第7話 新米の新妹は制服を着る
海凪が妹になりにきた日から数えて三日経った日。すなわち四月三日の今日は入学式の日である。
今年の誕生日を迎えれば十七歳である高二の俺には、入学式なんてイベントはただの退屈な時間を過ごすだけのもののはずだったのだけど、三日前の大きな一滴の雫によって少しだけ意味合いが変わってきた。
朝日にまぶたを刺激され意識が覚醒した俺は、眠気を残したままとりあえずベッドの上で上半身だけ起こすと、
「おはようございます、大河さん。これどうですか? 似合ってますか?」
六畳一間の部屋の真ん中で、身を包んだ白を基調としたエンジ色のリボンが特徴的なセーラー服をくるっと一回転して見せつけてくる海凪。
馬子にも衣裳とはよく言ったもので、うちの中等部の制服を着た海凪は小学四年くらいと見誤っていた俺の目にも初々しさはあるものの、しっかり中学生らしく見えた。
「おはよう。……よく似合ってると思うぞ。まるで中学生みたいだ」
「もー、何言ってるんですか。中学生みたい、じゃなくて本当に中学生なんですよー」
「なあにぃ?」
「やっちまってませんよ?」
一昨日母さんと電話したときには分かっていたようなものだけど、やはり海凪はうちの中等部に入ったらしい。
海凪は目にかかるくらいの前髪をイルカのヘアピンで留める。イルカのヘアピンは中学生らしいとは言えないが、まあ少し幼さを出したほうが海凪らしいちゃらしいと思う。
しかし、歳の割によくあんな古いネタを知っていたものだ。もう死語かとばかり思っていたよ。
「というか、制服を見せびらかしていたあたしが言うのもなんなんですけど、男は黙って学校に行く準備をしたほうがいいと思います。確か在校生は新入生より登校時間早かったはずですよね?」
言われて壁にかかる時計を見れば、指し示すのは七時三十分。いくら学校が近いからとはいえ、この時間まで寝間着姿でいたんでは遅刻まっしぐらである。
つまり急ぐか諦めるかの二択だ。
「寝るか」
慌てて顔を洗ったり、寝ぐせを直したり、朝の支度をするのが億劫になった俺は二度寝を選ぶことにした。幸い今日は入学式だ。出なくても授業に置いてかれるわけでも成績が下がるわけでもない。
だから俺は心の中で「明日は行くから」と長期休み明け特有の鬱々しい気分に負けた人間に共通の決まり文句を呟くと、身を預けるようにしてベッドに吸い込まれていく。
だが、もう一人の部屋の住人は許してくれないらしく、せっかく俺に温もりを与えてくれていた布団が引きはがされる。
「返してくれ! 何でもするから!」
「ダメですよー。昨日も休んでしまったんですから。何でもするというのなら学校に行きましょう」
「昨日はどう考えても海凪のオムライスのせいだろ!?」
「それを言われると……。でもそれとこれとは話が別です。それにオムライスのことはちゃんと謝ったじゃないですか。食べなくていいとも言いましたし」
本来春休み明け初日というのは在校生ならば入学式ではなくて始業式というもののはずなのだけど、一昨日洗剤入りのオムライスを結局朝昼晩かけて完食した俺は、案の定翌日に痛烈な腹痛に見舞われ、昨日一日寝込んでしまったのだ。そして初日を休んでしまったが故に次の日も……とずるずるいってしまいそうになっているわけで。
もったいない気がしてオムライスを全部食べたわけだが、我ながら馬鹿なことをしたと思う。結構つらかった。
布団を引きはがされてもなお丸くなってる俺を揺さぶって海凪は、
「起きてくださいよー。あたしの晴れ舞台見てほしいんですからー」
そう言う海凪の方が見えるように俺は寝返りを打つ。
「そんなこと言ったって俺らはもちろん海凪たち新入生だって座ってるだけだろ? 晴れ舞台もへったくれもないと思うけど」
うちの学校は俺がそうしたように、高等部からの途中入学も珍しくない中高一貫校で、入学式は中等部と高等部同時に行われるのだけど、マンモス学校であるが故に新入生だけでもかなりの数がいる。
