第6話 ヴァレリアと角野兎の出会い

 時は変わってリアムがヴァレリアの身を案じていたと丁度同じ頃、当のヴァレリアと言えばオルグ村長宅からひとり帰宅して家の食卓の上に突っ伏していた。

「クリスティアン? って、いったい何者……何なのこのモヤモヤした感じって」

 ヴァレリアはつい先程、オルグ村長宅で出会ったクリスティアンと名乗った青年の事をずっと考えていた。その名が本名なのか偽名なのかすら分からないし、そもそも名だけで姓は名乗らなかった。自分もそうだったので敢えてこちら合わせたとも言えないことも無いが、どう見たって高位貴族と……下手をすると王族とも思われる佇まいで、素性を明かさずにヴァレリアに会いに来た理由がわからなかった。どうするべきか自分に何が出来るのかをずっと考えていたのだが、再思三考さいしさんこうも堂々巡りで、彼女には収拾を付けるすべが見いだせなかったのである。

「あ~っん、もう訳わかんない。こんなのリアムお兄様の役回りだったもん、あたいの領分じゃないよぅ」

 ついに泣きが入った、こうなるとヴァレリアは開き直るのが早い、要は居直る、けつをまくったのである……けつと言うと彼女は尻臀ヒップ84だそうだ、ちなみに女体三位寸法スリーサイズは……後にしておこう。

 彼女は突っ伏していた食卓の上にトンと手を突くとムックリ起き上がった、そうして薬草を保管してある部屋の方に足を向けた。

 と、その途中でヴァレリアはいきなりこちらの方を振り返った。

 ————なんか、お尻の辺りにあらぬ視線を感じるのだけれど⁉

 おい、おぬし分かるのか、気配を……『われ』も焦ったぞ、なかなか勘の良い娘子むすめごのようじゃのぅ。


 薬草の保管部屋と言ってもそこは小さな平屋の家の中、部屋の端にあるただの物置の一角である。

「ムシャクシャした時は薬作りに専念するのが一番だわね」

 そう言ってヴァレリアは薬草選びを始めた。何故にムシャクシャした時に薬作りなのかは『われ』には良く分からないが、彼女にとってはそう言うものなのだろうと思う事にしておいた。

 最近ヴァレリアが嵌まっているのが筋肉痛に効果のある治療薬らしい、この時期パント村での需要が増えてくる薬であるらしい、しかし。

「あら、数が足りない薬草があるわねぇ……うむっ、これならしぐれの森の中にもあるはずだわ、よし取りに出掛けようかしら」

 朝方のリアムから言われたひと言はヴァレリアの頭の中から既に綺麗に忘れ去れているようであった。

 ————お兄様も、『帯剣していくこと』って言ってたものね。

 と、ヴァレリアは朝方の兄との会話を思いだしていた。もとい、ヴァレリアにはリアムから言われたひと言の記憶は確かにあったようだが、彼が話した『念のために、薬草採取ではひとりでしぐれの森に入らないこと……』の最初の部分は枕詞として聞き流した確信犯のようである。その前に『無理するなよ……』で既に無理はしていないから良いはずと脳内では書き換わっているようでもあった。

 兎にも角にも『混ぜるな危険』とあっても『一緒にしただけで混ぜてないよ、だって混ぜてないもん』系の残念思考が時折、顔を見せるヴァレリアである。彼女の身勝手極まりない自己満足解釈能力マイペースを少なからずも軽んじてはいけないのである。と、『われ』のヴァレリア取扱説明書には追記しておくことにした。


「よし、じゃあ薬草採取に出向きましょうかしら。ササッと出掛けるわよ」

 ヴァレリアは誰に言うでも無く、そうひとり気を吐いて出掛ける支度を始めた。程なくヴァレリアは腰に剣をき、革製の肩、胸、腰、膝当てと軽装ながらも防具はしっかりと身に付けてしぐれの森へと意気揚々と出掛けて行ったのであった。


 それから数刻後、ヴァレリアの姿は何故かほらあなの中にあった。全身粘性生物スライムまみれで、着ていた衣服も布が食いちぎられたように穴だらけで散り散りにっていた。彼女の身体にまとわり付いていたその粘性生物スライムは植物由来の物を溶かして養分にする系統の魔物であったようだ。革製の防具は無事であったが、麻や綿花の生地で作られていたヴァレリアの着衣は今は見るも無惨な状態となりつつある。

