第6話 帝都の花火

 星が弾けたように、光が尾を引いて放射状に広がる。

 色は中心から紅赤色、冴えた黄色、紫がかった青。

 やがて白へ変わりながら、光の帯となって落ちてゆく。

 それが消えぬ間に、次の花火が我も我もと打ち上がる。


 夜空に咲き乱れる色とりどりの花火は、夏の終りの風物詩。

 賑やかな夏を惜しみ、実り豊かな秋を呼ぶ祭り。


「さすが帝都だな。イリウム州とは規模が違う」


 トキツさんの瞳に花火が写る。


 あれからすぐに、警察の大鷹がやって来てさっきの男たち(酔っぱらい含む)は連行された。

 トキツさんの予想通り、ヤバい取引とやらをしていたらしい。体に悪い方の薬を持っていたとか。

 警察官は私が皇女の侍女だと知ると、ものすごく丁寧な対応をしてくれた。

 経緯などの説明は明日でいいということになり、花火が綺麗に見える公園まで大鷹で送ってくれたのだ。


 だから私たちは今、ギジーを真ん中にして公園のベンチに座っている。周囲には、敷物の上に軽食を並べて談笑している人がちらほらいた。


「イリウムにも空花祭みたいなのがあるんですか?」

「これよりずっと小さいけどな。魔法もかかっていないし」


 帝都の花火は、菊や牡丹などの定番だけでなく、鳥や蝶や金魚の仕掛け花火が空を。魔物の火鳥が花火の周りを舞うことも。


「最後が見物だって聞いたけど」

「大規模な仕掛け花火が上がるんです。建国記に出てくる十二神が一斉に飛び出して、アキェルの枝を落とす。枝をもらえた人は、幸運が訪れるそうです」

「花火が枝を落とす?」


 トキツさんは不思議そうな顔をした。


「私も実際に見たことはないですけど、あるらしいですよ」

「へえ」


 想像でもしているのか、トキツさんはまじまじと花火を見上げる。

 大輪の花火が開く度に漏れる感嘆が私の右耳をくすぐり、なんとなく、本当になんとなく、花火の音と違う何かがトクトクと胸を打っている気がした。

 それがどうにもむず痒くて、


「ユリカさんと来たかったんじゃないですか」


 と、つい言ってしまった。

 トキツさんはばつが悪そうに花火から私へ目を移す。


「あいつはただの友人」

「以前は恋人だったんですよね」

「ギジーから聞いたのか」


 ポリポリと首の後ろをかいて、トキツさんは垂れた目を細めた。


「昔のことだし、今は関係ないよ。あいつとは見てる先が違うから」

「見てる先?」

「あいつは結構野心家なんだ。自分の夢がはっきりしていて、ぐんぐん邁進していく。俺はそれに付き合う気がない」

「ふーん?」

「俺はどちらかと言うと、のんびり暮らしたい方なんだ」

「それならどうして用心棒なんて危ない仕事しているんですか?」

「それは……」


 トキツさんは、眠そうにうつらうつらし始めたギジーに気づくと、肩を抱えて自分の方にもたれさせた。


「成り行き、かな。これしかなれなかったんだよ」


 ギジーの背中をぽんぽんと優しく叩く。

 この手に撫でられていたと思い出して、心がまた少しむず痒くなった。


「で、カリンちゃんはなんで侍女に?」

「元は祖母がツバキ様の侍女をしていたんです。高齢で辞めることになったから私が代わりに。ほら、ツバキ様には秘密が多いでしょう? だから本当に信用できる人しかそばに置けないんです。……まさか、あんなに秘密が多いとは思いませんでしたけど」

「確かに」


 くくっと抑えて笑う。

 彼とこんなにゆったり話したのは初めてだ。仕事から離れているのもあるけれど、幼い頃から親しんでいる花火が心を和ませてくれるのかもしれない。

 でも次第に、打ち上がる間隔が長くなってきた。

 最後の準備を始めたんだろう。

 鮮やかな色を失った空がぼんやりとした濃紺へ変わり、トキツさんの顔も見えづらくなる。

 訪れた静寂は、穏やかに話せる最後のチャンスかもしれない。


「……私、トキツさんに謝らないといけません」


 ボソッと告げた言葉を拾い損ねたのか、トキツさんは無言のまま。表情はわからないけれど、顔をこちらに向けたのだけはわかった。


「トキツさんが言っていたことは当たってます。……あなたを見ると、不機嫌になるってこと」

「仕事中の態度が気に入らないんだろ?」

「それもありますけど」

「他にもあるのかー」

「あ、えっと……トキツさんが悪いわけではなくて。私、ツリ目なので。タレ目の人を見ると、つい敵対心が……」

「はあ?」


 トキツさんは呆れを通り越した、戸惑いを含んだ声を漏らす。


「それはつまり、俺は顔で嫌われてたのか。なんかショックだな」

「あ、顔はただのきっかけで、ついついアラを探してしまっていたというか、やたらと人に馴れ馴れしいところとか、身だしなみに無頓着すぎるとか、細かいところが目につくように……」

