風雲急を告げる

第5話 妖精猫とリアムの契約

 リアムはヴァレリアの身に何かが起こるであろう事を危惧していた。ふたりの間の特異の契約インデックス、それこそがヴァレリアが失った過去に基づくもので彼女の出生を導くはずのものであった。しかし当時のヴァレリアの身体が魂が……それを拒否した、痛切に過去は想い出したくはないと。そんなヴァレリアもこの特異の契約インデックスがその時のリアムとヴァレリアのこれからの関係に不可欠であり、是非ともいま沸き起こるべきであると。

 記憶は無くしていても身体の心底まで刻み込まれた彼女の魂がその魔力マナを素直に導き出した。だからこそ、この力は信じるに値する、そう思い込むことで今のリアムは心の不安を押し殺していた。

 今は兎に角、急いでヴァレリアの元に辿り着く方法を考える時であった。隣町とは言えコリピサ町とパント村の間はそれなりに距離はある。今朝はゆったりと構えていた為、のんびりした調子で歩き、結局のところ朝飯後の出立からお昼過ぎの到着となったのである。故にこのまま踵を返して走って行ってもパント村に着くのはおそらく夕方になってしまう。焦りは禁物と分かっていても心と頭はそう簡単には同調してはくれない、リアムの焦躁感は如実にその走りに現れていた。

 冷静にいられないリアムに『われ』として同情はするが、己の力で結果を導くしか無いぞとリアムには『われ』ながら届かぬ祈りを捧げていた。


 リアムは死に物狂いでただひたすらに走った、兎に角走った。馬車とか早馬とか、方法は他にもいくつかあっただろうが、日頃慣れてはいない事を地元と言えないコリピサ町で行うには、手間取るばかりで要らない時間を費やすと踏んだ判断であった。本当のことを言えば偽手紙の件もあり、冒険者組合ギルド支部に泣きつけば何らかの方法を提案してくれたであろうと思うこともあったが、事情を問いただされると上手く説明がつく気がしなかったと言うのも理由のひとつではある。

 とは言え生身の身体では早々に限界が来るのは分かりきっていた事であった 。

 帰路の途中、街道筋から少し離れた林の中を流れる小川でそれは起こった。


 リアムは疲れた身体を引きずって小川の中にかっていた。全力疾走で走り続ければ、当たり前のことだが身体は異常高温状態オーバーヒートを起こす、何はともあれ冷やすことで帰路の残りを乗り越えようと、リアムは街道筋から少し離れた小川を探してその流れにひたっていたのである。

 乾いた喉を潤す為に小川のせせらぎに身をひたしながら、その冷たい水に齧り付くようにして口をひたしていた、そして身体は頭ごと水の中であった。少しでも時間が惜しかったのだと思う、それが今の彼の偽らざる気持ちなのであろうが、急激に冷やされた身体は否応なしに休みを欲してくる。

 当たり前のことと言えば当たり前である。頭を小川の中に浸したまま、リアムは気を失い掛ける。そんな事は無論自殺行為であるのだが……。

 去りゆく意識の中で彼は軽く夢を見ていた。それは目の前に突如として現れた猫だったのだが、どうにも普通の猫では無いらしい。確かに立派なたてがみまとった猫など普通はいないであろう。鬣犬タテガミイヌの様に頸部くびの背面から背中にかけて銀白色チタニウムホワイトの長い毛が、その存在を鼓舞するかのように燦めきながら流れていた。

「おぬし、面白い魂の色を持っているのニャー、我が輩にも少し分けてくれぬかニャー」

 ————猫が喋った? ちょっと待て待て……何だこれは⁉

 唐突にリアムの意識が舞い戻ってきた、無論、水の中だったので呼吸が出来ない事に今更ながらに気が付く。彼は思いっ切り咳き込みながらも水の中から立ち上がった。

「ゲッホッ……ゲッホッ! あっ……えっ⁉」

 咳き込むリアムの目の前にやはりだったが猫が立っていた、しかも二本足でだ。 

「何じゃ、失礼だニャー。折角、死んじゃうぞって教えた遣ったッがニャー」

 ————さっきのは夢じゃなかった……のか、この猫に呼び戻されたと言うのか⁉

 夢から覚めたような心地の中でも、少し冷静になれたリアムは目の前の猫に話しかけてみることにした。

「えっと、君に助けられたって事で良いのでしょうかニャー」

 つられて応えたリアムも語尾が可笑しい。三途の川の手前からの生還にて少し異獣化したのかも知れない。それはさておきリアムの目の前にでぇ~ンと立ちはだかった猫の化身は再び口を利いてきた。

