肝試し

「武。肝試ししようぜ」

 そう、有間夕弦が言ってきたのは、ある夏の日のことだった。

「肝試し?」

「そう。俺の近所に廃墟があって、そこで殺人犯が寝起きしてるって噂なんだ」

「なんだよ、幽霊じゃなくてガチじゃん」

 俺は笑った。

「やる? やらない?」

「……やる」

 中学生というものは無謀でできていると思う。まだあまり賢くなく、後先よりその場のノリで生きている時代。

「決まり。今日の放課後に行こう」

 俺は頷いた。怖いなと思う気持ちもあったけど、それよりも好奇心のほうが勝っていた。


 廃墟は夕弦の家の近くにあった。廃病院。噂には聞いていたけど、かなり陰気なところだ。殺人犯がいなくても、幽霊は出そうな雰囲気。

「ほんとにいんのかよ」

「だから肝試しなんじゃん。いなかったらよかった、いたら全速力で逃げる」

 夕弦がダッシュする真似をする。

「わあったよ。二人で行くんだよな?」

「そう。一人ずつだと、途中で引き返しても分からないから」

 がさり、と雑草の海に足を踏み入れる。雑草までじめじめとした質感で、類は友を呼ぶってことなのかな、などと考える。

 俺が少し先になって、どんどんと分け入っていく。少しずつ廃病院が近づいてきた。

「うげーっ、気持ち悪ぅ」

 見るからにおどろおどろしい外観をしていた。壁は煤け、窓という窓は割れている。中は真っ暗で、夕方ということもあって光が中まで届いていないようだった。

「……入る?」

 入口の前まで来たときにはもう、二人とも少し及び腰だった。

「ううぅ、入る。そのための肝試しだろ?」

 夕弦は自分を奮い立たすように言った。

「そうだな。入るぞ」

「待って。その前に懐中電灯」

 夕弦は懐中電灯を持ってきていた。用意周到だ。俺に渡される。カチリと電源をオンにする。光を入口に向けると、ざらりとしたコンクリートの質感が露わになった。

「なんだ、なんにも怖いことないよ」

 夕弦が自分に言い聞かせるように言う。二人でロビーに入った。あたりにはガラスの破片が散乱している。

「もっと奥照らせる?」

 懐中電灯を奥に動かすと、そこには二階へ続く階段があった。

「ガラスで滑りそう。気をつけろよ」

「……おう」

 一足ずつ段に体重を乗せていく。ぱりぱりと、足の下でガラスが音を立てた。

「……うちのお父さんさぁ」

 夕弦が話し始めた。

「帰って来ない日があるんだ」

「……そうなのか」

 夕弦の家庭環境が少し特殊なのは話に聞いていた。両親は仲がいいが、たまに帰ってこない日があると。

「なんでだろーってずっと思ってたんだよね」

「うん」

「でね、お父さんが帰ってこなかった日に、書斎に入ったことがあるんだ」

「……うん」

「そしたら、鞄の中に」

 ごとり。階段の上から音がした。二人で上がり、廊下を見渡す。

「……なんなんだろう、今の音」

「殺人犯だったりして」

「まさか」

 俺はその噂を信じていなかった。

「ただの噂だろ」

「……武」

 夕弦が震える指で、廊下の奥を指す。俺はその指の指す方を見た。

 誰かが立ち上がっていた。

「……嘘だろ」

「殺人犯だ……」

 ふらふらと夕弦は廊下の奥に進んだ。

「馬鹿! 行くな!」

 俺はむんずと夕弦の襟首を掴んだ。

「だってだって……」

 絶望したような目で夕弦は俺を見た。口が動き、掠れた声が出る。

「あれはもしかしたら」

「そんなわけないだろ! 帰るぞ!」

 俺は全速力で引き返そうとした。夕弦が滑って床に手をつく。そのまま動こうとしない。人影は急速に近づいてくる。

「ユズル」

 影は囁いた。夕弦は影に手を伸ばした。

「おとう、さ、」

 そこまでしか俺は見ていない。気絶してしまったのだ。気がついた時には、廃病院の敷地の前で倒れていた。夕弦が傍らで寝込んでいる。

「夕弦、夕弦」

「ん……」

 夕弦が目を覚ました。

「夢……?」

 まだ寝ぼけているようだ。

 俺は一呼吸置いて言った。

「そうだ、俺達は夢を見てたんだ。廃病院には入ってない」

 ぎりぎりの嘘だけど、夕弦はこくんと頷いた。

「そうだね……」

 あるいは、そう思いたかったのかもしれない。俺達はそこで別れて、それぞれの家に帰っていった。程なくして、夕弦は転校していった。

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幻想短編集 はる @mahunna

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