「まったくもぅ、いつもどうしてこうなるのかしら?」

 ヴァレリアのなげきの声が少し広めのほらあなの中に寂しげに響き渡っていた。

 兎に角、今回もであった。薬草採取に夢中になりすぎた事で身の回りの注意が疎かになる。――あそこに生えているわっ――と、目の前の草木に覆われて気付きにくくなった縦穴に……すと~っんであったのだ。その縦穴が今いる洞穴と繋がっていた訳なのであるが。逆に落ちた先が粘性生物スライムの巣で、大量の粘性生物スライムがヴァレリアの落下衝撃を程よく吸収してくれたお陰で、彼女は幸いにも全く怪我をする事も無くて済んだ訳である、まったく運が良いのか悪いのか――女神が微笑むとも言えようかと。

 何とか大量の粘性生物スライムが織りなすその雲海を泳ぎ切って抜け出してはきたものの、その粘性生物スライムの食性上、彼女の着衣は今やぼろ切れとなりつつあった。

「まったく酷い目に遭ったわ、しかしこの格好ってどうなのかしら。まあ、しぐれの森の中ならば他の人に会うことも無いから……良いわよねぇ」

 しかしだ、良いも何も肩、胸、腰、膝当ての革製防具が彼女のこれからも年相応に更に追熟していくであろう肢躰ボディを辛うじて覆っている程度と言える状態である。その下に纏う着衣はほぼ下着同然の有り様で、ささやかに防具の下に残っている程度であった。別の見方をすれば、もの凄くセクシーとも言えるであろう。いや一部の声では歳の割には既に完熟領域にあるとの評価も聞こえてくる、そのけしからん肢躰ボディを持つ彼女である、人前に出るとするならば完全に公序良俗に反するアウトであろう姿と誰もが思うに違いない。ちなみに『われ』の見立てたところ女体三位寸法スリーサイズは……やっぱり……後にしておこう。


 ————なんかこう粘つくような視線を感じるのだけれど……誰も居ないはずだわよね……気の所為せいだわよね⁉

 何故に分かるのか?  やはりなかなか勘の良いむすめのようじゃのう、『われ』ももう少しおとなしくしておくとするぞ。


         § § §


 服に纏わり付いた粘性生物スライムの残りかすを何とか梳き取って、細切れになりつつある着衣でも辛うじて淑女のたしなみとして最低限の場所はカバーしておく事は出来ているとヴァレリアは思っていたようだ。四苦八苦しながらも残った布地で何とか身なりを整え直して、彼女はそのまま洞穴の出口側に見える光を頼りにして歩みを進めた。

 もうひとつ言っておくと、さっきの粘性生物スライム自身は植物性の物を養分にして育つ魔物であったと言うこと、其れは小型の草食性の魔物からすると、まさに美味しい匂いを撒き散らす彼等の嗜好食となる粘性生物スライムだったのである。案の定、角野兎ホーンラビットの群れがヴァレリアの周りに集まり始めていた。見た目は一本又は二本のつのが生えただけのウサギなので可愛らしく見えるが、小さくても魔物はやはり魔物と言う事で、その性格は攻撃性に富んでどうもう極まりない魔物である、そして何故かつのの数が少ないほど、そしてその大きさが小ささほど獰猛性を物語っていると言われていた……そんな魔物であるが、相手がヴァレリアだと何故か常識も変わるようである。

 ————何なんだろうね? 何で角野兎ホーンラビットがこんなに群がっているのかしら?

 ヴァレリアの方はこの時点ではまだ危機意識は薄かったようである。

 まあ、ヴァレリアにとっては角野兎ホーンラビットが魔物であっても草食性の魔物であり、彼女程の剣技があれば数十頭の群れであっても敵では無いであろうが。

 リアムとふたり暮らしの故に、何かの時には自分で身を守るすべを身に付けるべきと、兄に散々鍛え上げられてきたヴァレリアである。剣術においても彼女の特異な魔力マナとの組み合わせにて成し得た技は、素直に上級者と言っても良い程であった。