「まあその方の無礼はひとまず許すとしてだニャー、早速だが我が輩と契約せぬかニャー。勿論ただでとは申さぬ、ほれおぬしの大好きな妹御いもうとごのところに早く辿り着きたいのじゃニャー、我が輩なら出来るぞどうだニャー」

 ————こいつなんで其れを?

 リアムの疑念の心の叫びがそのまま声となる。  

「おい猫っ、なんで其れを知っているんですか。そもそもあなたは……何者なんですか?」

「何で知っているかって、それは企業秘密だがニャー」 

 リアムは善の破壊者メフォストフィレスに魅せられた錬金術師ファウストの心境であったろう。是が非でもヴァレリアの元に一目散に戻りたい彼にとって、それは喉から手が出るほどに欲しい助けだった、それ程までに目の前の猫の言葉を信じたかったのだが。何せ相手はなんだか分からない生き物で、しかも人の言葉を喋る猫である。無論、騙されていると言う、そう言う不安も拭いきれなかったであろう。そんなリアムの心の内を見切ったかのように、人を食ったような笑みを浮かべながらその猫は話しを続けてきた。

「はは~ん……我が輩を信じ切れぬと申すか、それもそうだニャー。それじゃぁ我が輩から自己紹介なぞしようではないか、どうじゃニャー。我が輩の名はレクシシュ、妖精猫ケット・シーの女王レクシシュじゃよ。おぬしの魂の中に獣人化の魔色が混じっておるぞね、その色を少し喰らいたいのじゃ、さすれば我が輩は人型にもなれるでのう、まあちっと我が輩は女淫魔サキュバスの色も這入っておるから、混じるとどうなるのかじゃが、だが其れは其れで乙な物だろうてニャー」

 ————妖精猫ケット・シーですと? 魂の中の魔色? こいつ何を言っているんでしょか?

 リアムの顔には戸惑 いの表情とそんな心の呟きが駆け巡っていた。

 銀白色チタニウムホワイトのフサフサとしたたてがみがリアムのそんな心をあざ笑うようにフラフラと揺れている。

 ちなみに異世界での鬣犬タテガミイヌはイヌ科では無くてネコもくジャコウネコ科で有るそうで、カタカナで『ハイエナ』と振仮名が入るルビるそうだが……何となく目の前の鬣犬ハイエナにも似たような感慨をリアムは感じていたようだ。

 ————ちくしょう、この妖精猫ハイエナめ。 

「んっ、おぬし我が輩に向かって、何やら小賢しい思いを今持ったであろうニャん……」

 そんなレクシシュの問いにリアムはスッと視線を逸らしてあらぬ方向に目を遣る。ネコ科は勘が良いらしい。

「まあ……よいわ。おいそれと我が輩を信じろと言ったところでおぬしも困るじゃろうて。さてとまずは帰りの足の確保をお見せするニャー」

 レクシシュと名乗ったその妖精猫ケット・シーの女王はそう宣言するとその場で大魔狼犬ガルムを呼び寄せた。まさに大魔獣の大魔狼犬ガルムの其れであった。

「何ですか、このでかさは……」

 リアムの目の前には魔物の中でも一際ひときわ強い魔獣と言われる大魔狼犬ガルムの姿があった、それも身の丈がリアムの数倍はあろうかという程の大きさであったから、彼が魂消たまげるのも無理も無かっただろう。しかもレクシシュにその身を擦り寄せて懐く姿は大きすぎる犬の振る舞いにしか見えなかった。

