ヒーローに勇気を、声援を

 屋上はさっきまでの和気あいあいとした空気が一瞬で消え去り、代わりに阿鼻叫喚の嵐へと移り変わった。パニックで逃げ惑う人、恐怖にあてられて動けなくなった人、明らかに体調を悪くしている人。それぞれ違う症状が起きているものの、その原因のどれもが、混乱の渦中にある『ワンダラー』1匹によって生じたものだ。

 いま丁度産まれたばかりなのか、それとも別の場所にいた『ワンダラー』現れたのかは定かではないが、その異形の怪物はいまだ覚醒を終えていないかのように、大きな動きを見せてはいなかった。しかし、例えこのまま動かなかったとしても、ただそこにいるだけで悪意をまき散らす『ワンダラー』が存在しているだけで、屋上の状況は悪化の道をただ進むだけである。

 『ワンダラー』が行動を開始する前に逃げるべきなのだが、屋上からの出口である階段への道やエレベーターは混雑を極め、また多くの子供たちがいることにより避難は遅々として進んでいなかった。

 避難を誘導する係員の声、我さきにと逃げる為張り上げる怒号、恐怖のあまり言葉にならない悲鳴、状況を理解はできていないが周りの環境に釣られた子供たちの泣き声。

 パニックがパニックを呼び起こし、一向に収束を見せない事態のさ中、『ワンダラー』がその巨躯を身じろぎし始める。


 さて、困ってしまったぞ。早いとこ『ワンダラー』を始末してしまいたいものの、こんな衆目のある中、変身などできるはずもない。せめてどこか隠れる場所があるといいのだが、それを抜きにしても、いまだ放心状態にある小鳥遊ちゃんをこのまま放置するわけにもいかないし、一度は外へ避難すべきだろうか。一番手っ取り早い方法は、魔法少女バレを気にすることなく僕が変身をして、『ワンダラー』をさっさと始末してしまうことだろう。

 『ワンダラー』の見た目は小型以上の大きさではあるものの、今まで倒してきた中型と比べれば少々小さ目のサイズだ。この程度なら今までの経験上苦戦する要素はないし、本気を出してしまえば秒殺することだってできるはずだ。まぁ、それは二次被害のほうが酷くなりそうなので控えるが、要するに、僕にとってはまったく敵じゃない。

 しかし、僕はこの場で変身するという切り札は切らない。当然である。

 改めて言うが、僕が一番大事なのは自分の身である。人々を助けるのだって、僕が自身の危険を感じていないから悠々とできているからであって、身バレというリスクと天秤にかけた場合は自分を優先する。

 何せ、僕は『ワンダラー』の脅威も十分に理解をしているが、それ以上に人々の『悪意』にだって十分に詳しいつもりだからだ。魔法少女に向けられたたくさんの悪意を見て、たくさんの悪意を消してきた僕にとっては、悪意に塗れた人もまた『ワンダラー』のような怪物と相違ない。

 もちろん、ここにいる人々の大半はそういった悪意とは無縁な、善意の存在ではあろう。魔法少女を貶めるという発想など欠片も持たず、ヒーローを純粋に応援してくれる人ばかりだろう。だがそれは、ブラックローズとローズが同一存在であるということを晒す理由としては、余りに弱い。一度それがバレてしまえば、今後の活動にも差し支えがある。僕の中のヒーローは、その正体を明かしてはいけないし、人々の悪意によって動きを阻害されてはいけないのだ。

 兎にも角にも、小鳥遊ちゃんには速やかに退場して貰わなければいけない。一緒に行動していては、変身のタイミングなど得ることができるはずもない。避難経路が酷く混雑しているので時間が掛かりそうだが、避難途中でうっかりはぐれてしまうことにしよう。その後、変身さえ出来ればこっちのものだ。十分にヒーローとしての力を見せつけるとしよう。

 パニックに陥る子供たちの前に現れるヒーローなんて、あまりにもおいしすぎるシチュエーションだろう。ブラックローズのヒーローとしての立場を確かにする最高の一手になる事間違いなしだ。是非とも僕の活躍を目に焼き付けて欲しい。

