第5話 助けは呼びに行く主義なので

 ついに花火が上がり始めた。

 この通りからは見えないけれど、空に滲んだ鮮やかな色と風に乗った残響が通行人の興味を引く。

 それに紛れてなのか何なのか、いきなり変な男に絡まれた。

 偶然目が合っただけなのに、睨んだだろと因縁をつけてきたと思ったら、いつの間にか一緒に花火を見ようという話になり、しつこく着いてくる。

 二十代前半くらいかな。顔は整っている方だけれど、小汚い格好。態度もかなり横柄で口調もちょっと癇に障る感じ。

 なにより酒臭い。

 花火の音のせいにして、やたらと顔を近づけてくる。

 私は男を巻こうと足早で歩いていた。トキツさんと競争したせいで足が痛いっていうのに。

 今日はしっかりマッサージしてから寝よう。ツバキ様から頂いたお気に入りの香もたいちゃおうかな。なんてことを考えている最中も男は話しかけてくる。


「だからさあ、この僕が相手してやるって言ってるんだ。意地張ってないで花火見に行こう」

「…………」


 あんたに張る意地なんて持ってないんだけど。

 返事したら負けだと自分に言い聞かせて気を静める。


「ほら、ここ曲がろう。いい所知ってるんだ」


 乱暴に腕を掴まれた。

 鼻息荒いし、ものすごく気持ち悪い。


「ふたりっきりになれる穴場だよ」


 男の下品な目を見た瞬間ゾッとした。

 私はこの街で生まれ育った。この男が曲がろうとしてる道の先に、花火が見えるところなんてない。


「どこへ連れて行こうとしてるのよ!」


 ガッと勢いよく男の脛を蹴った。


「いってえ!」


 男が脛を抱えてる間に走り出す。


「このブスが!」


 背に浴びた怒声を無視して必死に遠ざかった。

 けど。


「待てコラ!」


 嘘でしょ!? 追ってくるなんて!!

 走りながら空を見上げても警察の大鷹はいない。

 見回りしてるはずだからいつかは通ると思うけれど、待ってる余裕はない。

 なにより足がすこぶる痛い。

 このまままだとじきに追いつかれるだろう。

 それなら。


 私は振り向き様男に言い放った。


「あんたみたいな節操なしの変態、誰も相手するわけないでしょ!」

「なんだと!?」


 挑発にのった男が着いてくるのを確かめてから、近くの角を曲がって細い道に入る。

 路地は危険だ。いくら他の州に比べて治安のいい帝都でも、道を一本間違うと素行の悪い人たちがたむろしていたりする。

 だけどこの街で育った私は、全部じゃないにしてもある程度の土地勘があった。

 私が目指す場所。

 それは、何度か曲がった先にある中央警察署だ。

 そこの署長はとっても怖いことで有名だった。

 すぐ魔法で人を氷漬けにするとか、署長室には拷問部屋があるとか、目からビームが出るとか、声を出して笑ったら世界が滅亡するとか、いろんな恐ろしい噂がある人。

 でもそんな署長と知り合いのツバキ様は、正義感の塊だっておっしゃっていた。

 助けを求めたらすぐに対処してくれるに違いない。

 会うのはすごく怖いけど。すんごく怖いけど。

 ツバキ様が信頼されているなら、大丈夫だよね。


 祈りながら走り続け、とある十字路で左に曲がったとき。


「きゃっ!」


 ドンッと誰かにぶつかって尻もちをついた。

 ここはこの街で最も古い店舗が並ぶ道だ。馬車が通れないほど狭くて、ゴミがたくさん落ちていて、汚水の嫌な匂いもする。

 サエさんの店のように住居と一体ではなく、全部閉店しているのかどこも明かりはついていなかった。そもそも、空き店舗ばかりかもしれない。

 花火の光も、音も届かない。

 いつもならさほど気にならない薄暗さも、今日は大通りが賑やかだっただけに暗い森に取り残されたような不気味さがあった。


 って、転んでる場合じゃなかった。

 慌てて顔を上げる。

 大柄の男が壁のように立っていた。

 小さな街灯に浮かび上がった顔は傷だらけ。

 ガラが悪いとかそんなレベルじゃない。世間の闇を見てきたような凄みがある。

 もしかして、かなりまずい人にぶつかっちゃった……?


「なんだお前ら。ここじゃ花火は見えねえぞ」


 大柄な男の声で、十字路の左の道にいた仲間たちが振り向いた。

 殺伐とした空気。

 花火を見るために集まったわけではない……よね……?


「ここは通行禁止だ」

「わ、私、向こうへ……」

「殺されてえのか二人とも」

「ひっ」


 私を追ってきた酔っぱらいが悲鳴を上げた。

 私も恐怖で足が竦む。

 大柄の男の目は私を人ではなく物として捉えているようだった。

 カタカタと体中が震えて、声も出ない。

 