此奴こやつは我が輩の舎弟だニャー、惚れられておるのじゃよ我が輩は。此奴こやつならばそれ、おぬしの事を背負うても村までひとっ走りじゃて……どうじゃニャー、信じるか我が輩を」

 薄笑いを浮かべながらレクシシュがそう問い掛けてくる、リアムはウッと言葉に窮した。確かにレクシシュのようげんは、ここまでは悪意はないように彼には思えたし、目の前の大狼の姿は事実、レクシシュの言葉を裏付けるものであった。しかしリアムの魂の色を喰らいたいと言った、それはどういうことになるのであろうか。そう思うとやはりまだ踏み切る事が出来ないでいた。そこで彼は彼女に最後に問うた。

「最後にひとつ、自分の魂の色を喰らうとはどういうことですか、喰らわれた自分はその後どうなるのですか?」

「はは~ん我が輩が好きになったかニャー、なにってと言ってもそこは其れ言葉の綾じゃニャー、おぬしの魂が強ければ何事もなかろうて、但し極めて弱ければ我が輩に芯までしゃぶられる程におぬしが我が輩にだけじゃよ……なにせ女淫魔サキュバスの色も一緒だと言ったじゃろうにニャー。我が輩はおぬしになら惚れられてもよかじゃよ、好みじゃてニャー」

 そう言うとレクシシュは含み笑いを湛えた顔で、その吊り上げた口角の端を艶めかしくその舌先でペロリと舐め上げていた。

 リアムの腹は決まった、彼は気持ちを固め結論を下す。

「レクシシュ、分かりました自分の負けです。契約成立です、この魂の色をめてください」

 その瞬間のレクシシュのいやにニヤけた口元がリアムの記憶に残った。 


         § § §


 レクシシュとリアムをその背に乗せた大魔狼犬ガルムの走りはまさに疾風迅雷しつぷうじんらいであった。あまりの速さに振り落とされまいとヒッシっとその背にしがみついていたリアムだった。その彼の後ろには妖精猫ケット・シーの女王レクシシュが同じように彼の首筋にしがみついている、但しその表情は余裕綽々よゆうしやくしやくでリアムの其れとは大きく違っていた。そんなレクシシュがリアムの首筋に彼女の口元をそっと近づけて呟いた、そう満面の笑みを湛えながら。

 ————では、さてとこやつの魂の色をさっそく味見してみるかニャー。

 レクシシュの三ツ口が牙を剝いてリアムの肩に軽く食い込んだ、途端にレクシシュの顔が歪み血の気が引いたように蒼白に変わっていくのが傍からも分かった。

 ————こやつ、なんだと~っ! まさか我が輩が無様ぶざまにも取り……込ま……れ……るな……どとっな……っ……。

 リアムの肩に喰いついたまま白目を剝いた妖精猫レクシシュ大魔狼犬ガルムの巻き起こす疾風の中でそのたてがみを無念になびかせていた。


 流石にレクシシュが豪語しただけのことはあった。程なく大魔狼犬ガルムはパント村の近傍に到着する。

「おいっ――猫さん、ここいらで止めてくれませんか。これ以上、村に近づいたら村人達がこの大狼を見つけて大騒ぎをしてしまいます。って……おいっ……レクシシュ妖精猫?」

 リアムが声を掛けるがレクシシュ妖精猫からの答えは無かった、それでも大魔狼犬ガルムあるじの意を汲んだのか、その場で駆け足程度に速度を落とし始めやがてタタンと止まってくれたのであった。

 大魔狼犬ガルムは止まったその場でリアム達がその背から降りるのを手助けするように、伏せの姿勢にを落とす。リアムは其れまでの緊張感から解放されて、その強ばった全身の筋肉をほぐすように一旦大きく背伸びをした。と、彼の首にしがみついていたはずのレクシシュが大魔狼犬ガルムの背中のモフモフの毛の中に包み込まれるようにリアムの肩からり落ちた。すると彼女の身体が突然、目も眩むほどまばゆく光り始める。

