当たり前にあるものが突然失われたとき、人は何を思うのか
誰だって、いきなり現金の山をポンッと渡されてもどうすればいいのか対処に困るだろう。。
こんな大金銀行に持っていくこともできないし、もしどうやって手に入れたのか尋ねられても答えられない、といった問題は、「とりあえず携帯にぶち込めばいいっきゅ」という言葉によって一旦は収束を見せた。
いや、携帯にぶち込めばいいと言われて試してみたら魔石と同じように消えたのにも驚いたし、貨幣損傷にあたらないか、とか思うところはあったが、『魔法だから』で片付けることにした。ファンタジー最高。
さすがに色々ありすぎて、考えることを辞めないと頭がパンクしてしまうので、お風呂に入って心と身体を休めてさっさと寝よう。
「あぁ、そういえばもうないのか・・・」
シャワーで頭を冷やしながら、お風呂に取り付けれた鏡に映る自身の姿を改めて見つめる。
自信に溢れていた勝気な眼は、疲れ切ったのか眠気にまぶたが負けかけながらも、こちらを見返してくる。
胸は少女というには少々不相応な大きさで、あまり気にしていなかったが意識し始めると重さを感じる。
そしてそこから下へ視線を向けていくにつれて、寂寥感というか喪失感というか、そういったもやもやした感情が溢れてくる。
産まれてからいままで連れ立っていた相棒を失った人間は、こういった気持ちになるのかもしれない。
深いため息を一つついて、難しい考えや複雑な思いを全て洗い流すように、身体の汚れを落としていく。
「髪の毛なげぇ・・・」
シャンプーを手につけ、濡れた髪の毛から洗い始めた時の初めの感想だ。
乾いていたときは1本1本が整っており、まるで風に靡く翼のようで格好良さを感じていたが、いざ洗う為に水で濡らした途端、鬱陶しさが纏わりついてくる。
前は見えないし、肌に張り付くし、なにより重い。
髪の毛って水を吸うとここまで重くなるんだな。長くなって初めて知ったよ。
移動する際なども気にすることはなかったが、『ワンダラー』なんて怪物を倒すのに、ここまで長い髪の毛は確実に邪魔になるだろう。まぁ、だからといって短くする気などさらさらないが。
なぜなら似合っているから、可愛いからだ。
鏡を見ればそれは一目瞭然だろう。
紅桔梗を思わせる瞳に紫黒の髪。
ミステリアスな雰囲気を醸し出すそれに似合うのは確実にロングヘアーだろう。
「めんどくさい・・・」
しかしながら、どう言葉を重ねようが、手間が掛かる物は掛かるのだ。
手入れの仕方なんて知らないし、時間はかかるし。
お洒落というのは苦労が伴うものなのだろうが、こんな調子で化粧等々、これからの少女生活をやっていけるのだろうか。
お湯を頭から被り、泡を流し落としてから浴槽へと浸かる。
「あ~~ごくらく~~」
お風呂で肩の力を抜いてリラックスできるこの瞬間は、いつになっても――たとえ姿が変わったとしても、いいものだ。
いささか体重と体積が減ったことにより、普段よりも浴槽から流れ落ちる量の減った水の弾ける音を聞きながら、今日一日を振り返る。
念願のヒーローになった。
悪を滅ぼし、正義を成すヒーローに。
まぁその過程で、今もこうして湯に浮いている胸や髪のように身体が変化してしまったが、それはもういい。
ヒーローとしての新生活が始まるのだから、心機一転するのだって悪くない。ここまでなにもかも変わるとは思わなかったが。
だが、悪を滅ぼすのがお仕事、といっても、ただそれだけではダメなのだろう。
人の数だけ正義があるし、その正義とぶつかることだってある。
ヒーローになりたいと思っていた時は、もっと単純に気楽に考えていたが、いざ直面すると心境も変わるものだ。
まぁ、その大部分は他の魔法少女に嫌われたくない、というとこだが。
何が悲しくて同じ正義の味方同士で争わなければならないのだろうか。
いや、人間関係なんだからそういうこともあるんだろう、ただ、僕の見通しが甘いだけだ。
いざ正義同士でぶつかった場合、覚悟が必要だろう。
自分の正義を貫き通す覚悟が。
「あー、やだやだ」
考えるのを辞めるためにお風呂に入ってるのに、これじゃまったく休まらない。
僕は頭がいいわけじゃないし、難しい事も考えたくない。
そんな僕に本当にヒーローの適正があるのなら、そういったこともなるようになるんだろう。
言い訳や免罪符は大事。これから先は長いんだし気にしないでいこう。
「ざっぷーんっ!」
子供の身体に雑念など不要だろう。身体が小さくなったおかげで広く感じる浴槽に、童心に返ったかの如くその身を沈める。
「一体なにをやってるっきゅ・・・」
「もきゅ、人って生き物は、自身の身体より大きな水があったら潜りたくなるものだよ」
「それでのぼせてたら世話ないっきゅ。魔法少女の身体は頑丈とはいえ、変身前はそこまで超人なわけじゃないっきゅ。過信しすぎると痛い目みるっきゅ」
