第3話 冬休み

クリスマスが近づく校内。

俺たちは相も変わらずうだうだしているが、そこにたまに新聞部が加わる。新聞部のおかげで、俺たちは卒業間近になってようやく先輩面をすることができた。今までは誰も俺たちに寄りつかなかったから。


あと数日で終業式、という昼の学食。新聞部を交えて昼飯を食っていたら、話題は進路のことになった。


「先輩たち、大学はそのまま上がるんですよね」


「おう」


「三人でルームシェアとかするんですか?」


俺はすぐに返事ができなかった。

三人とも学部は同じ、同じキャンパスに通うことになる。気の合う三人でルームシェア、その流れもないことはない。それなりに楽しいだろう。

だけど。

俺がもごもごと時間をかけてカレーを咀嚼していると、マキがカツ丼から顔を上げた。


「おれは、エリとカイが一緒なら楽しいと思う」


「オレもそうだな。構わんが」


マキに続いて、カイも頷く。

ごくん。これ以上は噛めないくらいやわやわになったカレー飲み込み、俺も答える。


「そっか。ルームシェアってどんなもんだろうな」


イエスともノーともつかない返事。答えになってないのは分かっていた。


その日の午後。

学校から帰ったあとは、いつものように用もないのに俺の寮室にたまる。カイは寝転がってケータイ触ったり本を読んだり、マキはお腹空いたと言いだす…のが日常だったが。


「エリ、エリはおれがおなかすいたって言うからルームシェアいや?」


マキは部屋に入ってすぐ、お腹空いたと言う前に、俺にそう問うた。マキがそう聞くのは意外だった。気になることを追求するのは、マキじゃなくてカイがよくすることだったから。


「そんなことない。それは関係ない」


強く否定するが、今度はカイが俺に視線を寄こす。


「じゃああの返事は何だ。あれは拒否の意思表明だろ。嫌なら嫌でハッキリ言えよ。ルームシェアしないからって、仲違いする原因にもならないだろ、こんなこと」


ルームシェアに賛成だと言えなかったのは、それは…。観念して、溜め息とともに素直に理由を述べる。


「俺たち、今は寮で部屋を行き来してるだけだろ。メシは食堂で、風呂は大浴場だ。俺らは準備も片付けもしなくていい。だけどこれが共同生活になったら三人でやらなきゃいけない。それがなんか、なんていうか」


