第3話 興味ないのにな
呼ばれて振り返ったトキツさんは、女性を見るなり「おー」と驚いて、嬉しそうに手をあげた。
「ユリカ、久しぶり。いつ以来だ?」
「もう三年くらいになるかな」
「こっち来たのは?」
「二ヶ月前よ。そこが私のお店」
「そっかー。帝都で店持ちたいって言ってたもんな」
女性は薬屋の向かいにある、化粧品を扱う店で働いている人だった。
オリーブグリーンの髪色に合ったベージュのシックなシャツに白いロングスカートをはいて、甘い花の香りを漂わせている。
しかもというか仕事柄というか、化粧が上手。透明感のある綺麗な肌に、若い女性が真似したくなるような華やかさもあって、まじまじと見つめてしまう。
つまり、美人なお姉さんってこと。
トキツさんは懐かしそうに、城では見せたこともない顔で笑う。
穏やかで包容力のありそうな、大人の男性の顔。
ユリカさんという女性は親しげに、艶っぽく、トキツさんの腕に触れる。
二人の空気は私たちとはどことなく違っていた。
ただの知り合いではないんだろうな、とぼんやり考える。
「ごめんなさいお邪魔だったかしら。この子に睨まれちゃった」
はっとして焦点を合わすと、ユリカさんは形の整った眉を下げて私を見ていた。
睨んだつもりはないけど。
「いえ、そういうわけでは……」
「ねえトキツ、時間ある? 落ち着いたところで話しましょうよ」
ユリカさんは柔らかい笑みをトキツさんへ向けた。
彼はちらりと私の顔色を伺う。すごく行きたそうな目をしていた。
「一応仕事中ですが、行きたいならどうぞ」
「……あっそ。じゃあ遠慮なく」
一瞬眉をひそめたトキツさんは、ユリカさんと話しながら道の向こう側へ歩いていった。
ユリカさんは私より背が高くスラッとしていて、歩き方も綺麗。道行く人々の切れ間から見える二人の後ろ姿は、違う世界へ行くような感じがした。
ま、私には関係のない話だけれど。
くるりと背を向けて店に入ろうとして、立ったまま動かないギジーに気づいた。
なんだかしかめっ面でトキツさんたちを眺めている。
「ギジーは行かないの?」
『おいらはいい』
ギジーはふいっとトキツさんたちから顔を背け、薬屋へ入っていった。
いつも一緒にいる二人が別行動なんて珍しい。
ともあれ、サエさんを待たせるわけにいかないから、私も丸まった小さな背中の後に続いた。
老舗の薬屋独特の、体に良さそうだけど苦い匂いが充満した店内では、飲薬や塗薬等種類別に様々な器が所狭しと並んでいる。
サエさんが作った薬だけじゃなくて、客が自分で調合もできるように、細長い受付台の奥には薬の材料が入った古い木棚がある。
珍しい木の根や動物の肝、魔物の眼球なんてものもあるらしい。以前サエさんが興奮気味にどれだけ貴重か説明してくれたけれど、引き出しの一つ一つに貼られた名称を見ても、何が何だかさっぱりわからない。
いつも通り待合室(衝立で仕切られているだけだけど)へ通された私たちはやっと座ることができてほっとした。
「汗だくじゃない。ちょっと待っててね」
そう言ってサエさんは冷たい水を用意してくれた。レモンの輪切りが入っている。
「そちらのお猿さんはシスルジュースでいい?」
『おう。喉カラカラだぜぃ』
目を輝かせたギジーはコップを掴むと、好物のジュースをごくごくと美味しそうに飲み干した。
『ぷっはー。生き返るぅ』
「はは。かわいいねえ。君はさっきのお兄さんのかい? ここらじゃ見かけない種類だね」
『おいらはイリウムの北山から来たんだ』
「イリウム! 懐かしいねえ」
イリウムはバルカタル帝国北部にある州だ。
「サエさんは行ったことがあるんですか?」
サエさんの目がキラキラッとさっきのギジーより輝いた。
あ、しまった。彼女の心に火をつけたかも。
「イリウムは昔から医療が発達しているからね、若い頃そこで魔法薬の研究をしていたことがあるんだよ。北ってことは国境の山岳だろ。あそこは上級魔物が多いし、魔力溜まりが出来やすいから、危険だけどすんごく貴重な薬の材料がたくさん採れるんだ。普通の薬草でもそこで育ったやつは効果が何倍にもなるしねえ。しかもしかも、銀盧花っていう幻の……」
「あーっと、サエさん。いつもの軟膏ってありますか?」
「え? ああ、それならすぐ作ってやるよ。ちょっと待ってて」
「はい」
危ない危ない。
薬マニアのサエさんはすぐウンチクを傾けてくる。木棚の中身の他に、イリウムも禁止用語だな、うん。
サエさんがいなくなると、しんと辺りが静かになった。
ギジーと二人きりなんて初めてだ。
話題を探すけれど特になく、コップの水滴で濡れてしまった机を拭く物がないか視線を泳がせる。
『戻っちまうのかなあ』
しんみりとギジーがつぶやく。
何が? と問えば、あんまり聞きたくない話題が出そうな雰囲気になった。
『さっきの、トキツの恋人だった奴なんだ』
「ふーん」
『より戻すのかなあ』
「知らないわよ」
『やだなあ』
ギジーは足をブラブラさせる。
あれかな。父親が再婚するかもと懸念する息子みたいな気持ち?
