『山根 賢治』の場合・10

「っと、思ったより酒の回りが早いかな?」


 口元を隠すように氷だけ残るグラスを運んだ八柳が、慌てて何かをごまかすように乾いた笑いを添える。ややあって彼の口の中で噛み砕かれた氷が籠った断末魔を上げた。


「まぁあれだ。人に知られず処分しますよってことをカッコよく喩えただけ、ってことで」

「……わかった」

「そいつぁ重畳」


 『消す』という表現の意味が気にならなかったかといえば嘘になる。だがここで追及の手を緩めずにもし八柳のへそを曲げでもしたら、せっかくここまで繋いだ望みが断たれてしまう。単なる好奇心の代償としては、それはあまりに大きすぎた。

 それにもし、寓意でなかったとして――彼に仕事を委託する以上、どこかでその真意を言葉ではなく実際に目することになるだろう。


「じゃあ、ここからは仕事の話」


 ドアに視線を流してしっかり閉じている事を確認した私を見て、八柳は本格的にモードを切り替えたのだろう。グラスの残りを一気に飲み干し、それまで片時も視界から外さなかったドリンクメニューを横へ追いやってから、メモを片手に左手で握ったペンを起用にくるくると回し出す。


「いつまで?」

「あと20日……いや、再来週の末までに処理してほしい」

「そりゃ急だな、モノは今どこに?」

「今は東久留米の駐車場に止めたユニックに積んである」

「てことは、運び込みは――」

「処理場までは私が運ぶ。人目に触れるのは最低限にしたい」

「おーらい、じゃ運賃と相談料はサービス、前金は10%でいいよ。あとはまー、物を聞いてからかな」

「……200リッターのドラム缶を4本」

「そりゃ、また」


 それまで丁々発止な受け答えと共に絶えずペンを走らせていた八柳の手と口が、そこで一旦止まる。

 一般企業に勤めるサラリーマンからは、およそ出る筈のない不要物。丸まった瞳でしげしげとこちらを伺うその顔からは、強い興味の色が浮かび上がっていた。

  

「私物じゃあない。さる場所から押し付けられたものだ」

「まぁ、そうだろーね」


 とはいえ八柳はそんな相槌を打ったきり、それ以上追及の手を伸ばしてはこなかった。受け入れるものを選ばないという商売故か、あるいはさっき自らが滑らせた口の先をしつこく訊かなかった私への返礼だったのかもしれない。


「うーん……相談してみないと正確なとこは言えないけど、運賃抜きなら1本10で40ってところかな」

「本当か?!」


 再び意識せずさっきと同じ言葉が口から飛び出すが、その調子は前より遥かに弾んでいた。

 40万円。妙にリアルに響く額面は、自らの月収と比較すれば決して安いとは言えない金額だ。

 だが、払えないほどの大金というわけでもない。窓際も窓際に席を置かれ、成果給なんて言葉とは縁遠いこの身でも毎月細々と貯金は積み立てているし、最低限度の掛け率とはいえ一応はボーナスの支給もある。

 何よりそれが自らの未来そのものと引き換えになるのならば、全く糸目をつける気にはならなかった。


「わか――「でも、条件がある」


 私を食い気味に制する八柳のきっぱりとした物言いは、前掛かりになっていた私の心を制するに充分な冷たさと頑固さを思わせるものだった。


「条件?」 


 訊ね返す私に、八柳はああ、と深く頷いた。とかくその仔細を私へと突きつけない事には、話を先に進める気はないらしい。

 再び浮き上がりかけていた腰を長椅子へと戻すと、八柳はメモのページを繰りながら口を開いた。


「そのドラム缶の事」

「なんでも処分してくれるんじゃないのか」

「もちろんそこに嘘はないよ。でも教えてくれなきゃ仕事は受けらんない。これは俺達のルールなんだ」


 どういうつもりだ?ここにきてリスクを天秤にかけるつもりか。

 物はなんでも捨てる。だが中身にはこだわる――真意を測りかねて口をつぐむ。その間に一度だけ追加の注文を聞きに来た店員が、無言の八柳の一瞥を受け、すごすごと退散してしまった。


