第7話 聖都からの使者

 話しはヴァレリアのこぶしが見事にリアムの左頬に炸裂して、彼が見事にと言うか華麗にぶっ飛ばされる兄妹きょうだい喧嘩の直後に戻る事になる。

 今日の夕飯はリアムが率先してこしらえていた、言わずもがな先程の罪滅ぼしとリアムは思っているのであるが、何となくリアムの方が貰い事故のような気もするのは『われ』だけであろうか。彼の料理の腕はと言うと見た目は兎も角、リアムの舌は確かであったようだ。妹のヴァレリアに言わせると『お兄様、いつでもお嫁さんにイケルね……あははっ!』だそうだが。で、その妹はと言うと、先程の荒事のあとの血塗られた肢体を洗い流すために近場の湖のほとりに出掛けたまま、未だ家には戻ってきていないようであった。鬼嫁ならぬ鬼妹ヴァレリアが帰ってこぬ間にさっさと夕飯を仕上げておいて帰ってきたらすぐにご機嫌伺いを出来る様にと、リアムは手を休めることなくせっせと仕度に励んでいたのであった。

「今日の夕飯はリアっちの好物の鴨肉料理ですね……そうそう最後に秘伝の粉を振りかけてっと」

 ————リアっちの発育促進のためですね……でへっ。

 リアムは秘伝の粉と言っているが、『われ』が知り得る異世界知識アカシックレコードではチーズと言われる乳製品である。ヴァレリアの大好物でこの世界では少々お高い物なのだが、日持ちが良いのでリアムはここぞという時の為、ヴァレリアのご機嫌取りように、常に隠し持っておったようだ。ほぼ、こやつは愛妹ヴァレリアの下僕とも言えるであろうぞ。それはそれでリアムにしてみればこころウキウキだそうだが。こやつ、どうもMッ毛がありそうで困る。しかも先程の眼福に預かった光景を思い起こしておるのかデレッとしておるし、『われ』としては少し心配であるが……。

 

 そんな折、家の扉を叩き鳴らノックして訊ねてくる者があった。

「この忙しいときに、誰ですか? ――たく~っ、もう!」

 そうリアムは愚痴を溢しつつも調理場から玄関口へと足早に移動する。

「は~ぃ、いま開けますから、待って下さい!」

 料理の仕度が佳境状態で激集中している最中に邪魔されて多少むかつくのは、彼の性格が悪いわけではないと思う、そんな心境が顔に出ていたと言うことでは無いであろうが。

 リアムが家の扉を開けた瞬間にそこに全身黒づくめの嵩高な外套ロングマントコートに包まれた御仁ごじんが居た。しかも、土下座せんとばかりの勢いでこうべを垂れており、頭巾フードを目深に被っている為、その様相は伺い知れなかった。

 いきなり現れたその姿に思わず面食らいズリッと後ずさりするリアムであったが。

「……あ、ぁの~ぅ……どちら様でしょうか? って、如何されましたか?」

 目の前にかしずく御仁の姿に、リアムは頬を引き攣らせながらも丁寧な対応を心がけて必死の思いで言葉を選んだ。しかも、目の前のほぼ土下座している御仁のやや後ろに二人の従者と思われる騎士が片膝立ちで、その右腕を胸の前から左肩に掌をあわせる形で黙礼しているのも見て取れる。無論、腰にくべき剣は鞘に入れたままで右端に置かれている、敵対の意志は無いとの暗黙の意思表示であった。

 ひとりはベッレルモ公国の聖騎士紋章が刻印された青い鎧の肩当てショルダープレート肘当てエルボープレート籠手ガントレットを身につけていたのでひと目で素性が分かる壮年の騎士だった。もうひとりの方は漆黒の革製の防具を陣羽織サーコートの下に纏っているのは伺い知れる。しかし、その陣羽織サーコートの胸元に描かれた紋章はリアムが見たこともないものだった、紋章の印象は丸型の赤地に白抜きで双頭の鷲に似た鳥の姿だったように見えた。そして人に頭を下げる事自身が気が進まぬ様子で何処となく高貴な雰囲気を漂わせる青年であるようにも思えた。ただ二人共その剣技の腕前は確かであろう事がその纏う雰囲気から伺い知れていたのである。

 二人から発せられる威圧、その状況に一瞬で背筋が冷え一筋の汗が彼の背中を垂れていくのをリアムは感じていた。

 ————聖都騎士団か、もうひとりは何処ぞの王族ですか、これは対応を間違えると首から上がなくなるかも……という事ですかね。

 そんな思いが彼の胸の奥で渦巻く。ゴクリと唾を飲み込む音すら周りに響くかのような錯覚に囚われながら、喉が干からびてくるのをかろうじて堪えていた。

 

「行き成りのご無礼をお許しください。我ら止むに止まれずお尋ねしたい儀がありまして貴殿のもとを訪れておりますゆえに、どうかご容赦ください」

 こうべを伏したまま、目の前の御仁が口上を述べた。

 確実に嫌な予感がする、面倒臭くなるのがリアムには手に取る様に目に見えるのであった。しかも発せられた声の質は何となくだが……微妙に高音域に聞き馴染む感覚があった、リアムはその場から逃げ出したくなる気持ちを必死に押さえて応対する。

「行き成り無礼も何も、いったい全体何なんでしょうか?」

 ————新興宗教なら間に合ってますって言って逃げることにしますか。

 心の中でリアムはそんな風にそっとうそぶく。

 と、そんな心の声が聞こえたのであろうか、行き成りガバッとかしらを上げると頭巾フードを脱ぎ去りながら、彼女はカッと目を見開いてリアムを正視した……そう、彼女……なんとその御仁は女性であった、しかもだ……。

「……ま・さ・か……きみはヴァ・レ・リ・ア……てことはないですよね」

 そんな言葉が思わずリアムの口からこぼれ落ちた。驚きのまなこで目を見開いて見つめるリアムにはヴァレリアと瓜二つの顔を持つ少女がひざまずきながら彼を見上げているのが映っていた。

「あぁぁ~ぁ、やはりここにヴァレリア様あねさまがいらっしゃるのですね」

 ヴァレリアによく似た艶やかな唇が喜びの言葉を吐いた、その唇の右下にある小さな黒子ホクロが口角の動きにつられて僅かに上目に動くのが彼には分かった。

 ————右下⁉ の黒子ホクロ? ……しまった!

 リアムは思わずほぞんだ、が既に時は遅すぎたようであった。

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