 どうやって小鳥遊ちゃんとはぐれようかと算段を付けながら、取り合えず避難経路に向かおうと華奢なその手を軽く掴み誘導しようと歩き始めると、小鳥遊ちゃんは足を止めこちらを見つめる。少々迷っている様子にも見え、開こうとしている口がもぞもぞと動いている。


「小鳥遊ちゃん。ここにいたら危ないよ。急いで避難しないと!」

「ローズちゃん。先に非難して。わたしは、ここに残らないといけないから」


 僕の手に自分の手をそっと重ねると、先ほどまでの震えを残しながらも、明確な意思の籠った目でこちらを見返してくる。周りの喧騒などまるで聞こえなくなったかのような空間の中、小鳥遊ちゃんは覚悟を決めたように話し出す。


「わたしは・・・わたしは魔法少女なんだ、ローズちゃん。だから、逃げるわけにはいかないんだ」

「小鳥遊ちゃんが・・・魔法少女・・・?」

「うん。見習いだけどね。わたしはドジだし、運動音痴だし、『ワンダラー』にだって負けちゃったことだってある、ダメな魔法少女なんだ。だから、もしかしたら今回も、負けちゃうかもしれない」


 自身が魔法少女であることをカミングアウトした小鳥遊ちゃんは、胸のつかえが取れたかのように落ち着いた口調で自虐をし始める。

 見習いと頭につくあたり、まだ『ワンダラー』と戦う許可が下りていないのではないだろうか。一度負けてしまったという事もあり、要観察とされている可能性もある。


「なら、逃げてもいいんじゃない?魔法少女は君一人じゃないでしょ?今は敵わないと思った相手から逃げるのは、悪いことじゃないと思うよ?」

「それじゃダメなんだよ。わたしは、わたしの中の正義は、もう逃げることを許してくれないんだ。ここでもし逃げちゃったら、わたしはもう二度と、魔法少女としてやっていけない、そう思うんだ」


 小鳥遊ちゃんの身体が強張り、強く手を握りしめられる。汗ばんだ手から伝わる震えは、小鳥遊ちゃんの心情をありありと示しているが、それでも強く地に足を付けて一切引く姿勢を見せない。大人しく、弱々しい印象もあった彼女だが、自分の意思を頑なに曲げない今の彼女からは、自分自身を追い詰めているかのような気迫を感じる。


「わたしは、誰かを助けたいの!わたしが助けないとダメなの!そうしないと、わたしが魔法少女になった意味がないの・・・!これが我儘だってわかってる。もしここで逃げても、他の誰かが助けてくれるかもしれない。わたしのがんばりは無駄かもしれない。でも、他の誰かじゃなくて、わたしがヒーローになりたいの・・・!!」


 激情を言葉にして放つ。いままで彼女はどれだけ悩んでいたのだろうか。『ワンダラー』に負け、挫け、自分が助けたいという自分勝手なエゴに、どれだけ押し潰されそうになっていたのだろうか。

 荒い息を少しづつ整えながらもなおその熱を灯したまま、彼女は言葉を紡いでいく。


「ローズちゃんが言ってたよね。例え失敗して、ヒーロー失格って言われても、誰かの応援で、きっとまたヒーローになれるって」

「うん、そうだよ。誰かに応援されるってことは、想像以上に力が湧いてくるもんなんだ。何度失敗したって、ヒーローがまた立ち上がる為の勇気になるんだよ」

「うん。わたしも今日、ここに来て感じたよ。それが例え物語の中のヒーローに向けられたものだとしても、みんなの応援は勇気をくれるものだと感じたよ」


 小鳥遊ちゃんは手に込めていた力を緩ませてゆっくりと離し、そして一歩、二歩と後ずさる。胸の前で手を結び、まるで祈るように、願うように、訴えかける。


「ローズちゃん、お願いです!こんな我儘で、弱いわたしでも、怪物に負けないって、誰かを助けられるって、信じて!わたしに、ローズちゃんを守らせて!!遠くからでもいいの、わたしを、小鳥遊桃を、応援してください・・・!!」


