侍女と護衛と打上花火

永堀詩歩

第1話 皇女の美を維持する侍女としましては

  ワナワナと震える、なんてことを体現するとは思わなかった。

 この皇女と出会うまでは。


「ツバキ様っ。どうしてこんなことになっちゃったんですか!」


 私の主人、バルカタル帝国の皇女セイレティア=ツバキ様は今日も城を勝手に抜け出して、平民の街へ遊びに行ってしまった。

 そしてどういうわけか手を荒らして帰ってきた。

 侍女の私が毎日丹精込めてクリーム塗ったりマッサージして大事に大事にしていた高貴な手が、赤くかぶれている。

 怒れる私はソファに座るツバキ様の前で腕を組んだ。


「何してたんですか?」

「えっと……。イルクサの収穫を手伝ってたの」

「初心者は手袋しますよね」

「葉が採りにくいから途中で外しちゃった」

「素手で触ったんですか!?」


 イルクサは皮は繊維に、葉は染料になる植物だ。

 それで織られた布は吸水性が高い上に乾きやすく、柔らかいので重宝されている。

 ただし、不用意に葉に触れるとかぶれてしまう。

 憤慨すると、ツバキ様は小さく手を合わせて「ごめんね、カリン」と可愛らしく謝った。

 女性をも虜にする笑みだけれど、今日の私にはきかない。

 手を荒らしたから。


「そんな風に甘えても手荒れは治りません」

「でもね。手伝ったお礼にイルクサのハンカチを頂いたの。皆おそろいよ。ちゃんと名前も刺繍したの」


 渡された手触りのいいハンカチは綺麗な藍色に染まっていた。右下に私の名前、カリンの頭文字がバルカタル語で刺繍されている。


「わあ、綺麗ですね。ありがとうございます。……って許すと思いましたか!?」


 私はハンカチを握りしめて顔を上げた。

 でもソファに皇女の姿はない。

 他の侍女たちにハンカチを渡しながら、キャッキャウフフと談笑してやがった。


 再び体がワナワナと震える。

 キッと睨みつけた。

 皇女を睨むなんてできないから、部屋の隅にいた護衛のトキツさんを。

 彼は今年十六歳になられたツバキ様が無茶をなさらないよう、護衛兼見張りとして雇われた人だ。タレ目でツンツン頭のニ十五歳。

 ちなみに私は五年前から皇女付きの侍女として働いている十九歳。城では先輩だけど年下なので、敬語を使わざるを得ない。


「トキツさん。どうして止めなかったんですか」

「ごめんなー」


 トキツさんは呑気にポリポリと首の後ろをかく。

 この人、自分が何の為に雇われたのかわかっているのかしら。


「はあー、もう」


 深くため息をつくと、トキツさんはムッとした。


「一応止めたって。でもツバキちゃんに頼まれたら、平民の俺じゃ断れない」

「そんなこと言って、大方、デレデレして許しちゃったんでしょ」

「う」

「やっぱり」


 はあああ、と大げさにため息をついた。

 ツバキ様は……というか皇族は皆とんでもなく綺麗な顔をしている。

 そして私が思うに、皇族はそれを自覚して人心を掌握する術に長けている。

 魅了されて、何を言われてもつい承諾してしまう。

 美人に弱いトキツさんなんてチョロいに違いない。


「まったく、どうしてくれるんですか」

「治癒魔道士に頼めば?」


 これまた呑気にあくびしながら言うチョロ男。

 まったくこの人は!

 カチンときて、一気にまくし立てる。


「そりゃあ皇族専属の治癒魔道士様ならササッと治してくださるでしょうね。でもなんて説明するつもりですか? 皇女が許可なく外出して、平民と一緒にイルクサ摘んでましたって? 本当は伯爵令嬢主催の交流会があったのに、仮病でサボったこともバレますよね。もう一度聞きますよ、なんて説明するんですか?」