「えっ……あっ、レクシシュっ」

 大魔狼犬ガルムの背中から地面に先に飛び降りていたリアムが彼女を助け起こそうと一歩、大魔狼犬ガルムに近寄るように踏み出したがまぶし過ぎるその光に眼を開けていられずに一瞬、顔を背け目を閉じた。そして光の渦が収まった後にリアムが再びそちらの方に目を向け直すと、なんとそこには可愛らしい女のがちょこんと大魔狼犬ガルムの背中に座っていたのだった。ただ普通と違うのはそのの頭の上には銀白色チタニウムホワイトの毛で覆われた美しい猫耳が可愛らしくもピクピクと動いていたのである。

「あなたは……レクシシュなのですか?」

 リアムがそのに問い掛ける。

「んっ、そうなんし、あちきはレクシシュでありんすぇ……獣人化出来たでござりんす。どうぉ、あちきは可愛いざんすか?」

 何故だろうか、獣人化にて彼女の性格も一人称の呼び方も随分と変わったようだった。

 ————素直に可愛いなぁ……猫耳とふさふさの尾っぽがモフモフ感満載で。

 と、そんな風に心の中で思いながらリアムは彼女に見蕩れていたのだが。

「あぁ、可愛いと思いますよ……何と言うか、あっ……」

 レクシシュの問い掛けに素直に心の想いを吐露してしまっていた。

「ぁ……あ…ありがとうござりんす」

 そんなレクシシュの方も思いがけず素直に褒められて、ほんのりと頬を染めながら照れ混じりで俯くしか無かったようだ。暫し、ふたりの間に……何とも言い難い時間が流れる。と、レクシシュの方が早く立ち直った、彼女はスッと顔を上げるとリアムに向かって話しを続け始める。

「そう、よかったでございなんす。でもまだ不安定みたいざんすね、この姿の維持には人族の精気がもっと必要みたいでありんす……主さんの魂の色を喰らえたけど精気は吸えなかったみたいでござりんす、こっちが逆に吸い取られたでござりんせんか、ビックリしなんすぇ。で、――少うし行ってくるでござりんす」

 レクシシュはそう言うと大魔狼犬ガルムの背中に跨がり直して大狼を立ち上がらせた。そして踵を返すように来た道を元の方に戻り始める。そして、振り向きざまにリアムに言霊を残して去って行ったのだった。

「また後で直ぐに会いに行くざんすから、其れまで妹さんと楽しくやってくれなんし。貴方ぬしさんのお陰かしら、あちき少し変わったざんす……あい、おさらばえ」

「おぃっ、変わったって少しどころじゃ無いでしょうに、その姿は……それでどこへ……」

 走り出した大魔狼犬ガルムの背中はあっと言う間に小さくなっていった、リアムのツッコミと問いかけはもうレクシシュには届く事は無かろう。

 ————契約って結果は問題無しで良いのですか? 自分の魂の色って言うのは何だったんだですかね? それもありますが、獣人とは言え今の姿は女のですよ、人前では服は着ておいた方が良いと思うのですが……。

 リアムの呟きと遅きに失した投げかけに、応えるべきレクシシュの姿は既に大魔狼犬ガルムと共に彼の視界から消え去っていたのだった。


 ————リアムて言ってたざんすぇ。おかしな魂の色を持った彼でありんした、しかし妖精猫の女王レクシシュとしての名折れだったでありんした、女淫魔サキュバスの色も効かんせんよって逆に吸われたざんす、まったくなんて奴なんし……でもまあ、悪くは無いでありんすぇ。

 リアムのかたわらから既に遙かに距離を置いた大魔狼犬ガルムの背中の上でそう呟いたレクシシュの頬が僅かだがほんのり桜色に上気していたのを『われ』は見逃さなかった。で、リアムでは無いがレクシシュよ、おぬし服を早く調達した方が良いぞと『われ』もボソッと呟いておいた。

「ハクッチン……グッスっ。あらっ、毛が無いと存外、寒いざんすね。人間って結構不便でありんす。どっかで服を調達しんせん事には……ハクッチン」

 狙いは違うが『われ』の思いは通じたようである。

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