第四話 同じ名前

 次の日の午後、祖父は少し疲れた様子で帰ってきた。

 車の中には、段ボールがいくつも積んであった。


「出かけてくるね」


「クロのところか?」


「湖に行ってみようと思って」


「そうか。気をつけて行ってきなさい」


「うん。行ってきます」





 村から駅まで伸びる曲がりくねった道から、森の中を走る小道に入った。

 まっすぐ進めば湖にたどり着くはず。


 森の小道に、鳥や虫の鳴き声が響く。


 空を見たかったが、目線を上げても、太陽の光を遮るように木の葉が重なっていて、微かな光しか僕の目には届かない。


 木の葉が風に揺られてサラサラと音を立てている。

 小道を抜けると、小石の敷き詰められた湖畔に辿り着いた。

 湖の上を駆け抜ける風に湖面が揺れて、あらゆる方向に光を拡散させている。


 僕は眩しくて、目を細めた。


 その視線の先にキミはいた。





 湖のほとりにある腰をかけるのに丁度いい大きさの岩に、その子は座っていた。


 白いサンダルが足元に転がっていて、裸足をぶらぶらと揺らしながら湖を眺めている。


 白いTシャツの上に、湖の底のような深く青いワンピースを着ている。

 肩にかかった細い髪が風に吹かれ、揺れていた。


「ねえ、キミ。先週の日曜にも、ここにいたね」


 僕の問いに、その子は振り向いた。

 少しだけ困惑したような表情で、僕のことを見ている。


「先週の日曜……」


 彼女の表情に、僕は不安になった。


「あのさ、僕、邪魔かな?」


「独り言? それとも私に聞いてるの?」


「キミが気にしないならいいんだ」


 僕は地面に目線を移すと、水切りするのに丁度いい平べったい石を探し始めた。

 母さんは石を投げるのがうまくて、石はいとも簡単にピ、ピ、ピッと水面を切って走っていった。

 小さな僕にはその光景が魔法のように見えた。


 彼女が静かに微笑む。


「一人でこんなに静かなところにいて、寂しくない?

とっても幸せそうだから、キミはその方がいいんだろうけど」


「幸せそう?」

 彼女は少しだけ首を傾げた。


「うん。声が優しいし、表情がとっても穏やかだよ」


「そう見えるのね。私とても悲しいのに」


「……ごめん」


「いいのよ。ただ、最近、大切な友達が死んでしまったから」


 僕はどんな言葉を返したらいいかわからず、黙ってしまった。


 湖の対岸近くの浅瀬に立つさぎが飛び立って、水面が揺れた。


 僕は彼女をまっすぐ見た。


「ねえ、もしかして、僕はキミにどこかで会ったことがある?」


「そうでもないわ、アナタには見えていなかったから」


「見えていなかった?」


「気にしないで」


「気になるよ」


「ねえ、目に見えるものだけが真実だと思う?」

 彼女の言葉は謎掛けのようだと僕は思った。


「よくわからないな」


「そう」


 僕の答えに彼女はそっけなく返した。


「ねえ、僕、またここに来てもいいかな?」


「かまわないわ、ここは私の場所ってわけでもないし」


 彼女は淡々と答えた。


 湖の向こう側に広がる山脈に目線を移す。


「ここってすごく不思議な場所だね。

 すごく静かなのに、本当はそうでもない。

 木の葉のざわめきに、鳥や虫の声。

 音がいつまでも止まない」


 口数は少ない方なのに、気がつくと言葉がポロポロと出ていた。


「僕の名前、テラっていうんだ」


「そうね。私もよ」


「キミも?」


「うん」


 そう答えた彼女は、少し悲しそうだった。


テラTerraってね、ローマ神話に出てくる大地の女神なんだって。

 なんで母さんは女神の名前を僕につけたんだろう……。

 ちゃんと聞いておけばよかった」




 瞼が重い。





 突風に吹かれて、目を開ける。


 振り向くと、さっきまで高かった太陽は西の空に傾いていて、彼女の姿はもうそこにはなかった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る