「わ、悪かったって」


 トキツさんの顔が引きつっている。

 私は目がキツい上に地声が低いから、普通にしていてもよく怖がられる。ツバキ様の侍女頭という責任感もあって、つい口調もキツくなりがちだ。

 そんな私と対照的にタレ目で口調も穏やかで、なんとなくで仕事をしているような彼を見ていると、無性にイライラする。

 変な空気になったところで、トントンとツバキ様が私の肩を叩いた。


「カリンごめんなさい。いつもの薬塗ってもらえばすぐ治ると思ったの」


 澄んだ碧眼がしおらしく見つめてくる。

 このきめ細かな肌も、月光を浴びたような白銀色の艶髪も、私が毎日丁寧に手入れしている。

 本当にうっとりするほどお美しい。

 だから余計に、胸元に置かれた手が赤くかぶれているなんて許せない。

 まあ、これ以上怒っても仕方ないか。


「薬持って参りますから、お待ち下さい」

「うん、ありがとう」


 化粧棚へ行って、綺麗な小花の絵が描かれた白くて平べったい陶器を探す。

 引き出しの奥にそれらしい器があった。

 でも。


「ない」


 器の中は空っぽ。


「そうだ。この前使っちゃったんだった」


 ツバキ様はいろいろあって、契約した魔物と瞬間移動おいかけっこしてすり傷たくさん作ったから!

 その後もいろいろあって、使い切ったことを忘れていた。


「私としたことが……」


 はあああああ。情けなさすぎて今日最大のため息。

 戻って報告すると、ツバキ様は優しく微笑んだ。


「大丈夫よ。見た目ほど痛くないから」

「そういうことではありません。バルカタル帝国の皇女たるもの、いついかなる時も国民の理想通りでなければ」

「その言葉はとっても胸に刺さるわ」


 外見がって意味で言ったんだけど、内面と捉えたらしいツバキ様はダメージを受けた。

 皇女のツバキ様は世間ではおしとやかな儚げ美人で通っている。病弱で過保護に育てられたとも。

 しかし、儚く見えるのは猫被ってるだけだ。

 おしとやかな人が、危険な森を走り回ったり、巨大な魔物を手懐けるわけがない。

 とはいえ世間のイメージは完全に出来上がっているので、ぶっちゃけ今さらキャラ変できないらしい。

 自業自得なので精神的ダメージは置いておくとして。

 今の問題は手荒れだ。


「今から買ってきます」

「えっ。今から? もう日が暮れるから明日になさい」

「こういうのは早めに手当した方がいいんです」


 ボソッと「皇女たるもの……」と繰り返したら、ツバキ様はプクッと頬を膨らませた。でもすぐに、何か思いついたのかパッと顔を輝かせる。


「そうだわ。トキツさん、一緒に行ってあげて」

「ええ!?」

「はい!?」


 私とトキツさんが同時に不満の声を漏らした。


「だって今日は空花祭よ。女の子一人は危険だわ」


 そうだった。打上花火が帝都の夜を彩る日。

 確かに祭りの日はみんな浮足立っているし、酔っぱらいも増える。

 だからって付き添いを頼むにしても、トキツさんは嫌だ。

 彼も同じらしく、私をちらっと見て苦い顔を浮かべるけれど、皇女に反論なんてできないだろう。


「私は平気です。警官も見回りしているから、むしろ普段より安全ですよ」

「せっかくだもの、近くで花火を見てみたら?」

「トキツさんとですか!?」

「ええ。トキツさん、空花祭は初めてでしょう? 屋台も出ているし、カリンもたまにはのんびりしていらっしゃい」

「いえ、すぐに薬を塗らないと」

「数時間くらい変わらないわよ」

「しかしですね。皇女たる……」

「カリン」


 凛とした声が響き、部屋の空気がピリッと引き締まる。

 ツバキ様の可愛らしい笑みが、麗しく気品ある微笑みへ変わっていた。

 私が毎日磨き上げている肌が輝いている。

 ああ、なんて美しいんだろう。

 ポーッと見惚れてしまい……。


「トキツさんと一緒に行きなさい」

「はい」


 ……皇女の微笑みに騙されたと気づいた時には、他の侍女に買い物用のカバンを持たされ、部屋から追い出されていた。

 隣には、トキツさん。


「チョロッ」


 と呟く彼の横顔に本気でムカついた。


 かくして私はこの、美人に弱くて頼りなさそうなタレ目のトキツさんと買い物へ行くことになってしまった。

 ──この日の出来事が私の気持ちにちょっぴり変化をもたらすことになるなんて、このときは思いもしなかった。

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