「ごめんなさい」
なんとなく水中で息をどれくらい止められるかと試してみたら、時間は計っていなかったがいつまでもできるような気がして、気づいたら風呂場で浮いていたみたいだ。
変身前は超人じゃないともきゅは言ってはいるが、十分すぎるくらいには人類を超えているだろう。
というかこれで変身前なら変身中はどうなってしまうんだろうか。もしかしたら酸素など不要になっているかもしれない。
「先に言っておくと、魔法少女は魔法力さえあれば生命活動に支障はないっきゅ。当然呼吸だって必要はないっきゅ」
「よく、僕の考えてることがわかったね。実はエスパーだったりする?」
「せめて魔法使いって言って欲しいっきゅ。ローズの考えることは子供っぽいから結構分かりやすいっきゅ」
「まさか。僕は元々成人男性だよ?」
「元から子供っぽかったってことっきゅ。今の姿とお似合いっきゅ」
そうだろうか。
買った覚えのない色気のない下着とだぼだぼの寝巻に包まれた姿は、確かに子供そのものだろうが、まさか精神まで一緒と言われるとは思わなかった。
「ローズ、ブラジャーはどうしたっきゅ。型崩れすることはないけど、下着はきちんと着けるべきだと思うっきゅよ?」
「いや、着け方なんて分かるわけないじゃん」
少女の姿にされたときはいつの間にか着けていた『ブラジャー』、通称ブラ。
男の身であれば無縁だった胸に着ける下着というものは、女の身となった今、避けて通れない強敵なのかもしれない。
しかし、僕には着け方はわからぬ。
なぜなら生まれてこの方、触ったこともなければ、当然彼女なんていたことだってないのだから。
着衣という身近なものでありながら、その実、未知の物でしかないそれは、少女の姿になった今でも中々のハードルの高さを見せてくる。
『ワンダラー』と対峙した時のような緊張感が流れる中、僕のとった行動は逃亡だった。
三十六計逃げるに如かず。
勝てない敵から目を背けるのも勇気の一つだろう。
「いつまでも逃げ続けることはできないっきゅ。というか毎日着用するものなんだから早々に諦めるほうが楽になるっきゅ。先延ばしにしたって無意味っきゅ」
「いや、だって恥ずかしいし」
「今更何言ってるっきゅ!?お風呂に入って自分の裸だって見たはずっきゅ!この期に及んで下着程度で臆するなんてヒーローとは言い難いっきゅ!」
「自分の裸を見るのと下着を着けるのじゃ生々しさが違うだろ!」
「もきゅにはその気持ち、よくわからないっきゅ・・・・・・」
毛布に包まって就寝の準備をしてるときも、もきゅが追撃の手を加えてくる。
このまんじゅう卑怯な。ヒーローを引き合いにすれば僕が屈服すると思うなよ。
正義に悪の言葉は通じないのだ。
「そのうちやるよ、そのうち」
「もきゅ知ってるっきゅ・・・。それやらない人間の言葉っきゅ・・・」
失礼な。きっかけさえあればやるとも。ヒーローの言葉を疑ってはいけない。
――――――――
『ワンダラー』という怪物が観測されてから急遽取組み始めた、開発区と呼ばれる新たな都市部。元々あった土地を国が買取り、もしくは支援をし、怪物退治のために徐々に変化していった土地は、西区のA~D区、北区のE~H区、南区のI~L区、東区のM~P区とその名称も変えていった。元々の市街地と新たなビル群によって構成された歪な都市は、急激な変化に揺さぶられながらも、世界に現れた脅威に対応していった。その開発区の中央に、特区と呼ばれる大規模な立ち入り禁止区域がある。高層ビルで囲まれたその場所はかなりの土地を使用しているにも関わらず、そこで何が行われているかが一切不明であり、四六時中、警備服を着た人間がその周辺を警備している。
明らかに普通ではない場所だが、それも数か月続けば最早当たり前の光景となり、いまでは特区はエリート公務員のみが入れる特別な場所と噂されている。
その特区にあるビル群の一つ、明らかに他とは違う大きさの建物の中に『魔法少女委員会 本部』と書かれた看板が掲げられた部屋がある。
「飯田部長。少々お時間よろしいでしょうか」
「こんな時間にどうした沢田。もう夜勤組と交代してる時間じゃないのか」
だだっ広い部屋の中ではパソコンに向かい何やら作業している男と、その男に話掛けている女がいる。
今年50台になろうかという年齢の男、飯田五郎は、トラブル続きの近頃の業務の忙しさに頭を悩ませ目を休ませていたところだ。
上からせっつかれてやむなく計画と実行をし、下からは口々に文句を言われる。
かなり大きい部署であり、その部署内では一応トップという立場でありながら、その実態はただの中間管理職である。
「私もそう思っていたんですが、次々と問題が出てきてしまってそんなわけにはいかなくなってしまったんです」
