第8話 新米の新妹は時任姉妹と出会う
つつがなく──いや、そうであって欲しかった。
新入生入場で周りが着席している中、俺の左隣に座る爽やかイケメンが「あおちゃんおめでと~う! 愛してるよ~!」などとパイプ椅子の上に片足乗っけて叫び出し、冷ややかな視線を集めることから始まった入学式。一層蔑んだ目で爽を睨んでいるのは恐らく、爽のことを好きになったことがある女子生徒たちだろう。仮にも惚れたことのある相手がこんな妹に狂った男だったらそりゃあそうなる。
あおちゃん、というのは爽の実の妹のことであり、名前は
しかし、出席番号の若い俺たちのすぐ右隣りにはPTAだか県議会議員だかのお偉いさんの目があるというのによくやるものだ。白髪のおばちゃんなんか目ん玉飛び出てたぞ?
箍が外れた人間というのは何をしでかすか分からないから恐ろしい。
そんな一幕があったものの、その後のプログラムは順調に進んだ。
こけのむすまでさざれ石のいわおとなり、何言ってるか全く聞き取れないお経のような校長の式辞を唱えられ、来賓の言葉をBGMに膝をそちらへ向けては正面に戻すといううざったい単純作業を繰り返せば、次は歓迎の言葉。
「続きまして、在校生による歓迎の言葉。高等部生徒会会長、
「はい」
司会者のアナウンスに返る、透き通るような落ち着いた声。
ステージの袖から出てくるのは、漆みたいな長髪を靡かせて、淑やかにスラっとした脚を運ぶ女神のような雰囲気を纏う生徒会長だ。
その姿には、足を伸ばして退屈そうにしていた在校生、新しい学校生活にドキドキとワクワクが止まらない様子の新入生、準備が忙しかったのかあくびをして眠そうにしている学校職員、隣の妹狂いまでも、体育館にいるあらゆる人が一様に目を、意識を奪われたことだろう。
それほどまでに彼女──時任ひかりは美しい。
そんな容姿端麗さに加え、人当たりがよく、勉学においてもいつもトップときたもんだ。まるで絵に描いたような完璧人間。意地の悪い同級生から嫉妬の一つも向けられそうなものだけど、彼女の明るさを持ってすればそのような人は軽く懐柔できるのだろう。
そして俺には、そんな彼女のことが、
――目を瞑ってしまいそうになるほど眩しく見えた。
会長はマイクの前までたどり着けば、音一つ立てずに原稿をひらく。
そしてすーっと軽く深呼吸をし、深紅の瞳で一度全体を見渡してから潤いを含む唇を開けた。
「咲き誇る花々が私たちの出会いを優しく見守ってくれる、そんな季節となりました─―」
という一文で始まった、会長の鈴を転がすような声で語られた言葉は、もともと静かではあった館内の聴者をまるで有無を言わさぬかのように厳かにさせる。
誰一人として会長の言葉を聴いていない者はいない。
無理やり聴かされているのではない。
圧倒的な存在感、溢れ出るオーラが、この人の話を聴きたい、そう思わせてくるのだ。
こんな誰もが付いていきたくなるような主人公のような会長に俺は、
──心の底から憧れる。
「──中等部からの方は六年間、高等部からの方は三年間。希望に満ちた最高の学校生活を送れるよう願ってやみません。ご入学おめでとうございます。高等部生徒会会長、時任ひかり」
会長は原稿を静かに畳み、深々とお辞儀をすれば、皆を照らすような笑顔をにこっと見せる。
その瞬間、空気が弛緩したかのようにもとの館内の様子に戻った。
再び足を伸ばしたり、羨望の眼差しを会長に向けていたり、我慢していたあくびをしていたり。
会長は雰囲気すらも操れるのだ。
そんな女神に打ちのめされていると、爽が周りに聞こえないように耳元で囁いてくる。
「……やっぱすごいね」
「……そうだな」
さすがの爽でもあの会長の雰囲気には吞まれるもんなんだなと、一人でに納得したのだけど、
「……あのおっぱい」
「台無しだろ!」
思わず叫んでしまい、入学式が始まったときに爽が集めていた冷ややかな視線が今度は俺に向けられる。
やめてくれ……。こいつと同類にするのだけはやめてくれ……。
確かにあのおっぱいは凄まじいけどな……。
式典という特別な催しでやらかしてしまった俺は、息を潜めるように身を小さくしていると、司会者が皆の意識を引き戻してくれる。
「続きまして、新入生代表挨拶。中等部新入生、圷海凪さん、よろしくお願いします」