 近づいて来た大きな手が視界いっぱいに広がる。

 咄嗟に目を固く瞑った。

 誰か助けて──


「ったく。用事終わったなら呼べよ」


 聞き覚えのある声。

 そっと目を開けると、大柄な男がいた場所に、トキツさんが立っていた。

 男は後ろに倒れている。


「え……。な、なんで?」


 上ずった声で問いかければ、トキツさんは心底呆れた顔をした。


「そりゃこっちのセリフ。今俺はカリンちゃんの護衛なのに、なんで先に帰ろうとするかなー」


 しゃがんで私と同じ目線になってから、ポリポリと頭をかく。

 その様子があまりに緊張感がないものだから。命の危機を感じていたのに、なんだか気が抜けてしまった。


「女の子一人じゃ危険だって言われてたのに。主人の命令に逆らっちゃダメだろ」


 軽くデコピンをされた。

 痛い。けど、言い返せない。

 謝らなきゃと思ってもトキツさんを直視できず、視線を外した。

 すると、動く影に気づいた。

 さっきの男が立ち上がり、背後からトキツさんを蹴ろうとしていたのだ。

 ところがトキツさんは、私が危ないと叫ぶよりも早く男の足を掴んで前方へ投げ飛ばした。

 着地点はなんと酔っ払い男の上。大柄な男に押しつぶされ、頭を打って気絶した。


 呆気にとられたのは私だけではなかった。

 男の仲間たちも何が起こったのか理解できなかったみたい。

 この中で最もガタイのいい大男が、一瞬で投げ飛ばされたんだから。

 残った男たちは我に返ると、一斉に殴りかかってきた。

 トキツさんはニイッと余裕の笑みを浮かべる。


「ほら、祭りの日は変な奴が湧きやすい」


 私の方を向いたまま立ち上がり、後ろを蹴って一人倒す。

 左後方から来た男のパンチを一瞬しゃがんでかわしてから、肘鉄を食らわせてまた一人。

 すかさず隠し持っていたナイフを左肩越しに投げ、一人の膝に刺す。

 その間、トキツさんは一度も振り返っていなかった。


「ちょっと待ってろ」


 ポンと私の頭に手を置いてから、トキツさんはようやく振り返る。

 それを合図に、急に周囲が明るくなった。

 目を細めて見上げると、屋根の上に懐中灯を持ったギジーがいた。

 道の奥には、さっきの男の仲間がまだ四人と、彼らより上等な黒服を着た、これまた怪しげな人が三人。

 黒服の一人は頑丈そうなケースを持っていた。


「なんかヤバい取引してたって感じだな」


 そう言うトキツさんの声は落ち着いている。

 パッと走り出し、道路脇の古い酒樽や箱を踏み台にして飛ぶと、壁を蹴って二つのグループの真ん中へ着地。素早く鎖を操って男の手からケースを奪い取ると、屋根にいたギジーへ放り投げた。

 逆上した男たちが剣を抜く。

 完全に囲まれている。

 それでもトキツさんは焦ることなく、振り下ろされた剣をかわし、回し蹴りで男を吹っ飛ばした。

 自分も剣を抜いて、四方から向かってくる敵を次々倒していく。

 後ろに目がついてるみたいだった。

 剣を弾いた隙に外套の中へ手を入れ何かを取り出し、様子を窺っていた黒服の人へ命中させる、なんてこともした。その人はトキツさんの真後ろにいたのに。

 どうやってと考えて、はっとした。

 ギジーと契約したトキツさんは遠隔透視ができる。

 自分を中心に視角を拡げることもできるって聞いたことがあった。

 前後左右、上空まで……彼は、自分の目で見えない場所も把握できるんだ。


「ギジーの能力って……すごい……」

『あったりまえだろぉ』


 いつの間にか、屋根にいたはずのギジーが隣にいた。


『トキツは用心棒だからな。敵の場所を把握できるおいらの能力はかなり使えるぞ。行方不明の依頼人を探すのも簡単だし』


 ギジーは意味ありげに私を見てキシシと笑った。


『ま、能力を使いながら戦うのはかなり難しいけどな。それをやってのけるトキツもすごいんだぞぉ』


 ふんっとふんぞり返るギジー。

 確かに、素人目にもトキツさんの剣技は鮮やかだった。相手は必死なのに、トキツさんはすごく涼しい顔をしている。ああいうのを無駄のない動きって言うんだろう。


『おっ。終わったぞ』


 あっという間に全員倒したトキツさんが私の前に戻ってきた。

 手を取って、立たせてくれる。

 

「ケガはしてないよな?」

「あ……うん」


 体は何ともない。驚きと疲れで、うまく動かせないけれど。

 それきり二人とも無言になってしまった。

 トキツさんに言わなきゃいけないことがたくさんあるはずなのに、口がうまく動かせない。

 今日は暑いはずなのに、体が冷えてる感じがした。

 リーリーと鳴く虫の音が気まずい雰囲気を強調してくる。

 顔が見られなくて、トキツさんの手に視線を落とす。

 ゴツゴツした手は、たくさん修練してきた証。始終平然としていたのは、それだけ今より危険な局面を乗り越えてきた証。


「悪かったな、一人にさせて」


 なぜか謝られて、トキツさんを見上げる。

 彼はとても、責任を感じているような顔をしていた。


「怖かっただろ」

「…………!」


 率直に言われて、我慢していた恐怖心がよみがえった。

 ポロポロと涙が溢れる。

 自分でもびっくりするくらいたくさん涙が出てきて、ああ私はこんなに怖かったんだと、体が冷えてると感じたのは震えていたからなんだと自覚した。

 トキツさんの手の温もりが、今一番熱いってことも。

 彼の胸に頭を預ける。

 彼は反対の手で、私の背中をそっと撫でてくれた。

 リーリーと鳴く虫の音が、心地いいと感じられるようになるまで。

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