だから大多数の新入生がパイプ椅子に腰を痛くされながら、退屈な来賓挨拶やらなんやら聞かされるだけなものだと思うのだけどあるいは、
「新入生代表挨拶でもやるわけでもないだろ?」
「やりますよ」
「へ?」
「新入生代表挨拶、やります。ほら、ここに原稿もありますし」
冗談のつもりだったのだが、そう言って海凪は未だベッドの上の俺に折り目のついた一枚の紙をずいっと見せてくる。
「まじかよ……」
手に取ってみると、式辞でよくありそうな「暖かな日差しに……」なんて一文が冒頭に女の子らしくかつ丁寧な字で書かれていた。
新入生代表挨拶は、中等部にも入試があるうちの学校では成績優秀者がやるのだけど、どうやら海凪はお勉強ができるおつむらしい。
海凪は唖然としている俺から原稿を取り返す。
「そういうわけで、大河さんには来て欲しいんです」
「でもなー……ふわぁ」
俺が未だに眠気に襲われていると、海凪がベッドの横で座り込んで見上げてくる。
……これはマズい。
「わーった! 起きるし急ぐからそれはやめろ!」
「えー、せっかく先輩呼びしようかと思ったのに」
ぶーっと口を尖らせる海凪。
あのまま上目遣いで「お願い、先輩♡」とか言われていたらたまったもんじゃなかった。危ない危ない。
危険を感じたからか一気に目が覚めた俺はさっさと身支度を整え、朝食を掻き込むんでまだ登校まで時間がある海凪には気を付けるように言って部屋を飛び出した。
ちなみに一気に腹に溜まった朝食は例の如くオムライスだ。
~~~
二年A組の室名札が掲げられた教室の一番左の最前列にある、なんとも分かりやすくかつ意外と教師の視界に映らない席に俺はカバンを置いて腰かけた。
まだ建てられてからそれほど年月が経っていない校舎だからか、小綺麗な教室を見渡せばまだ談笑しているクラスメイトがちらほらいる。
加えて担任教師もまだ来ていない。
つまり遅刻は免れたということだ。
俺はホッとした。サボる気ではあったが、一度家を出てしまったのなら間に合うに越したことはないのだ。
「良かった間に合った、みたいな雰囲気出してるけど普通に遅刻だと思うよ?」
後ろの席から俺の顔を覗き込むようにして、人の安堵に水を差すようなことを言ってくる男の名は
俺の家のお隣──麻倉晃の弟である。
「いやいや、どう見てもセーフだろ」
言いながら椅子の背もたれに腕をかけて振り返れば、目に映るのは名前の通りの爽やかフェイスに涼し気なショートヘア。この男、俺の中でザ・普通と呼び声の高いお隣に少しくらい分けてやれよと言いたくなるほどイケメンなのだ。
お隣曰く、爽に対してのラブレターを預かったことは手が何本あっても数えられないらしい。兄を通しても数えられないほどのラブレターが届くということは、本人が直接受け取ったラブレターをも合わせたらどうなってしまうんだろうな。俺の六畳の部屋だったら埋め尽くされてしまうかもしれない。
だが、ある事実が去年の七月頃に発覚してからはそういう類の話がパッタリ消えたのを俺は知っている。ある事実というのはお隣が一人暮らしを熱望した理由の根幹であり、恐らく近いうちに分かると思う。
「まあ大河がセーフというのならそういうことにしておいてあげよう。五分オーバーだけどね」
「なんで上からなんだよ……」
「学級委員になったから。それも、二年の初っ端からサボった誰かさんに押し付けられそうになっていたのを庇ったせいで」
「そりゃあご愁傷様で。……あとでなんか奢るわ」
予想の斜め上の理由だった。
一年間の厄介事を仮にも友人の爽に押し付けてしまったと思うと、なんだかいたたまれなくなってくる。
にしても、休んだ人間に学級委員を押し付けようとするとは末恐ろしい話である。それが担任教師の差し金か、それともクラス内での押し付け合いの結果か。どちらかは分からない。
しかしこの学校の方針は生徒の自主性を一番に重んじる、というものでクラスの決め事などに教師が介入してくることはほとんどない。だから予想の域は出ないが恐らくまあ後者だろう。去年と同じように。