 それが、彼女の中で培われてきた願いなのだろう。怪物に勝ちたい、誰かを助けたい、守りたい、応援して欲しい。自身の我儘で溢れた自分勝手な願いでも、それでも彼女は、それを叶えたくて願ってきた。


「僕は、信じてるよ。小鳥遊ちゃんは立派なヒーローだって。そして、『ワンダラー』なんかに負けないって応援しているよ。だから、がんばれ!」

「・・・はい!!」


 強い返事をして俯きかけた顔を上げた彼女の表情は、泣きながらも笑顔で、そして、ヒーローの再誕を確信させる、自信に溢れたものだった。

 片足を少し引き、振り向いた彼女の背中にはもう迷いはなく、真っ直ぐに己の敵だけを見据え、一歩前に踏み出す。

 深呼吸をして深く息を吐く。緊張もある、恐怖だってまだある。でもそれ以上に、貰った強い勇気がある。

 みんなを守るため、人類の敵を倒すため、力を開放するための言葉を放つ。


「変身!!」


 柔らかい光が渦巻き少女を包み込む。光の奔流は細い線となり、少女の手に、足に巻き付き、そして少女の姿を変えていく。


 レースの付いた白い手袋。

 黒いタイツとリボンのついた赤い靴。

 ふわりと揺れる黄色いスカート。

 目元を少しだけ隠すウェーブの入ったクリーム色の髪。

 意思を貫く黄金の瞳。

 耳に着けたイヤリングに輝くのはひまわりのような宝石。


 悪意を消し飛ばし、軽やかに地に降りる少女は、手に持つステッキを怪物へと向けながら、己の名を叫ぶ。


「わたしは、魔法少女クォーツ!みんなを守る、ヒーローです!」


 みんなの助けを求める声に応え、魔法少女がやってきた。






「さて、どうしよっか、もきゅ?」

「助けにいかないっきゅ?」


 魔法少女クォーツを見送った後、避難している人々に紛れた僕は、誰にも見つからないようにはぐれて人気のない場所まで移動をしてきた。ここなら誰にも見つからずに変身することもできるし、少し出遅れてしまったが『ワンダラー』の元までは簡単にたどり着けるだろう。こんなピンチを助けたヒーローは、みんなからの感謝を沢山受ける存在となるだろう。しかし、だ。


「いざとなったら手を貸そうとは思うけど、しばらくは様子見かなぁ」

「ローズは中々に手厳しいっきゅ」

「しょうがないじゃん。僕がここで助けに入っても、きっと彼女は納得しないよ。言葉では感謝したとしても、彼女は自分自身で誰かを助けたいって願ってるんだもの」


 誰かに変身するところを見られさえしなければ、僕だって助けにいくことはやぶさかじゃない。どころか、活躍するチャンスなのだから、僕だって表舞台に立ちたい欲がある。そういった意味だと、ここで動かないのは僕のポリシーに反しているとも言える。

 でも、仕方ないのだ。クォーツは一緒に戦ってくれる人も求めているわけじゃない。自分を後押ししてくれる人を求めているだけなのだから。

 もちろん、僕がここで助けに入らないことで、被害は大きくなるかもしれない。多くの人を助ける選択肢を取るのであれば、ここで動かないのはヒーローとは言えないだろう。

 だが、今回僕が助けたいのは、僕とは関係のない人々ではなく、小鳥遊桃という少女なのだ。僕は例え、一万人の他人が助けを求めていたとしても、それが一人の知り合いとの天秤に掛けることになるのなら、迷わずに知り合いを選ぶ、そんな人間だ。だから、まぁ。


「人類には申し訳ないけど、一人で立ち上がろうとしてるヒーローの為に、ちょっとだけ我慢してもらおう」

「やっぱり、ローズは悪役も似合ってるきがするっきゅ」

「失敬な。ヒーローにだって助ける者を選択しなければいけない時があるだけだよ」


 もしかしたら、魔法少女クォーツは今回も失敗してしまうかもしれない。前と同じように、挫けてしまうかもしれない。仮にそうなってしまったとしても、それを選択したのは彼女なのだから仕方ない。

 でも、たとえ何度躓いだとしても、何度でも立ち上がるといい。君が諦めない意思を見せ続ける限り、僕が応援をしてあげるから。

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