 そんなヴァレリアではあるが、今は見た目の可愛らしさに目を奪われて喜びの方が先立っているようであった。まさしくそんな状況がヴァレリアの警戒心を緩めてしまう一因なのであるのだが。そんな彼女の心の隙間を見極めたのであろうか、一匹の角野兎ホーンラビットがテケテケとヴァレリアの足元に歩み寄ってきた。そしてその鼻先と申し訳程度に頭頂に生えた一本のつのさきを彼女の足に擦り寄せてくる。

「あれっ……どうしたのかな?」

 そう言いつつもヴァレリアはしゃがみ込んで、その角野兎ホーンラビットを腕に抱え上げた。

「可愛い~っ!」

 もう、ヴァレリアの顔は喜色満面で頬は緩みっぱなしである。完全にその魔物に魅入られてしまっていた。其れも仕方のない事と言えばそうかも知れない、それ程までにその角野兎ホーンラビットがヴァレリアに懐いてしまっていたからだ、これも彼女の類い希なる特質なのであろうか。しかも、黄金単角クイーンレベル角野兎ホーンラビットとは。

「お名前付けちゃおうっと……ウルウルしたお目々が可愛いからメルね」


 と、ヴァレリアはカクッと力が抜けるように膝が少し落ちた感じがした。そしてその時、メルと名付けられた黄金単角野兎クイーンホーンラビットの角の部分が軽く光り輝いたようにも視えたが。

 ————んっ⁉ 何か今、魔力マナが吸い取られたような? はて? 何なんだろうね? まっ、もうなんともないから……良いわよね。多分だけど‼


 小首をかしげながら少し不思議がっていたがヴァレリア自身、自分の身体の具合が特に悪くなったと言う訳でもなさそうとアッサリと意識を変えていた。そして勝手にメルと名付けた角野兎ホーンラビットにスリスリと頬摺りをしているのであった、全くもってヴァレリアに取っては魔物もペットも似たり寄ったりのようである。

  まあ、彼女に抱き抱えられているメルと名付けられたその魔物の方も、存外ヴァレリアに本当に懐いている様にも見える。がしかし、人と魔物との間でそれ程に意思疎通が出来るのかは甚だ疑問ではある。でも彼女ならもしかしたらとも思う……のではあるが、メルなる魔物の仕草を良く良く観察してみると、何となくヴァレリアの身体に残っている粘性生物スライムの残渣を舐めているだけの様にも思えてくるから――まあ、もうそれだけでは無さそうではあったのだが。

「こらっ、メルってば……くすぐったいんだから……もうっ」

 やっぱり舐められている様である、実態も気持ちの方も。魔物の方がヴァレリアより一枚上手のようであった。

 ヴァレリアはメルに胸元の当たりをチロチロと舐められるたびに、その身を捩るように身悶えしつつも、その魔物を決して手放す気が更々ないとでも言うように、ギュッと抱き締めると更に腕の力を強くして、そのまま抱き抱えたまま歩き始めた。洞穴の先の光はもう少し先の方にあった。

「こらコラッ、メルってばあまり服を引っ張らないでよ~ぅ。切れちゃうから……」

 全くもって緊張感の無い状況でヴァレリアは出口付近まで歩んで行った。


         § § §


 出口にて外の風景を覗いたヴァレリアは瞬間、動きがそのまま固まっていた。彼女の顔から血の気が失せて口元がワナワナと震えている。ヴァレリアの腕に素直に抱かれているメルの方もヴァレリアの身体から、その身を乗り出すように腕の間から前方へと首を伸ばしたまま固まっていた。

 ヴァレリアはそこから先に我が身の一歩を踏み出せず、ただ目を見張ることしか出来ないでいた。そう、その場の光景は惨劇と言う名の食物連鎖の上位種が単なる餌として角野兎ホーンラビットの群れを狩っている現場が彼女の目の前に展開していたのである。

 先程ヴァレリアが図らずもメルと名前を授けた魔物と同族の生き物達が肉食の魔物達の血肉となる自然界に於ける弱肉強食の摂理を目の当たりしている訳であるが。如何せん、メルと言う名を付けてしまった魔物との出会いにヴァレリアとしては、既に感情が理性を越えるだけの行動原理が働き始めていた。要は切れた! と言うわけであるのだが。

 俯きながらもヴァレリアは己の腕の中で固まっていたメルをそっと地面に降ろす。そして腰に佩いた剣に手をかけると、一気に鞘からやいばを抜き去り、おとがいを持ち上げると憤怒の眼を強者の魔物達に向けて更にカッと見開いた、そしてやいばを大上段に構えたまま大地を蹴って駆り出したのである。