来年は絶対休まないようにしようと俺は心に誓った。
「いや、礼には及ばないよ。僕は数少ない友人が悲しむようなところを見たくなかっただけさ」
「……お前、そんなやつだったけか?」
俺の認識ではこの男は、外見こそ爽やかイケメンではあるが、中身は押しつけがましいとまではいかないまでも、お隣に似た感じのちゃっかりした性格だったと思うのだけど。少なくとも、人の為に学級委員を代わってやるような人間じゃなかったはず。
「なに、去年の誰かさんの真似をしてみたくなっただけさ」
「それは……。それとこれとは別だろ」
去年の誰かさん。それが指し示すのは十中八九俺のことだ。
確かに俺は去年、クラスの大人しそうな女子が押し付けられそうになってるのを見て、柄にもなく学級委員を受け持ってしまった。
だがそれは、彼女は忙しい部活に入るから出来そうにないと言っているのに、それでもと半ば無理やり決まってしまいそうになっていたからで。
対する俺は部活に入る気など端からなかったし、時間も有り余る予定だったから代わっただけで。
だからそれは理にかなった話であるけど、今回爽が代わった相手というのは暇を持て余してる俺であり、それは理にかなっているとは言えない。
つまり、去年の俺は受け持つべきじゃない人から代わったが、今年の爽は受け持ってもいいはずの俺から代わったのだ。
両者はあまりにもかけ離れている。純粋な優しさが含まれているか否か、大事なポイントだろう?
しかし爽は、
「どうせまた大河は頭ん中で屁理屈並べてるんだろうけど、去年の大河が何を思って学級委員を代わりに受け持ったかなんて相手には伝わらないんだよ?」
爽の人の頭の中を土足で踏み込んでくるこの感じ。なんというか、俺は苦手だ。
「ほら、彼女見てみなよ」
そう言って爽が視線を促したのは、件の去年学級委員を押し付けられそうになっていたおさげの女子のほう。俺もそちらを向くと、ふいっと目を反らされてしまう。
今年も同じクラスなのは偶然というわけではなく、この学校に単にクラス替えという行事が存在しないというだけである。おかげ様で遅刻寸前だった俺は昨日休んだのにもかかわらず、去年より一階下の教室のこの席に座ればいいと分かっていたのだ。
「なんだよ、ジロジロ見るのは失礼だろ」
「はて? ジロジロ見てきたのは彼女のほうだけど? もっとも、僕じゃなくて大河をだけど」
「んなわけねえだろ。見てくれがいいのはどう考えてもお前の方だ」
客観的に見て事実を述べただけなのだけど爽は大きく嘆息する。
「それを本気で言ってるのなら、一番失礼なのは大河だね。僕は容姿の話なんてしてないし、仮に見た目が関係あるのだとしても大河だってカッコいいじゃないか。僕には劣るけど」
俺は爽のこういう馬鹿正直なところが好きだけど嫌いだ。
だから俺は去年、初対面の爽に馬鹿正直に言われた言葉で厭味ったらしく言い返してやる。
「どうやら俺の目は死んでるらしいからな」
「そうやって大河は……。ほんと頑なだなあ。まあそういうところが好きで友達やってるんだけどね」
毒を吐いたつもりが蜜を与えてしまったらしい。しかし男に友達としてでも好きなんて言うのはやめていただきたい。気持ち悪いから。
「だけどね大河。前までならここまでだったかもしれないけど、学級委員としてお節介を一つ言わせてもらうと──」
──そういう生き方は必ず限界が来るよ。
……本当にお節介極まりないな。残念ながら俺の腐った性根はそんな正論じゃ引っこ抜けやしないんだよ。
「時に大河」
「なんだよ……」
真面目な顔をしていた爽は一変、爽やかイケメンが台無しの口元が緩んだ面に変わり、
「死んだ目が心なしか息を吹き返してるように見えるのは、この子のおかげかなあ?」
本当にイケメンの「イ」の字もないほど気色悪い顔をする爽は、エンジ色のブレザーのポケットからスマホを取り出し一枚の画像を見せてくる。
その画像に映っていたのは、爽が撮れるはずのない最近の我が家の風景だった。
