窮鼠は嗤い駆け回る 

マニアックパンダ

第1話


 わたしが幼少期を過ごした家は、戦後まもなく建てられた築70年強の木造平屋で、隙間風がよく吹くどころか、強い風雨にさらされればもれなく雨漏りなどがする、そんな家だった。


 さて、そんな家につきものなのがもう一つ、それはネズミだ。

 毎晩毎晩屋根裏で大運動会を繰り広げ、食料品などをそのまま出しておけばたちどころに彼らの宴会料理へとに早変わりする。

 幸いにもどこかの青い猫のように耳をかじられたりなどという人的被害はないものの、日々悩まされている事に違いはなかった。

 それはどれほど駆除しても、よほどの数が住み着いているのか、それともどこからかやってくるのかはわからないが、一向に居なくなるどころか減る事もなかった。


 そんなある日の事だった。私が小学校から帰ってくると、祖母が庭の隅で一斗缶に穴を開けたもので焚火をしていた。傍らには大きな麻袋があり、何やらその中に手を突っ込んでは四角い何かを取り出して火にくべているのだ。そしてその祖母の顔には笑みが浮かんでおり、とても楽しそうに見えた。

 子供の私は、焚火とは焼き芋などを焼くものだという先入観を持っていた、それまでに幾度か自家製の焼き芋を貰って食べた印象が強かったせいだろう。更に祖母が笑みを浮かべて私を手招きしていたのも大きい。

 私が駆け寄って何を焼いているのかと声を弾ませて尋ねると、祖母はこれまで以上に口角を上げて大きな笑みを浮かべた。


「あんたもくべるかい?」

「何を?」


 質問に質問で返してきた祖母に私は首を傾げると、祖母は麻袋の中から冊子のような物を取り出した。そしてその冊子の縁を持って、ベリベリとガムテープを?がすような音をたてながら開けると、そこには粘着シートの上でもがくネズミいた。


「ネ……ネズミ?」

「あぁそうだよ。天井裏にいくつも仕掛けといたら、案の定バカなネズミが山ほど捕まった」


 得意げな顔をした祖母が麻袋を足で軽く蹴ると、中から聞きなじみのあるあのキーキーという声が聞こえてきた。


「い、生きたまま火の中にいれてるの?」

「そうだよ、汚いから家の中には置いておけないし、ゴミの日に出すには生きたままではだせないからね。これが一番手っ取り早い」


 確かに害獣ではあるし、我が家はネズミ被害に悩まされている。だが、生きている動物を楽しそうに火にくべるという事実が私には恐ろしく映った。


「か、可哀想じゃない?」

「どうしてだい?それにこのままにしておいたら逃げだしてまた悪さをするよ、こいつらは」


 私の怯えながらの問いかけに、祖母は理解できないといった様子で首を傾げながらも、その手は麻袋の中からネズミを捕まえている粘着シートを掴んでは火の中に放り込み続けていた。

 断末魔のようなネズミの鳴き声と、これまで嗅いだ事のないような独特の匂いが辺りに立ち込めており、胃の奥からせりあがってくるものを感じ、匂いの届かないと思われる場所まで移動して背を丸めた。

 しばらくすると祖母は空になった麻袋をたたみながら、少し戸惑った様子で「あんたがそんなに言うならもう燃やすのは止めようかね」と呟いた。その言葉にほっとしたのをよく覚えている。

 だがしばらくの間は、毎夜夢にネズミが火の中で暴れまわり苦しむ姿が出てくる酷い夢を見た。

 それほどまでに強烈な体験だったのだ。

 いつもは優しい祖母が、その普段と同じ笑みを浮かべながら、生きたままのネズミを火にくべて燃やす姿が。


 ようやく悪夢を見なくなり、その事自体が日々の事情に呑まれ消え去った頃だった。私が帰宅すると、祖母が庭でしゃがんで何かをしている姿を見たのは。

 当初は背中しか見えなかったのだが、傍らに麻袋が置いてある事に気が付くと、例の事が一気に思い出される事となる。だが今回は焚火をしている様子はない事にも気が付き、恐る恐る近づくと大きな盥の前にいる事がわかった。