「ひ、ひゃいっ」
……そんな緊張丸出しの返事があるかよ。晴れ舞台を見てほしい、とか言っていたが、俺には羞恥の姿を晒す未来しか見えないのだけど……。
それに思ったんだ。海凪は結構抜けているところがある。主に掃除とか、油と洗剤を間違えたりとか、風呂でのぼせてたりとか……。
考えれば考えるほど不安になってきた。
すると壇上に登っていこうとする海凪を指さす爽は、反対の手で俺の肩を叩いてくる。
「あれ海凪ちゃんだよね!? やっぱ小っちゃくてかっわいいなあ! 緊張しちゃってお尻をちょっとぷりって引いてるところとか最高だよ~」
目が今から誘拐する犯罪者のそれである。
──パシャパシャ。
「カメラマンに便乗して写真を撮るな!」
立ち上がって角度を探そうとする爽を俺は無理やり座らせた。
いや、やってることやばいだろ……。
今すぐ警備員にでも突き出してやろうか。
海凪はあの会長の前に立っているというのもあってなのか、まるで緊張を隠せていない。
会長が海凪の方へマイクを向けて、高さを調節してくれているのだけど、会長のときとは打って変わって原稿を開く音がガサッゴソッとマイクを通じて響いてくる。
俺の右にずらっと並ぶ来賓方も心配そうだ。
なかなかうまく開けなかったのか、ようやくといったところで海凪は可愛くこほん、と咳ばらいをする。会長は優し気な笑みで頑張れって応援しているように見える。
そして、
「あ──」
──キーーーーン。
金属音のようなマイクのハウリングが体育館に響き渡る。
なんというか、案の定というか……。
ベタ中のベタな失敗をしてしまった海凪は、後ろを振り返りぺこぺこと頭を下げている。
出だしからずっこけていたのでは、この先も思いやられるというもので……。
気を取り直して海凪はテイクツーを始めたが、
「暖たたたかな……あた、あたたたな……」
大事故だった。緊張しいならそんな読みずらい言葉を文頭に持ってこなきゃよかったのに……なんていうのは多分余計な一言なんだろうな。
海凪は真っ赤になって、原稿で顔を隠してうずくまってしまう。
これにはさすがの会長も苦笑いせざるを得ないらしいが、屈んで慰めてあげている様子。
その光景を眺める参加者たちの雰囲気は、我が子を見守る母のような気持ちになったのか、少し和やかになっていった。
結局、本来なら四、五分程度で終わるはずだった新入生代表挨拶は倍の十分かかったものの、海凪はしっかり読み切ることが出来た。
これには称讃かお情けかはその人によりけりだが、無数の拍手が起こる。俺ももちろん便乗して褒めたたえている。
温かい人たちでよかったものだ。隣の妹狂いなんか鼻水垂らしまくった挙句、涙で洪水すらも起こしている。……クソキモい。
海凪は依然とリンゴのように顔を赤らめて壇上で呆けていたのだけど、会長が何やら一言言葉をかけてあげている様子。
壇上から降りてくる海凪の顔は遠目だとはっきりとは分からなかったが、なんだか難しい顔をしていた。まあきっと、上手く原稿を読めなくて悔しがってるのだろう。
そうして、海凪の挨拶が作り出した緩み切った雰囲気のまま閉式を迎えた。
~~~
俺は校門をすぐ出たところで海凪を待っていた。
なんでそんなところで、というのは「入学式」と書かれた看板が理由だ。
式が終わってしまえばやることのない在校生の俺は、すぐ帰宅しようかと思っていたのだけど、先日ラインのIDを交換しておいた海凪から『美和さんに送る写真撮りたいです』とメッセージが届いていたのに気付いたため、確かに女の子だったら記念の一枚くらい撮りたいよなあとここで待ち合わせすることにしたのだ。
「すいません、遅くなりましたー」
そう言って海凪は校舎の方から、まだ着慣れていなさそうな制服姿でとことこ走ってくる。
ふうと一息つく海凪に俺は、
「何してたんだ?」
「いやーちょっと……」
誤魔化す理由は、まあ想像つく。
「クラスの連中にいじられてたんだろ?」
新しい環境で、あんなおっちょこちょいなことをしでかす子がいたらそりゃあ話しかけやすいだろう。
どうやら正解だったようで、海凪はぷくーと顔を膨らませた。
「もー! 分かってるなら聞かないでくださいよー!」
「いやーすまんすまん。最高だったぞ、晴れ舞台……ふっ」