「逆に言えば、正直に言ってくれれば中身はなんでも受け入れるってことなんだけどね。もちろん知った後でヤベエもんだから料金の上乗せ……なんてケチな真似もしない」


 さも当然かのように八柳が並び立てる好条件の数々に、却って疑いの念が強くなっていく。

 追い銭もせびらず、断りもせず……そこまでこちらに歩み寄る気がありながら、どうして中身に拘るのか。

 解答として一番有り得る――というか常識的に思いつくのは、単純に彼が履行する気もない都合のいい事を先に任せて並び立てているだけ、という線だ。目の前の仕事をもぎ取る為だけにその場限りで並べる、心変わりが前提のリップサービス。手に負えないものとわかればこれまた適当に話を濁して姿をくらませる。

 自体は悪辣だがやり口としては賢い。しかし、それにしてはやり方がどうにもあからさまに過ぎないか?

 酔いの回った私の頭でも看破できるような見え見えの手は、目の前にペンを握って逐一こちらの反応を伺う男の意外な几帳面さとは、どうにもちぐはぐに思えて仕方ない。

 ならば八柳の言う事は全て本当で、感じる不自然さはその言が彼ではなく、おぼろげに後ろに見える『誰か』の意思だからなのか――


「どうする?信じてみる?


 その見当をつける前に、最終決断を迫られてしまった。

 それまで一度たりとも時間など気にする事のなかった八柳が、どこか試すように腕時計の文字盤を指先で軽く叩いている。これ以上時間を割く気はないというジェスチャー……すなわち、イエス以外の煮え切らない反応全てをノーと取る。

 そんな宣言と同義だろう。

 八柳の伏せ札は未だ残っている。疑問が全て払拭されたわけじゃない。だがそれでも、私が明日に続く道を行くにはもう、ここで引き返すという選択肢はとうに残されていなかった。

 対面の試すような視線に晒されながら、私はゆっくりと通勤カバンの内ポケットをまさぐり、1枚の封筒を取り出す。

 心配性の佳奈美が『出先で何かあったら困るから』と忍ばせてくれた、月の小遣いとは別扱いとしてくれている虎の子。その8割にあたる皺ひとつない4枚の万札を取り出し、八柳の方へ顔の向きを揃えてテーブルをゆっくり滑らせた。 


「全面的に信頼して、仕事を依頼する」

「賢いね。口先だけよりずっと信頼できるリアクションだ」


 ゆっくりと、深く頭を下げる私にどこか侮るような賛辞を向け、八柳は遠慮の欠片もない手つきで万札を雑に掴んでポケットへとねじ込んだ。

 これで、私が最後の伏せ札――缶の中身を打ち明ければ、晴れて交渉成立という事だろう。


「中身は――」

「おっと、そいつは今じゃなくていい」


 ……どういうことだ?

 意を決して開いた口を制され、要領を得ない表情を浮かべる私に軽い笑みを返してくる八柳。手早くペンを走らせたメモをぴっと破いたかと思うと、手早く荷物をまとめて立ち上がる。


「商談の成立祝いに、ここは俺が持たせてもらうよ」

「そんな――」

「いいからいいから」


 さっと伝票を手に取る八柳に、思わず会社での飲み会のような調子で遠慮の言が喉から飛び出す。そんな私に全く構うことなく、テーブルを迂回してジャケットに手を伸ばしていた。


「明日の同じ時間、この場所に来て欲しい」

 

 そうして下座に座っていたこちらの脇を抜け様に手渡されたメモの切れ端。そこにはここからそう遠くない、私鉄沿線沿いの駅近くを指す住所が手慣れた様子の筆跡で走り書きされていた。


「これは……?」

「今度はうちのボスに会ってもらう。中身はそこでのお楽しみ、ってことで」


 なぜここで中身を訊かないのか。

 ボス、とはいったい誰の事なのか。

 私とそのボスを引き合わせる意味とは。

 浮かんだ数々の疑問に気を取られているうちに、さっさとレジへ向かっていく八柳を追う足が言って遅れてしまう。

 慌てて上着と鞄を引っ掴んで外へ出るも一歩遅く、彼の姿はとうに夜の歓楽街へと溶けていった後だった。

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