「ギジーとトキツさんの関係は変わらないんだから、寂しがる必要はないでしょう」
『べ、別に、寂しいわけじゃねえ』
ギジーは白い顔を真っ赤にした。
『そんなんじゃなくて、おいらはあいつが嫌いなんだ』
「ユリカさんって人?」
『あいつ外見はキレイだけど、中身は嫌な奴だ。おいらのこと邪魔者扱いして、トキツと引き離そうとした』
よく聞く話だ。
契約した魔物と人間は基本的にずっと一緒にいるから、恋人と揉めることがあるらしい。
彼らは特にべったりだし、ユリカさんも複雑だっただろう。
「あなたたちの仲の良さに嫉妬したんでしょ」
『違う!』
ギジーは当時を思い出したのか、机に飛び乗ってぷりぷりと怒り始めた。
でも申し訳ないくらい怖くない。
『あいつ、前は用心棒の紹介屋で働いてたんだけど、おいらの能力は用心棒には向かないからって、他の魔物を紹介してきたんだ。トキツもトキツで、はっきり断らないから、よく喧嘩になった』
軍や用心棒等、力を必要とする職種の人たちは攻撃系の魔物と契約することが多い。治癒や防御などの支援系もいるけれど、ギジーの
魔法戦にでもなれば圧倒的に不利なのは明らかだ。
ユリカさんが他の魔物を紹介したのは、純粋にトキツさんを心配したからかもしれない。
『まあ結局、トキツはおいらを選んだけどなっ』
ギジーはふんぞり返って鼻息を荒くする。
そっか。彼は美人の頼みを断ったってことか。
「よっぽどギジーが大事なのね」
『よせやい照れるだろお』
感心すると、ギジーはにょへっと可愛いような可愛くないような、変な顔で笑った。
「そんなことがあったなら、よりを戻す心配はないんじゃない?」
『だといいんだけどなあ』
ギジーがまたしょんぼりしてしまったので、その間に私はコップを手に取る。
『最近トキツ、嫁欲しいって言ってるしなぁ』
「!?」
危うく口に含んだ水を吹き出すところだった。
ギジーは意を決したように両手で拳を握る。
『よし。おいら、邪魔してくるぜい』
言うや否や、ピョンと飛び降りて店の外へ走っていってしまった。
何なんだ。
「あら、お猿さん行っちゃったの。もっとイリウムの話したかったのに」
入れ違いでサエさんが入ってきた。
底の深い調合用の器と、透明の液体が入った細長い瓶が乗ったお盆を持っている。
「もう出来たんですか?」
「そろそろ来る頃だと思って、基本は作ってあったからね。後はカリンちゃんのご主人に合った魔法を足すだけ。……おいで、ニュム」
襟の深い服を着たサエさんの胸の谷間から蜥蜴が出てきた。
この魔物は薬の治癒効果を高めてくれる。やり方は単に魔力を注ぐのではなくて、人の想いを加えるそうだ。
サエさんが机を挟んで私の前に座ると、蜥蜴も机上に降り立つ。
「さてと。魔法付与の前に、カリンちゃんの雑念を消さないと。今日は特に強いようだ」
「そうですか?」
「さっきの人が気になってるみたいだね?」
「…………はい?」
何言ってるんだろうこの人。
唖然とする私の前で、サエさんはニイッと笑み、蜥蜴は舌をチロチロと出していた。
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