俺が腹痛でベッドにうずくまってるのが切れ端に映っている。
では中央には何が映っていたのかというと、
「大河、妹できたんだって~? 今度紹介してよ~。おにいちゃんの看病してたのかなあ? 可愛すぎだろ~うりうり~」
俺は絶句した。
この男、画像中央に映っている俺のベッドの端を枕にして眠っている海凪の顔を拡大して、指で撫でだしたのだ。おぞましい、おぞましすぎる。
強烈に気疎いその様に俺は、詰まる喉からようやく声を振り絞るようにして言う。
「……お、お前どうやってその画像を」
「んー? 兄貴がこっそりとって送ってくれたんだよ。やっぱり持つべきものはロリコンの兄貴だなー」
「犯罪だろうが!」
そう、この爽やかイケメン──麻倉爽は妹という存在に目がない妹狂人なのである。
ちなみに爽から告白やらラブレターやらの色恋沙汰が遠のくきっかけとなった事実とはこのことで、去年の七月頃、街中で実の妹に抱き着いたりキスしようとしたりなどという求愛行動をとっていたところに爽のことが好きで好きでたまらなかったストーカーが遭遇し、絶望し、ツイッターで拡散されたことによって発覚に至った。
俺は最初、数多の女子に声を掛けられるのにうんざりしていた爽にとっては、経緯が最悪であれど、まあ清々してよかったんじゃないかと思ったが、そんなことはなかったと今更ながら振り返る。
爽にとって煩わしかった色恋沙汰は、なんだかんだ相手にするだけで時間を取られるらしい。実はそれが妹狂いの抑止力になっていて、そんなストッパーがなくなった後、檻を突き破ったライオンの如く爽は妹コンテンツに興じるようになっていったのだ。
その結果がこのザマである。
『妹育成シュミレーション!』やら『創造イモウト~自分好みの妹を創ってみよう!~』なんておもっくそ評価の低い、どこの会社が作ったかも分からないようなソシャゲをやっていた頃の方がまだマシだったってものだ。
にしてもあのお隣、この角度はベランダの方から撮ったものだと思うが、まさか「非常の際は、ここを破って隣戸へ避難してください」を突き破ったんじゃあるまいな。ベランダなんてほぼほぼ出ないから分からないけど、帰ったら確認しなければ。お隣ならしでかしていてもおかしくない。
「なあいいだろ~? こんな可愛い妹独り占めするなんて、ガッキーと結婚した星野源とやってることおなじだぞ~」
「やめろ! ガッキーはまだテレビ出てるだろうが!」
お隣にしろ、爽にしろ、なんだって自分の性癖のことになるとこんなにも面倒くさいのか。
俺はダラダラ涎を流しながら腕に絡みついてくる爽の、もはやイケメンの面影などない顔面を引き剥がして言う。
「お前、まさか海凪のこと紹介してもらうために学級委員変わったんじゃないよな?」
「何言ってるんだよ大河。そうに決まってるじゃないか」
「決まってねーよ!」
あのいたたまれなかった気持ちを返しやがれ! でもお前らしくて安心したよ! 畜生!
「それにしても、みなちゃんって言うのか~。きっと漢字は『海』に『凪』ぐって書くのかな~? ふふふ~」
何で分かるんだよ!? 普通、「みな」でその漢字は出てこないだろ!? そもそも読みすらできなかった俺がおかしいのか!?
にしたってキモいのには変わりないけどな!
そうやって押し問答を続けていると、ガラガラっと教室の扉が開く音がする。
「あの~……。圷君、麻倉君。もうすぐ入学式始まりますけど……」
俺たちは言われて見渡してみれば、教室はしんと静まり返るもぬけの殻だった。
苦笑いを浮かべる丸眼鏡の女教師。今年も担任は英語の倉橋先生、通称──「クラT」らしい。
文化祭のクラスTシャツが、無地に「クラT」と書いただけのしょうもないものになったのを思い出す。
というどうでもいい話は置いといて、
「……いくか」
「……そうだね」
俺たちは他に全く足音のしない人気のない廊下を歩いて体育館に向かった。
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