 角野兎ホーンラビットを狩っていたのは黒毛牙獣ブラックウルフと呼ばれる肉食系の狼に似た全身黒毛に覆われた魔物であった。

「やめて~ぇ」

 ヴァレリアの怒号に似た叫びに、彼女に一番近い場所にいた黒毛牙獣ブラックウルフは口に咥えていた角野兎ホーンラビットを放り出すと、声を張り上げて向かってくるヴァレリアを新たな獲物として嗅ぎ取り直した。そう、黒毛牙獣ブラックウルフ達は身の程を知らずにもヴァレリアを餌として認識したのである。

 まあ、確かに見事なまでに凄艶に育ったそのからだは別の意味では、確かにではあるのだが……それはそれ、そこらの魔物達に喰われる為に育った訳では無かった。

 まずは一匹、ヴァレリアは剣を一閃薙ぎ払うようにして目の前に迫ってきた黒毛牙獣ブラックウルフの首を刎ねた。その見事な太刀さばきに斬られた相手も一瞬、自分の死を自覚できずに残った身体だけが仁王立ちしていたのである。

 ヴァレリアの素の剣士としての腕前は然しもの剣士達からすると流石に並のレベルであろうと言えた。元々、リアムとの剣技の練習でも女性の力の限界から当初のレベルではとてもリアムには歯が立たなかった。しかし、彼女は甚大な魔力マナを誇っており、それを特異な魔術で補い纏うことで並の剣士では並び立つことが無いレベルにまでその力を上げているのであった。言うなれば、自分の身体に治癒魔術ヒーリングをかけ続けて人体強化の模擬をしていることと、持ち得るやいば魔力マナを流し続ける事で、その切れ味を格段に持ち上げていたのである。依って、尋常では無い運動能力スキルと手にしたやいばの異次元の切れ味、それがヴァレリアの剣技の妙技であった。無論その分デメリットもある。常に魔力マナをかけ続け無ければならない魔術の為、当然の如く限度があった。それと、これは所謂いわゆるところの異世界で言うなればドーピングの様なものである、身体に負担が掛かるの目に見えていた。なので、今回のような数で襲ってくる魔物達に対しては間違いなく不利な能力ではあったのだが。

 そんな事を百も承知の上でヴァレリアは込み上げる怒りを抑えきれずに、己の魔力マナを限界まで引き出して黒毛牙獣ブラックウルフ達に向かっていったのであった。

 ヴァレリアは最初の一頭を一刀両断した後、その場から駆けだして森の中を抜け出そうとしていた。無論、その動きに釣られて他の黒毛牙獣ブラックウルフ達も角野兎ホーンラビットを放り投げると、新たな獲物となったヴァレリアの事を追いかけ始めた。

 そんなヴァレリアの一部始終を一兎の角野兎ホーンラビットが鼻をヒクつかせながらも後足で立ち上がって、濡れ羽色したその愛らしい眼でずっと追いかけていた。勿論、彼女からメルと名付けられたその一兎である。

 

 ————やっちゃった! どうしよう? うわ~っん、リアムお兄様、流石に相手の数が多いようっ! 

 黒毛牙獣ブラックウルフ達を惹き付けるように走り出しながら、ヴァレリアは天を仰いでそう嘆いていた。覆水盆に返らず、走りながらもヴァレリアは半分泣きべそであった。


 その後はと言えば、ヴァレリアはその己の魔力マナの限界まで黒毛牙獣ブラックウルフ達を凌駕していったのだが、流石に彼女が最初から音を上げていたように、黒毛牙獣ブラックウルフ達の数が多すぎた。ヴァレリアの魔力マナが尽きかけ始めると彼女のその剣の威力も格段と落ち始めた、その結果ヴァレリアの方も次第に満身創痍となりつつあった。

 そして最後は森を抜けた草原の小高い丘の更にひとつ飛び出した大きな石の上に仁王立ちしたヴァレリアとその廻りを取り囲む残り六体の黒毛牙獣ブラックウルフ達との睨み合いとなっていた。その中で彼女は心の底から、愛しい兄に助けを求めるように呟いていた。


 ————うえ~っん、リアムお兄様、お願いっ! 助けてようっ!

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