ、済みませんあたい……わたしったら、ヴァレリアと申します。以後お見知り置きを。それとさっき村長さんが言ったことはお気になさらないで下さいね」

 ヴァレリアはいつもの一人称で発した言葉に、一瞬照れ臭さを感じ即座に言い換えた、そこは何とか持ち直しただろうとひとり自画自賛のヴァレリアである。其れと同時に何となくだが家名氏姓フルネームを言い出し辛く姓を省いたようだった。そして最後に先程の話題を蒸し返されても困るので、一応さらっと釘を刺すのも彼女は忘れなかった。そこは褒めるべき所かと『われ』も思ったぞ。

 そんなヴァレリアの心の内など意に介する様子も無く、彼女の目の前の青年が淡々と自己紹介してきた。

「わたしはクリスティアン、クリスと呼んで欲しい」

 ————クリスティアン? 何か引っかかりますわね。其れも名だけの名乗りって……そんな身分にはとても見えませんわ……あたいと違うはずですから。 

 そんな挨拶の交換にやっぱりヴァレリアの頭の上には疑問符が飛び交っていたのであった。今日のオルグ家の夕飯は疑問符鶏の唐揚げフライドチキンとなるであろうと『われ』は予測する。

 その後は当たり障りのないお互いに盛り上がりに欠ける話しでその場はお開きと相成ったが、結局の所いつもの様なお見合いのお誘いではないことは確かで、その点はホッとするヴァレリアであった。しかし彼女の心には不安と不満がやるせなく残るお呼ばれと成った。その後、ヴァレリアはジャンナにお昼御飯を一緒にと誘われたのだが、何となくその場に居るのが辛くて誘いを断ると、彼女はその場をあとにして家路を急いだ……無論、ジャンナの料理には後ろ髪を引かれる思いであったようではあるが。


         § § §


 一方オルグ村長宅では残ったクリスことクリスティアンが、ジャンナ夫人の手料理の持て成しでお昼を頂きながらその後の話しを続けていた。

「さっきのお嬢さんが巷間ちまたの噂の聖女が如き魔術を使うという?」

 さっそく本題に入ろうとするクリスティアンだったのだが。

「噂って言うのが何なのか私達には分かりかねますが、村人達は皆ヴァレリアの治癒魔術ヒーリングや薬草から作る薬にありがたみを感じていることは確かです」

 奥さんの手料理を口に運びながらもオルグはそう答えた。多分クリスティアンの聞きたいところは違う事だろうと思うが、そんな思惑に一介の村長如きが分かるゆえも無い。

「昔の記憶が無いと言うのは?」

「あっ、その事は忘れて下さいませんかね。私もついうっかり口を滑らしてしまいましたが、ヴァレリアに怒られましたからね、済みませんがそれはもう……」

「……そうですか、分かりました」

 そう言ってクリスティアンは素直にオルグの申し出に頷く。ただその目はキラリと光り、何かしらの思惑があることを如実に物語っていた事に気付く者はここには居ないようであった。

 

 クリスティアンはひとり村長宅から厳しい足取りで帰路を急いでいた。

 あの後は何事もなく歓待のお礼を言って村長宅を辞したのだったが、急ぎ足で向かう先は彼しか知らない。

 ————胸が締め付けられる思いです。ヴァレリア様、本当にお記憶をお忘れになられているとは。それでも貴女あなた様を私は……あの方に会わせるわけにはいかないのです。

 誰もいないその中でクリスティアンのつぶやきは午後のけだるさの中に吸い込まれるように消えていった。

         § § §


 話は変わってもう一方、リアムはと言えばパント村の隣のコリピサ町の冒険者組合ギルド支部で狐につままれた様な顔をして冒険者組合ギルド職員に噛みついていた。

「だから何度も言っているようにリアムさんを支部が呼び出す用事なんか今日は無いですって、何かの間違いでは無いですか? リアムさん」

 そう言ってリアムに捕まれたその手を振り払うと、冒険者組合ギルド職員は困り顔の表情でリアムの横を通り過ぎた。

 今日、既に五人目だった。最初はいつもの受付嬢のところでにこやかに来訪を告げて面会の確認をして貰っていたのだが、その受付嬢は小首を傾げながら本日はリアムへの面会予定は誰も無いとの応えを返してきた。

「そんな馬鹿な、自分は確かにこの手紙を受け取りました」と、リアムを呼び出した大本の手紙を差し出して見せたのだが、それを見た受付嬢はひと言。

「偽物ですね」それだけだった。すげない返答に何も返せずリアムは唸るしかなかった。


 ————そんな馬鹿な事があるんですか。

 と、今に至る。その後何人もの職員を捕まえては先程と同じ問答を繰り返していた。

 ————いったい誰が、何の目的でこんな事をしたと言うのですか?

 一瞬、彼の脳裏にヴァレリアの屈託の無い笑顔が浮かんでは消えた。

 ————もしかしてヴァレリアの身に何か起きるのとでも言うのでしょうか⁉ 

 次の瞬間にはリアムの姿は冒険者組合ギルド支部にはもう影も形も無かった。疾風の如く家路に向かって彼は駆けていく。ふたり以外は誰も知らないリアムとヴァレリアの間で交わされた特異の契約インデックスによりリアムは彼女の生命が脅かされる事態になると彼の魂が呼ばれるはずであった。

 ヴァレリアは大丈夫だ、まだ。その確信が彼の心のよりどころで今はあった。



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