 これまで母や祖母が、汚れの強い洗濯物を湯を溜めた盥と洗濯板でゴシゴシと洗っているのを幾度となく見た事があったために安心した、今回もそうなのだろうと。

 だが現実は違った、近くに寄って見ると祖母が先日も見かけたあの粘着シートを水の中に沈めていたのだ。以前と同じように満面の笑みを浮かべて。


「あぁお帰り」

「そ、それは……?」

「ん?あんたが火で燃やすのはイヤそうだったからね、水に沈めて溺れさせているんだよ」


 私が震える声で尋ねたのに対して、祖母はさも平然とそう言ってのけた。

 生きたままのネズミを貼り付けた粘着シートが、浮き上がってこないように水の中へと押さえつけながら。


 今回は水の中である為に、ネズミたちの断末魔の叫びも、あの独特の臭いも匂わないはずだった。

 だが祖母が笑みを浮かべてネズミを殺すという行為が呼び起こしたのか、私の耳には確かにキーキーと断末魔の鳴き声が響き、鼻をつくような臭いが漂ってきたのだ。

 そして強烈にこみ上げる吐き気に抗う事は適わなかった、出来たのは庭の隅へと走る事だけだ。


 その日から私は再び悪夢に苛まれる事となる。

 毎夜、夢の中でネズミは炎の中で踊り苦しみ断末魔を上げ、水の中から恨めしそうに私を睨むのだ。

 耳を、目を塞ごうとすると、祖母が出てきて私の手を強引に外し、あの時の顔でニヤリと笑うのだ、もっとしっかりネズミの最期を見ろと、聞けと。


 悪夢の影響なのか、それとも印象が強烈だったせいなのかはわからない。

 ただ、その日から祖母の顔がまともに見る事が出来なくなった、ネズミの顔に見えてしまうのだ。

 さらに言えば、ネズミやラット系の動物を見る事も鳴き声を聞く事も出来なくなった、逆にあの時の祖母の笑みを浮かべた顔に見えてしまうのだ、鳴き声が祖母の声に聞こえるのだ。

 それは強烈な吐き気を伴うために、家の中では常に下を向いて過ごすようになってしまった。


 だが1つだけ不思議な事に、あれほど毎日大運動会を繰り返していたネズミの足音が一切聞こえなくなった。

 あれほど悩んでいた被害が、祖母が水死させていたあの日を境にぱったりとなくなったのだ。

 あの行為にネズミが恐怖を覚えたとでもいうのだろうか?

 あの断末魔は仲間に危険を知らせるものだったのかはわからないが、確かに綺麗さっぱりと居なくなっていた。

 私の夢の中に現れる以外は……。


 悪夢はそれから1年ほどは続いたが、日々の喧騒の中少しづつ見る頻度が減っていった。

 ただ祖母やネズミ系の顔を見れない事には変わりなかったが。



 月日は流れ、幼かった私も成人し家を出て地方で1人暮らしをしていた。

 そんな折、祖母が転倒の際に骨折した為に最近近所に新しく建てられた大病院へと入院し、念のために様々な検査を行ったところ末期癌である事が判明し、もうそう長い命ではないようだから会いに来て欲しいとと連絡があった。

 あまり乗り気にはなれなかった為に、仕事が忙しいなどと理由をつけて拒んで先延ばししている内に、祖母が冥土へと旅立ったとの知らせがあった。

 急遽会社に届を出し帰郷し、葬儀へと参列する事となった。


 葬儀とは故人を見送る為の催しでもあるが、それと同時に親戚一同が旧交を温める場所でもある。

 私も同様に久しく顔を合わせていなかった親戚などに近況報告などを行ったり、雑談などを交わしていた時だった、奇妙な話を耳に挟んだ。

 曰く、「あの病院、新築だっていうのに不衛生みたいよ。床に小さな動物の足跡があったり、差し入れとかに齧られた跡があったんだって」と。

 その時は、様々な人に挨拶をするのに忙しくて、その意味を深く考えはしなかった。

 だがそれがネズミだと、あの時のネズミたちがやってきているのだとすぐに思い当たる事となった。

 なぜなら火葬炉の分厚い扉の向こうから聞こえてきたのだ。


「キーキー!」


 と、あの日一斗缶の中で断末魔をあげていたネズミと同じ声が。

 そして骨上げの為に棺を開いたそこには、なぜか小動物の骨と思われるものがいくつも祖母の骨の上にその形のままにあったのだ。


 あれから私は再び悪夢に苛まれている。

「キーキー」という鳴き声がずっと耳から離れない。




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