「共同生活したら、イヤな面を見るかもしれないって?」


うなずく。

俺がふたりの嫌な面を見てしまうかもしれないし、ふたりが俺の嫌な面を見つけてしまうかもしれない。それでケンカしてしまうのなら、ルームシェアしないほうがいい。

俺は真剣にそう考えた。それなのに。


ぽこ。丸めた教科書で、カイが俺の頭を叩いた。いやそれ、俺の教科書と文句を言おうとしたが、カイにもう一回叩かれた。


「お前は結婚に慎重な草食系男子か。三人でルール決めて、守れなきゃ解散でいいじゃねーか」


軽い。カイは簡単に言う。いいや、軽くはないのか。ただ俺が考えすぎなだけ、か。


「そうだな…」


と、反省する俺の横で、俺のお菓子箱からカイがお菓子を取り出しマキにあげている。こら。聞け、俺の話を。


結局ルームシェアをするかどうかは置いておいて、わだかまりは解消されたのでいつもどおりうだうだ。


「ねむい」


マキは俺のベッドにもそもそともぐりこんでしまった。


「寝るなら自分の部屋に戻れ」


布団を引っぺがそうとするが、すでに体に布団を巻き付けた状態でどうにもならない。


「ねむい」


それしか言わなくなったマキを見て、カイもあくび。


「オレも眠くなってきた。そろそろ戻るわ」


「マキを連れてけ」


「やだよ。朝まで起きないだろ。一緒に寝てやれ。そんじゃ、おやすみ」


ええ…。狭い。

不満をぶつける間もなく、カイはそろそろと俺の部屋を出ていった。

電気を消して俺もベッドになんとか入る。狭い。


「夢の中でおなかすいたって、俺をかじるなよ」


「かじらない」


寝てるマキに話しかけたつもりだったが、意外にも返事があった。


「起きてたのか。部屋に戻れ」


「ねむい」


「仕方ないヤツだな」


消灯時間はとっくに過ぎた寮内。

遠くから声が聞こえる。カイ、風紀に捕まったんだな。今年最後の反省文を書かされるのかとカイを可哀想に思っていると、マキがポツリと話し始めた。


「おれ、たくさん食べるから。だからこの学校に入学したんだ」


唐突に始まったその話を、俺はじっと聞く。


「おれの食費が、家計を圧迫するから。寮に放り込んだほうが安上がりだって。それに、いつもいつもおなかすいたって言うおれのことが、親にとってストレスだったみたい」


マキは布団の中で微動だにしない。


「食べすぎだって、病気じゃないかって精密検査したことあるよ。だけど全然異状はなくって、ただおなかすいてるだけだって」


マキはマキで悩んでいたんだ。知らなかった。

だからさっきも、俺がルームシェアにすぐ賛成しなかったことを、自分が原因じゃないかって気にしてたのか。


「エリもカイも、おれがおなかすいたって言っても怒らないし呆れないし、面白がらない。だから、エリとカイとルームシェアしたい」


三年近く一緒にいて、気の合う友達でのんびりと高校生活を過ごしてきたが。マキの深いところに今日初めて触れた。それは全然嫌でも重くもない。


「うん。そっか。分かった。ありがとう。俺もルームシェアしてみたい。カイにも怒られたし。俺はいろいろ考えすぎだった」


そう言うと、となりでマキがふにゃりと笑った気がした。




「それじゃあ、また4日に。よいお年を」


冬休み。

律儀にぺこりと頭を下げて、マキは実家へ帰った。実家では親と折り合い悪いんじゃと心配したが、マキいわく「数日だったら大丈夫。ずーっとだと、ストレスになるみたい」とのこと。

それならそれでいいんだが。


マキのいない俺の寮室は、いつもより少しだけ広い。


「俺も明日には実家に帰るけど。カイは?」


俺の部屋でごろごろしているカイは、まったく実家に帰る素振りがない。部屋着のジャージはゆるゆる、寒いからと履いてる靴下は右と左の色が違う。というか、左のやつは俺の靴下じゃないか?まじまじと靴下を観察してると、カイがごろりと仰向けになった。


「31日には帰るよ。今年はさすがに。ルームシェアの話もしないといけないからな」


カイは実家に帰るのが気乗りしないようだった。去年一昨年はどうだったか。そういえば帰ってないような。

マキの話を聞いて間もないので、カイはカイで親とうまくいってないのだろうかと気になった。


「実家、帰りたくないのか?」


「帰りたくないことはない。ただ…」


歯切れの悪いカイは珍しい。天井をぼんやりと見上げて、遠くを見た。


「ウチは老舗の料理屋なんだ。『特別な日の会食』とか『両家顔合わせのとき』とか『あの店でランチ?豪勢ね』とか、そんな感じで地元では認知されてるような店なんだけど」


格式高い店なのか?厳しく育てられたんだろうか。それとも。


「店を継がなきゃいけないとか言われてるのか?」


親に進路を決められて、それに反抗。カイならありそう。と、思ったけど、それは違うとカイは首を横に振った。


「店は兄貴が継ぐよ。今は別の店で修行してて、そのうち実家に戻るって」


俺の勝手な想像をカイは横に置き、一呼吸。


「10歳の誕生日から、毎朝。店の調理場で、だし巻き卵を焼かされたんだ」


急に出てきただし巻きに俺がキョトンとしているのもかまわず、カイは話を続ける。


「だし巻き焼かなかったのは、修学旅行のときくらいだな。本当に、毎朝だ。この学校に来る当日の朝まで」


「だし巻きを焼くのが嫌で、家に帰りたくないのか?」


多分、そうじゃないと思った。小学生の頃でも中学生の頃でも、嫌ならきっと親とケンカしてでも止めてただろう。カイは仰向けから、俺に背中を見せる体勢でごろりと横向きになった。


