第4話 自分じゃわからない

「そんなのしたことないでしょう。恋バナしたいだけですよね」


 冷静に突っ込むと、サエさんは「バレたか」と悔しそうな顔をした。


「つまんないなー」


 ふんとそっぽを向く。蜥蜴のニュムも。腹が立つほど同じ角度だ。


「からかわないでいただけますか」

「だってさあ」


 サエさんはニマニマした笑いを片手で隠した。隠しきれてないけれども。


「カリンちゃんが男の人連れてくるなんて初めてじゃない。この前は親に結婚はまだかって催促されてうんざりしてるって言ってたのに、なーんだ、良い人いるんじゃーんって思ったのにさあ。向かいの店の女に取られちゃって、寂しそうに背中見つめてるんだもーん」

「見つめてません。『もーん』って言う歳でもないでしょう」

「あらー、辛辣ぅ」

「辛辣で結構ですから、早く薬をお願いします」

「はいはい。じゃあいつも通り手を出して」


 実年齢より二十若く見える美魔女サエさんは肩をすくめると、私の手の平に蜥蜴を置いた。

 最初の頃は気持ち悪くてビクビクしていたこの工程も、今はもう慣れたものだ。


「使う人のことを思い浮かべてね」


 サエさんの言葉に従って目を瞑る。

 彼女は私と同じ平民だけれど、魔法薬の技術は貴族街のお店に負けないくらいすごい。

 いつもの塗り薬もツバキ様のために特別に作ってもらっている。

 もちろん私の主人が皇女だとは言っていない。詮索されたこともない。ただ、私は平民にしては上等な服を着ているから、貴族に仕えていると思っているようだ。

 皇女と知ったら卒倒するだろうなあ。


「カリンちゃん、集中してる?」


 厳しい声が飛ぶ。

 深呼吸して、ツバキ様の美しいお姿を思い浮かべながら、早く治りますようにと祈った。手荒れだけじゃなくて、どんな傷も治せるように。これからもツバキ様が好きなことを気兼ねなくできるように。あの笑顔が陰ることのないように……。

 手がじんわりと温かくなっていく。

 心地いい温もりに集中すると、胸の奥まで日向ぼっこしているみたいな気持ちが広がる。

 初めてこれをしたときは、私の気持ちが薬の出来を左右するのかと責任を感じて緊張したっけ。

 でも今は、私がツバキ様の役に立っていると実感するひととき。


「もういいよ」


 目を開けると、蜥蜴の体がブルッと揺れた。

 そして口から、乳白色の小さな飴玉みたいな塊を吐き出す。胃液付き。

 ……ここの工程は何回やっても慣れない。


 サエさんはそれを透明の液体が入った瓶に入れた。数回かき混ぜてから取り出して、出来具合を確認する。


「うん、よく出来てる」


 満足気に頷くと軟膏が入った深い器に入れ、小さなヘラで潰して伸ばしながら薬に練り込む。


「それで、実際のところはどうなの?」


 黄色と乳白色が綺麗な渦巻模様を描き始めた頃、サエさんがまた唐突に話し出した。


「何がですか?」

「だから、さっきの男の人のことだよ。かっこよかったじゃん。優しそうだし、あのお猿さんと契約したってことは、魔力も高いんでしょう? 将来有望よ」

「サエさん、親戚のおばさんみたいですね」

「まあ可愛くない子っ。少しくらい考えないの?」

「ありえませんよ。仕事だけの関係ですし」

「ふーん。カリンちゃん仕事と私生活はきっちり分けそうだもんね」


 明らかに不満そうな顔。


「じゃあどういう人が好みなのさ」

「まだ続けるんですか、この話題」

「いいじゃない。うちの客は父の代からお世話になってる人ばかりで、カリンちゃんくらい若い子は滅多に来ないから、こういう話題に飢えてるの」


 で、どうなの? とサエさんは好奇心に満ちた目で訴えてきた。

 そういうところが私の叔母にそっくりだって言ったら怒られそうなのでやめておこう。

 でも考えたところで、自分の好みなんてわからない。

 