「笑わないでくださいー!」
海凪をからかうのはちょっと楽しい。
しかしまあ、あんまり行き過ぎるとさすがに可哀想かと俺はポカポカ叩いてくる海凪の腕を取って言う。
「写真、撮るんだろ?」
「……そうでした」
それで、海凪を看板の隣に立たせたのだけど……。
「悪かったって。そんな怒んなよ」
「そうじゃないです。もういいんです。あたたたかなのことは」
「気にしてんじゃねえか……」
「気にしてません」
そうは言いつつも、俺のスマホに写る海凪はどう見てもそっぽを向いている。
これではせっかくの写真も嫌な思い出になってしまう。
「何が不満なんだ?」
「だからそのー、分かってくれないならいいです。ぷいっ」
ぷいっとか自分で言うな。あからさま過ぎるだろ。
いくらからかったからとはいえ、不機嫌になりすぎだ。ったく、写真を撮りたいと言い出したのは海凪の方だというのに。
俺はどうしたものかとため息を吐くと、
「──まったくまったく、これだからセンパイは。女の子のキモチをまるで分かってないんですよ」
「……げ」
これまた相手をするのが面倒くさそうな声がする方へと振り返ってみれば、視界に入るのは、どうみても染めてある金髪ショートカットの女。新しかろう高等部の制服は早速着崩されていて、スカートもうちのクラスの女子と比べて短い。
「げ、ってなんですか? あ、もしかして下痢の事ですか? そういえばセンパイ昨日下痢で休んだんですよね? 風の噂(爽センパイから)で聞きました」
あの野郎!
まくしたてる様に俺の顔を徐々に覗き込んでくるこの女、名を
至近距離まで近づかせてくる顔は、遺伝子というものの存在を頷かせるほど会長と瓜二つで、特に深紅の瞳は取り替えても差異はないように見えるだろう。
……胸は似ても似つかなかったらしいが。
「あー! 今アタシの胸見ましたよねー!? Bカップ乙、とか思いましたよねー!? 姉さんに分けてもらった方がいいんじゃない? ぷくくーとか思いましたよねー!?」
「Bカップなのか、ちっちぇえな。会長に分けてもらった方がいいんじゃねえか? ぷくくー」
「うっざー! そういうゲリッピーセンパイのチンカップはどうなんですかねー!? 最後に会ったときよりタマタマちっちゃくなってるんじゃないんですかー!?」
そう言ってこいつ、はれるは俺のチンコをためらいもなく握りしめてくる。ちなみにBカップは本当に今初めて知った。
「やめろビッチ! 俺の穢れなきオテインコに触れんな!」
「ビッチじゃないですうー! ピッチピチの処女ですうー!」
「派手な見た目の割にうぶなんでちゅねー」
「うっざーい! 童貞のくせに!」
「なんだよ」
「なにおう」
「あのー……」
「「あん!?」」
「はひっ」
押し問答を始めてしまった俺たちに話しかけた海凪は、さっきまでのぷりぷりではなく困惑の表情を浮かべていた。
それを見て俺はハッと我に返る。
なんというか、はれると絡むと口が乗せられてヒートアップしてしまうのだ。
「悪い悪い、このヒンヌーが邪魔してくるから」
「おう? まだやるかこらっ」
ボクシングの構えを始めるBカップは無視して俺は再びスマホのカメラアプリを開く。
「ほら、さっさと撮って帰ろう」
「え、でも……」
きっと海凪はこの学校では珍しい、というか一人しかいないパツキンを目にしたせいで気後れしてしまってるのだろう。だったらさっさと退散した方がいい。
そう言って再び海凪を看板の横に立たせ、スマホを構えると、
「えいっ」
盗まれた。
「おい、返せ泥棒」
「返しませーん。ほらっ、はやくセンパイも海凪ちゃんの隣に並んでください」
はれるは俺のスマホを片手に背中を押してくる。
「何すんだよ。別に俺はいいだろ」
「はいはい、だから童貞なんでちゅねー」
「うぜえ!」
そうして結局海凪は、はれるが撮ってくれた俺とのツーショットを母さんに送ったようだ。
はれるは「よかったねー」と海凪の頭をわしゃーと撫でている。
まあ機嫌は良くなったみたいだからはれるには一応感謝しておくとしよう。
それを口にしたりはしないが代わりに、
「おい、お前は撮んなくていいのかよ」
「え? 写真ですか?」
「そうだけど」