「もしかして話ってトラブルか!?勘弁してくれ。ただでさえ人手が足りないのにこれ以上はどうにもならんぞ!!」
その上から下からと板挟みにされている苦労性の男に話し掛けたのは、大学を卒業してからまだ1年ほどしか経っていないのにも関わらず、目の前にいる男と同様に社会の苦労というものを十分に経験させられた女、沢田優子だ。
突然現れた怪物『ワンダラー』に対応するために出来た特区と、その中心となる『怪物対策省』。一般の人々にはまだ正式な公開をされていない新たな省庁に配属された彼女は、あれよあれよという間に、これまた省庁内に突然作られた『魔法少女委員会』という部署へ回され、経験からくるマニュアルもなければ、懇切丁寧に教えてくれる先輩もいない環境で日々を過ごしている。
当然、そんな手探り状態ではまともに機能するわけもなく、人手不足という環境の上、トラブル続き、経験不足と最悪の悪循環を繰り返していた。
「そんなこと言われたってトラブルは待ってくれませんよ!第一、新入社員のわたしが主任をしてる時点でおかしいでしょう!いい加減増員を申請してください!」
「増員申請なんて毎日やっとるわ!だが出来たばかりの『怪物対策省』なんてどこも人手不足は変わらん。地方から人員を補充しようにも怪物被害の恐れがあるから迂闊に動かせん、と」
魔法少女委員会の部長の次点が、次長でも課長でもなく、主任の時点でその人手不足なのは明々白々だろう。
しかし、これも原因は突然現れて突然消える『ワンダラー』のせいである。その傾向から人が密集する都市部に多く発生することが分かってきたが、それでも片田舎ですら出現しないという保障はどこにもない。対策が必須なのはどこも一緒であり、人手が足りないのも、言わずもがなといったところだ。
「それより、今度はどんなトラブルが起きたんだ。魔法少女達の不満だったら聞いてられんぞ」
「ご安心ください。これは『委員長』ちゃんからの報告ですので」
「む、前置きされると、むしろ真面目な委員長が報告してくるトラブルのほうが怖いものがあるな。で、内容は?もう心構えはできたから勿体ぶらずに言っていいぞ」
「はい。本日2時過ぎ、C区の4丁目付近にて『ワンダラー』の発生を確認。付近にいた魔法少女サファイアはこれを討伐すべく出動したそうですが、到着時には『ワンダラー』はすでに討伐されていたようです。他の魔法少女の出動履歴がないため不審に思ったサファイアは、近場に見覚えのない魔法少女らしき者を発見。不審に思い所属部署を問い詰めたところ名乗りだけ挙げて逃走されたそうです。少女は『ブラックローズ』と名乗ったようで、魔法少女リストを確認しましたがそのような名前は見当たりませんでした。恐らく、どこの所属でもない魔法少女かと思われます」
沢田が、自身の手に持つタブレットを操作しながら魔法少女リストを表示させる。
世界中の魔法少女はこのリストに記録され、どこの組織に所属しているのか、どういった魔法を使えるのか等々、協力関係のある国同士で管理されている。
つまり、このリストに乗っていない魔法少女は、必然的に協力関係にない国に所属している危険な恐れのある人物か、もしくはどこにも所属していない魔法少女になる。
「容姿も照らし合わせて確認したか?あのくらいの年頃の子はいたずらをしたがる奴も多い。実は名前を偽っただけでした、なんてない話じゃないだろ」
「もちろん確認しました。委員長ちゃん曰く、闇に紛れるくらいの黒で染められていて、目だけ妖しく紫に輝いていたそうです。黒や紫の髪をした子はリストにも少々確認できましたが、全身が黒の時点で確認ができませんでした。暗かったせいで他の色を見落としていた可能性もありますが、まず間違いなく、リスト外の魔法少女でしょう」
「はぁ・・・誰でもいいから実は悪戯でしたって言ってくれないか。今なら拳骨だけで許してやるのに・・・」
「現実逃避をしないでくださいよ。いずれは委員会への所属に反発する子も出てくると予想されていたはずです。その予想が現実となっただけでしょう。諦めて対策をしてください」
「そのうちやるよ。そのうち」
「それはやらない人間の言葉です。対策は考えていたんじゃないんですか?」
「考えたって実行する人間が足りなきゃどうしようもないだろ。どこにその子がいるかを探すところからなのに、人海戦術だって使えるはずもない。魔法少女達にお願いするのも難しいだろ」
「・・・・・・そのうちなんとかしましょうか」
定時という概念の例外に置かれてしまった怪物対策省魔法少女委員会。
人手不足に苛まれこの人々に、ヒーローは現れるのだろうか。
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