「強いて言うなら、仕事に誇りを持ってる人ですかね」

「真面目だねー」

「ほっといてください」


 ムッとすると、サエさんは「ごめんごめん」と軽く謝った。

 私は渡された濡れタオルで手をゴシゴシ拭く。


「こんな話しても不毛ですよ。仕事辞めたくないので、誰とも結婚するつもりはありません」

「仕事続けさせてくれる相手だったら結婚する気はあるってことねー」

「今の仕事は住み込みなので、結婚するなら私は出て行かないといけないんです」

「あら、さっきの男の人は同じお屋敷で働いてるんでしょ? ちょうどいいじゃない」


 話が戻ってしまった。

 そろそろ怒ってもいいだろうか。


「だから、彼とそうなるなんて有り得ません。お互い嫌ってますから」

「そうなの? ま、今はそういうことにしておこう。さあ出来たよ」


 サエさんが器を傾けて私に見せる。

 黄色かった軟膏は光沢のあるクリーム色に変わっていた。


「いい色よねえ」


 サエさんがうっとりしたように眺める。


「ニュムの吐き出す”想いの珠”は、人によって色が違うんだよ。カリンちゃんのはとても綺麗。ご主人のことが大好きなのが伝わってくる。カリンちゃんが優しいってこともね」

「私は優しくないです。他の侍女にも怖がられているし、無愛想ってよく言われるし」


 目を丸くすると、サエさんはふふっと笑った。


「これ見ればわかるよ。形も真珠みたいにまん丸。根が純粋なんだね」


 さっきまで辛辣とか可愛くないとか言ってたのに。

 いきなり褒められると照れてしまう。

 そわっとする私を見て、サエさんは優しく目を細めた。


「ね、どうして私がニュムと契約したか話したことあったっけ」

「ないと思いますけど」

「この子の魔法の効力ってさ、気持ちに左右されるんだ。だから安定を求めるなら、もっと違う魔物の方がいい。そもそも傷を治すだけなら、薬じゃなくて治癒魔法をかけた方が断然早い。本当は私ね、そういう魔物とも契約できたの」


 サエさんは穏やかな表情で話しながら、器用に陶器へ薬を詰めていく。

 私は彼女から蜥蜴へ視線を移した。

 ニュムは初級魔物だから、ギジーと違って話せない。それでも会話は理解できるはず。ニュムはサエさんの腕を伝って肩へ登り、長い尻尾で頬をペチペチと叩いた。

 サエさんは軽く笑ってから、話を続ける。


「でもそれじゃ、契約した私しか使えないから、患者に来てもらわないといけない。でも薬を作れば誰でも治すことができる。それにニュムの魔法で作った薬は、早く良くなるように祈れば祈っただけ、効果が上がっていくの。塗るときにも気持ちを込めれば魔法に変わるのよ。これは他の方法では得られないことだ。

 私は人の想いの強さを信じてる。だからそれを形にしてくれるニュムの魔法が大好き」


 蓋を閉めて、清潔な布で丁寧に陶器の表面を拭く。

 何気ない動作だったけれど、自分の分身を愛でてるみたいだな、と思った。


「はいどうぞ。今日も素敵な薬ができた。カリンちゃんのおかげでね」


 私の手に薬を置いて、両手で上下から挟むように優しく包む。


「気持ちを伝える方法は言葉以外にもある。些細な行動にだって、気持ちを乗せれば伝わるの。一方通行になることも多いけれど、気づく人もいる。そういう相手を見つけてね」


 ニッと歯を見せて笑って、サエさんは手を離した。

 なんて答えればいいのかわからなくて、私は無言で手元へ視線を落とす。

 するとサエさんが「アハハハ」と明朗な笑い声を上げ、私の肩をバシバシと思いっきり叩いてきた。


「あんま真剣に受け取らないで。恋愛は無理にするものじゃないしねえ。今日は恋バナ出来て楽しかったわー」


 若い子と話すと心に張りが出る気がする、とサエさんはまた親戚のおばさんみたいなことを言った。


 それからお会計を済ませ、店を出る。

 空はかなり暗くなっていた。経験から察するに、そろそろ花火が始まる頃だけれど、まだ音はしない。

 向かいの化粧品店の明かりは消えていた。奥行きのある建物だから、トキツさんたちは奥の部屋にいるのかもしれない。

 用事は終わったと伝えるべきなのか悩む。

 積もる話もあるだろうし、もしかしたら、一緒に花火を見に行くかも。

 屋台がある通りはここから歩いて十分くらい。花火が見える川沿いはさらに五分くらいの距離。

 花火の上の方だけでよければここからでも見えるから、外には出ずに二階から眺める可能性もある。


「一人で帰ろうかな」


 ぽつりと呟く。

 トキツさんとユリカさんの間に流れていた大人の雰囲気に入るのは、なんとなく気が引けた。


「ギジーは邪魔出来たのかな」


 乱入するギジーを想像する。

 イキって入って、二人の会話の邪魔して……。

 ……うーん。お菓子を出されたら絆される気がするなあ。

 やっぱり一人で帰ろう。

 飛馬車を待たせてる所までは歩かなきゃいけないけれど、まあ、心配することは起きないだろう。


 ──と思ったのは、甘かったようです。

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