「家に帰ったら、まただし巻き焼かされる。嫌だ。どう頑張ったって、どんなアドバイスもらったって。親父や兄貴のようにいかない」


俺に背中を向けたままの、カイの言葉。

それは俺の心に突き刺さった。ぐさり、ぶすり。血が流れる。


はあ。溜め息が聞こえた。俺の溜め息か、カイの溜め息か。


「ま、だし巻き焼くことは観念する。親と顔を合わせて、ルームシェアの話しなきゃいけないもんな」


カイはこっちむいて諦めたようにへらっと笑った。俺に背を向けていたとき、どんな顔をしていたんだろう。




「年明けに、また」


俺はカイより先に寮を出て、実家へと向かった。

特急電車で一時間半。車内では、カイとエリのことを考えていた。俺たちは気の合う仲間で、のんべんだらりと言っても差し支えない三年間を過ごしてきた。


しかし、エリはエリで食べすぎという悩みがあり、カイはカイでだし巻きという重圧があった。

それを笑い飛ばせることはできない。だって、俺も。


ターミナル駅に着いたらそこで乗り換え。

そこで、バレエに通う子供たちの姿が目に入った。持ってる鞄、体つき、歩き方ですぐに分かる。俺も中3まではあの中にいたから。この駅の近くに、本部教室がある。俺も中学に上がってからは家の近所の教室から本部に通うようになった。

それなりに上手だったから。選抜されて本部に通うことになったのは、嬉しかった。


ぼんやりと思い出す。熱心で、一生懸命だった日々。


「カズキくん?」


名前を呼ばれて振り返る。


「先生」


そこにいたのは、本部教室でお世話になっていた先生だった。先生は懐かしむようにニコニコ。


「久しぶり、背が伸びたわね」


「はい、そうですね。結構、伸びました」


「カズキくんが辞めて、もう三年くらいかしら」


三年。それは短くて、とても長い。バレエを辞めて、俺は柔軟もしていない。やったって、どうにもならないから。


バレエは、俺にとってのバレエは。カイにとってのだし巻き卵。

練習して、練習して。そして。


なりたい自分になれなかった。行きたいところへ行けなかった。

海外のバレエ学校に留学するヤツもいるなかで、俺はその他大勢でしかなかった。


それでも。

文化祭で踊ったときは、練習も本番も楽しかった。踊ることは、楽しい。そう、楽しいんだ。


ざわざわと騒がしい師走の駅構内で、俺は先生にしっかりと自分の言葉を伝える。


「先生、俺。プロになれるような技量はなかったですけど。大人になったら趣味ででも、また踊りたいと思っています」


思っています、というか。

今初めて、そう思った。文化祭での経験と、ぐさりと刺さったカイの言葉は、心の中に残っていたバレエの気持ちを抉り出した。


「そうね、そうね。ウチでも大人のクラスを開講してる支部もあるから、ぜひ。

待ってるわ」


ぺこり。俺は頭を下げる。

あの高校に入るからバレエを辞めたんじゃない。バレエを辞める理由を作るために、俺はあの高校を選んだんだ。


それは逃げだったかもしれないが、間違いじゃなかった。



年が明けて、一月四日。

『寮に着いたらカイの部屋に集合』というメッセージを特急電車の中で受け取っていたので、荷物も置かずにカイの部屋に直行。


「カイ、マキ。あけましておめでと」


「よう」


「エリ、遅かったね」


マキはテーブルの前に行儀よく座り、俺を手招き。


「待ってたんだ。これ、食べようと思って」


タッパーをずいっと俺に見せるマキは、待ちきれないといった様子でソワソワ肩を動かす。


「だし巻き?」


「カイが焼いたんだって」


マキはうきうきした声を出すが、俺は年末に聞いたカイの話を思い出して訝しく思いカイを見る。


「今朝、家を出る前に焼いて、そんで持って帰ってきた」


カイは渋い顔をしているが、その目は明るい。俺が駅で先生に会ったことと同じようなことが、カイにもあったのかもしれない。


「うまっ」「おいしー」


だし巻きを食べて、素直な感想。


「そうか」


カイは頭をがしがし掻いた。きっと、カイにとって納得のいくレベルではないんだろう。だけど。


「カイ、料理好きか?」


俺は聞かずにいられなかった。するとカイは腕を組んで考えこむように目を閉じた。


「分からん。仕事にはできそうもない。けど、フツーに、家で毎日の食事のために作るのは悪くなさそうだ」


にっと笑うカイに、俺もにっと笑い返す。そこに、自分の分のだし巻きを食べたマキがカイに聞いた。


「カイ、お菓子も作れる?」


「さあ。やったらできると思うけど」


自信たっぷりに答える姿は頼もしい。


「たのしみ」


「よかったな、マキ」


「おい。ルームシェアしたら料理は当番制だからな」


分かってるって。そう返事して、まただし巻き卵をほおばった。

そして、ルームシェアをする大学生活を待ち遠しく思った。

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三人組 のず @nozu12nao

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