第2話 負けられない!

 空花祭の今日、街は人で溢れていた。

 軒先に飲み物や食べ物を臨時で出しているお店があったり、街灯にはアサガオやヒマワリが飾られ、涼しげな色の旗布が風で揺れている。


 打上開始時間は刻々と迫っているというのに、空の色は駄々をこねているみたいに青のまま。太陽もまだ引っ込む気はないとばかりに頑固に私たちの横顔を照らす。


 日が沈むとお店が閉まっちゃうから今の私にはありがたいけれど、花火を心待ちにしている人からしたら、じれったくて仕方ないんだろう。

 お祭り前のソワソワした空気は、買い物が目的の私にはなんだか居心地が悪かった。

 周りを見渡すとカップルばかりだし、傍目からは私たちもそう見えるのか、観光客を相手にしているお店からやたらと声がかかる。


 そんなわけで、歩く速度は自然と速まり、話すこともないので私は始終無言だった。

 でも会話がなかったわけじゃない。


『なあトキツ。早く屋台があるとこ行こうぜぃ』

「用事が済んだらな」

『えぇー。もう疲れたよぅ』

「ギジーは俺の肩に乗ってるだけだろ」


 トキツさんの肩に乗って甘えているのは、ハクエンコウという白猿の魔物だ。

 魔力がある人間は魔物と契約することで、魔力を与える代わりに魔物が持つ能力を使えるようになる。

 ギジーの能力は遠隔透視というやつで、一度見た人・場所なら離れていても見えるようになるらしい。


『おい嬢ちゃん』


 ギジーがトキツさんの肩に乗ったまま長い手で私の肩をつつく。


『屋台でリンゴール買ってくれ』

「嫌よ」

『ケチケチすんなよぅ。ツバキから小遣いもらったんだろぉ』

「お祭りには行かないよ」

『ええー。なんでだよぅ』

「ツバキ様に薬塗らなきゃいけないから」

『そのツバキがいいって言ったんだからよぅ』


 つんつんつんつん肩をつつかれる。

 痛いし歩きづらい。


「やめてって。行きたいなら私抜きで行きなさいよ」

『そしたらおいらたちがツバキに怒られるだろぉ。行こうよぅ』


 ギジーは諦めず私の服を引っ張る。

 本当にしつこい。

 何も言わないトキツさんにもイライラした。


『なあなあ嬢ちゃん』

「行きたくないって言ってるでしょ!」


 バシッとギジーの手を払った。

 驚いたギジーはトキツさんの頭に抱きつく。


『わ、悪かったよぅ』


 思いっきり叩いてしまったギジーの手を見ようとして、トキツさんと目が合った。

 なんだかちょっと呆れ顔、だった。


「俺といるのが嫌だからってギジーに当たるなよ」


 断言されて、狼狽えた私は足を止めた。

 トキツさんも止まる。

 こちらを向いて、こめかみをポリポリとかく。


「前から聞こうと思ってたんだけどさ、なんでいつも俺のこと睨むわけ?」

「ツリ目だからそう見えるだけです。失礼ですね」

「何もなくても俺見ると不機嫌になるだろ」

「気のせいです」

「ほら、今も怒ってるし」

「早く薬買いに行きたいだけです」

「それだけじゃない気がするんだけどなあ」

「しつこい」


 さっきのギジーそっくり。

 契約すると似てくるのかしら。


「……じゃあ、言わせていただきますけど」


 お望み通り睨んであげると、トキツさんは少したじろいだ。


「ツバキ様のこと、きちんと呼んでください」

「は?」

「ちゃん付けじゃなくて、様って」

「なんだそんなこと?」


 失笑したトキツさんはやれやれと肩をすくめると、再び歩き始めた。


「そんなことですって?」

 