「なんか心がえぐられていくなー」

「いえ、これが言いたかったわけではなくて」


 全然謝罪になってなかった。自分でも呆れてしまい、深く俯いて両手で顔を覆った。


「あの、だからつまり。……今まで嫌な態度を取っていてごめんなさい」


 思ったことはズバズバ言えても感情を表に出すことが苦手な私は、キュッとスカートを握る。

 少ししてまた一つ上がった花火が空を染めたけれども、見上げる余裕もなくて。トキツさんも感嘆の声を上げなくて。遅れて聞こえたドンッという破裂音に、指がピクリと動いた。


「ふっ。ははっ」


 突然トキツさんが笑ったので、訝しく横目で見る。


「神妙に何を言うかと思えば、そんな……ははは」

「ちょっと! こっちは真剣にっ」

「まさか目が問題だったとはなあ。そんな気にすること? ツリ目だからって、別に極悪人みたいな顔してるわけじゃなし」

「だって、目が合っただけで睨んでると誤解されるんですよ。初対面の人にちょっと声かけただけで怖がられたり、何も考えてないのに怒ってるか聞かれることもしょっちゅうで。かわいい服も全然似合わないし、ツリ目だけで損してることたくさんあるんです。どうせタレ目の人にはわからないですよね!」


 拳を振って力説すると、トキツさんは「それを言うならタレ目だって」と、やや興奮気味に反論を始めた。


「真剣に話してるのにそう受け取ってもらえないし、話しかけてほしくないときもやたらと絡まれるし、用心棒やってるのに怖そうに見えないから侮られるのもしょっちゅうだ。それに、切れ長目の男のがモテるんだぞ! ちょっと優しくしただけで良い人だって好感度爆上がりで!!」


 誰か特定の男性を思い浮かべているのか、トキツさんは悔しそうに拳を膝へ打ち付けた。

 タレ目はタレ目で苦労しているのね……と妙な哀れみを持ったところで、我に返ったらしい彼は、気持ちを切り換えるように身じろぎをして一色ばかりとなった空を見やる。


「昔世話になった夫婦の奥さんも似たようなこと言ってたな」

「なんて?」

「若いときは結構きつい顔してたから、自分の顔が嫌いだったんだって。年齢とともに目尻が下がっていったらしくて、そん時はそうでもなかったけど」

「おいくつくらいの方だったんですか?」

「えーと確か……五十代後半」

「それまで待てと?」


 喧嘩売ってんのかなこの人は。

 「あ、いや、そうじゃなくて」とトキツさんはツンツンした髪を弄る。


「旦那さんは、奥さんは昔から綺麗だって言っていた。奥さんは旦那さんの前ではすごくかわいく笑うんだ。俺は子どもの頃は、その、まあ、悪さばかりしてたからよく怒られていたんだけれども、いつも厳しくともあったかく接してくれた。……旦那さんも、そう」


 トキツさんは哀愁を帯びた声で、懐かしそうに続ける。


「誠実を絵に描いたような人だった。どうしようないほどクソガキだった俺は、そんな実直さが嫌になることもあって。『醜いことばかりしていると心だけでなく顔まで醜くなる』と言われたこともあったな。当時の俺には腹が立つ言葉でしかなかった。でも職業柄いろんな人を見てて気づいたんだ。一見綺麗な女性でも強欲だったり意地が悪いと、素の顔に人柄が出てる。年齢を重ねるほど特に。

 カリンちゃんにはまだわかんないかもしれないけど、生き方で顔は変わるんだよ。今思い返すと、その奥さんは雰囲気が凛とした美しい人だった」


 旦那さんが言っていた通り、と静かに呟いてから口を閉じた。寄りかかるギジーの頭が落ちそうになっていることに気づき、そっと直す。


「素敵なご夫婦だったんですね」

「俺の理想だよ。あんな風になれたらと思う。二人とは真逆の生き方してたから、今更無理かなー」


 のんびりしたトキツさんしか見たことがない私は、悪さをしていたらしい時代が結びつかない。ただ、なんとなく触れてはいけない部分のような気がした。

 私はこの街で生まれ、極々平凡に育ち、今は城に住んでいる。それよりも広い世界を見てきた彼は、私の知らない感情をたくさん持っているのだろう。


 「少なくとも」と口が勝手に動いた。

 後に続く言葉は勢いで出てはくれず、私は彼とは反対の方を向く。


「少なくとも私には、悪い顔に見えたことはありません」


 こもった声が届いたのか自分ではわからず、しんとしてしまった時間はものの数秒だったはずなのに、私は変なことを言ったのかと不安になった。「そっか」と短い返事は優しく、けれどもそれもまた彼の優しさなのかもしれなかったから。

 私は城という限定された場所でしか彼を知らないのだ。


 ──って、これじゃあまるでトキツさんのこと知りたがってるみたいじゃない!


「だ、だらしない顔はたまに見ますけどねっ」


 こみ上げてきた羞恥心を悟られないよう声高に付け足せば、トキツさんは心外だとばかりに体ごとこちらを向いた。


「は!? いつだよそれ」

「ツバキ様にデレッとしてるときです。あと、他の侍女とはいつも嬉しそうに話してますよね」

「もしかして嫉妬してる?」

「そんなわけないでしょ!」

「お。何か始まったぞ」


 トキツさんは私の全力の否定を無視して空を指さした。

 振り仰いで見えたのは、一直線に空を昇る十二色の火。

 最後の花火が始まった。

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