「もしかしてアタシの写真撮っておかずにするつもりですか? まあ、センパイにおかずにされるのは悪い気はしませんけど、海凪ちゃんと暮らしてるのに平気でシコシコしようとするのはちょっと可哀想というか気まずいというかみたいな感じなんですけど」
まったく、いちいちうざいやつだ。
「ちげーよ、誰がお前の貧相な身体でシコるか。一応お前も学校は変わらないとはいえ、制服は変わったんだから記念に撮んなくていいのかって聞いてんだよ」
「え!? センパイがアタシを気遣ってる!? これは天変地異の前触れ……!」
……殴りたくなってきたな。
しかしはれるはその深紅の瞳をより深めて、どこか遠くを見て言う。
「……まあでも、写真は撮らなくていいです。アタシに記念なんてものは似合いやしませんから」
「そうかよ……」
本人がそう言うならいいだろう。無理して撮るようなもんでもない。
「あ、でも! センパイがどーーーーーしてもアタシを撮りたいって言うなら、もしくはどーーーーーしてもアタシと撮りたいって言うなら撮ってあげなくもなくなくもないですよ」
「これっぽっちも興味ねえな」
「ひっどー!」
~~~
「お二人はどういう関係なんですか?」
帰路に就くと、俺とはれるの間を歩く海凪が訊いてくる。……ってか何ではれるは付いてきてんだよ。家逆だろ。
「カップルだよーん!」
「……そうなんですか?」
「海凪にはこのちんちくりんが俺の彼女に見えるのか?」
「見えなくもなくなくもないです」
おい、移ったじゃねえか。どうしてくれんだ。
「まあでも、どちらかといえば大河さんが好きそうなのはお姉さんの方ですかね」
心臓が縮み上がった。
「そ、その心は?」
俺は努めて平静に言った……つもりだ。
「だって」
「だ、だって?」
「大河さんの部屋にあったえっちなゲームとか漫画、黒髪ロングのおっぱいボインボインのキャラクターばっかりでしたから」
よく見ていらっしゃったことでー! そうです、私が巨乳黒髪ロング大好きおじさんです!
「ばれてやんのー! ばれてやんのー! いやーアタシがもし男だったら、こんな年下の子に性癖バレたら恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずか死しちゃうなー!」
そう言ってはれるは、けらけら腹を抱えて笑う。
「み、海凪。この話はここまでにしような?」
「えー」
「ぶーぶー」
「はれる、お前はいっぺん死ね」
「いきなり黙れ飛び越えて死ね!? ひどすぎ!」
はれるは俺が会長を好いてるのを知っていて煽ってきているのだ。その行為は死に値してもいいと俺は思う。
「じゃーセンパイがもっと面白い話題振ってくださいよーう。そうすればきっと海凪ちゃんも深くは追及しないことでしょう。ねっ?」
「そですね」
「……この話より面白い話がお前らの中にあんのかよ」
「ない」「ないです」
「どん詰まりじゃねえか!」
全く横暴な話である。
「えーじゃあ、センパイが最後にやったエロゲの一番シコかったエッチシーンを思い出せる限りでいいので音読してくれればそれでいいです。海凪ちゃんもそれでいい?」
「はい、だいじょうぶです」
なんでだよ。そこはためらうとこだろ。海凪お前、さてはむっつりだな? そうだろ? そうなんだろ?
……しかしまあ、それで落としどころとしてくれるならいいかと俺は、
「んあ、んああああ! ん、あひいいいんんん……ってお前らが恥ずかしがんなよ」
意を決してご要望にお応えしたというのに、笑いもんにすらしてもらえなけりゃただただアホな真似しただけの間抜けじゃねえか。
「いやあ……思ったよりキツくて、ねえ?」
「はい……」
そうかいそうかい。君たちのことはよーく分かったよ。
……もう一生やらねえ。
行きたいとこがあるというはれると道を分かれてから、海凪が訊いてきた。
「はれるさんはどんな方なんですか?」
見たまんま……と返そうと思ったが、多分訊きたいことはそんなことではないだろうと俺はこう返した。
「俺の同類だな」
海凪がそれをどう捉えたかは俺には分からない。
新米の新妹は最高の妹になりたい 水の中 @mizunonaka
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