 私も前に歩を進めた。さらに速度をあげて。


「ほんっといい加減ですね。ツバキ様はあなたのこと、さん付けしているのに」


 ツンとした態度でトキツさんを追い抜く。

 するとトキツさんもムキになって速度をあげた。


「平民の格好してるのにツバキ様なんて呼んだらおかしいだろ」

「城にいるときは様付けなさいよっ」

「ツバキちゃんはそんなこと気にしてないぞ」

「またちゃん付け! 信じらんない!」

「今はいいだろ平民街なんだから!」


 抜かされたら抜き返して、競うようにぐんぐん速歩きになっていく。

 人波を器用に避けながら、間に人がいてもお構いなしに口論を続けた。


「あと、無精髭残ってるときあるでしょ。あれも気に入らない」

「朝剃っても夕方にははえてくるんだよ」

「朝から残ってるときありますけど!?」

こまかっ!」

「あなたが適当すぎるのよ!」

「ホント可愛げないな!」

「何よタレ目のくせに!」

「無愛想!」

「へたれ!」

「堅物!」


 口論というより悪口へ、速歩きから小走りへ変わる。

 怒鳴りに怒鳴って走りに走って、最後の曲がり角につく前に私は疲れ果ててしまった。


「ちょ……ちょっと待って」


 いつの間にか服が汗でびっしょり濡れている。

 でもトキツさんは平然として汗もかいてない。日頃鍛えているからだろう。

 なんだか負けたみたいで、腹が立つ!

 膝に手をついてハアハアと肩で息する私を、トキツさんはうんざりした顔で見下ろしてきた。


「いつもは飛馬車で近くまで来てるんだろ。大人しく明日にしとけばよかったのに」

「…………」


 彼の言う通りだ。

 今日は警察の大鷹が飛んでいるから、飛馬車では来られないし、普通の馬車も大通りは通行禁止。

 そのせいで彼も同行することになった。

 迷惑をかけているのに、私ったら勢いで文句ばかり言ってしまった。


「そんなに今日じゃなきゃだめだったのか?」


 トキツさんの声はさっきまでと違って、怒っている感じではなかった。

 私は汗を拭こうとハンカチを探す。

 ポケットの中に、ツバキ様がくださったハンカチが入っていた。

 名前部分を指でなぞる。


「……だめなの、今日じゃなきゃ」

 

 顎から垂れた汗がハンカチを持つ手に落ちた。


「これが私の仕事だもの。誇り、なの」


 ようやく陽の光はまろみを帯びてきて、石造りの建物を緋色に染めていた。

 花火が綺麗に見える場所を探す人たちが足早に私たちの横を通っていく。

 今日は祭りだから、店はいつもより早く閉まっているかもしれない。

 使命感に囚われすぎて、頑固に突っ走ってしまったことに今更気づく。

 ここまでして薬が買えなかったら目も当てられない。


「俺には理解できない」


 呆れているんだろう彼を見上げることができなかった。


「けど、誰にでも譲れないことってあるよな」


 突然手首を掴まれた。

 グイッと無理やり立たされ、トキツさんが走り出す。


「急ぐぞ。まだ間に合う」


 痛いくらい手首を強く引っ張られながらついていく。

 夕陽を浴びた二人の長い影は仲良く手を繋いでいるみたいで、疲れているはずの足は前へ前へと焦る。

 護衛としては頼りないと思っていた彼の手は固く、背中は案外広かった。


 目的のお店が見えてきた。

 ちょうど店じまいを始めるところだったらしく、馴染みの店主が腿の高さまである看板を裏返そうとしている。

 店主はネイビーブルーの短い髪をした女性だ。


「ちょっと待った! えーっとそこの、薬屋さん!」


 トキツさんの大声で周囲の人たちまで振り返る。

 店主はトキツさんを見るなり何事かと目を丸くし、後ろにいた私に気づくと、納得したように微笑した。


「どうしたのカリンちゃん」

「ごめんなさいサエさん。まだやってますか」


 私はトキツさんから離れて店主のサエさんに駆け寄る。

 サエさんは看板を持ち上げて、目で店内を示した。


「お得意様のカリンちゃんなら、いつでも大歓迎さ」


 お店は閉めるけど私の相手はしてくれるらしい。

 ギリギリ間に合ってよかった。

 お礼を言おうとトキツさんを振り返ろうとした、そのとき。


「……もしかして、トキツ?」


 柔らかい女性の声。

 彼に声をかけたのは、オリーブグリーンの長い髪が綺麗な、清楚そうな女性だった。

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