『山根 賢治』の場合・8

「……しかし、ずいぶんと古い缶だ。玉掛けの拍子に割れないか心配ですよ」


 こちらの仕掛けを気取られないよう相手の注意……と、自らの怒りを逸らすべく、気がかりだった点をついでに訊ねてみる。

 無論、実際に知りたいのは字面通りの事ではない。物理的にも、あるいは情報的にも、この中身は文字通りだ。ここの主だってユニックのフックが当たったくらいで壊れるほど脆い缶に保管するような間抜けではないだろう。

 こちらが知りたいのはとりもなおさず『ここからの運搬は誰が、どういった方法で行うのか』という点に尽きた。

 私が免許を取ったのは平成の半ば、区分が変わる前なので一応8トン車までは運転できる。実際現場で人手不足を理由に幾度かハンドルを握らされた経験もあった。

 だが可能なのはあくまで運転だけ。万一……積み込みから荷下ろしまで全てをこちらに放り投げられるとなれば、かなり困ったことになる。

 ユニック車を用意し運転することは出来ても、クレーンを動かすの資格――はまぁ、今更遵法精神を持ち出す気はないのでいいとしても、実際に積み込むだけのスキルを週末までに備えるのはどうあっても不可能だからだ。

  

「ユニックへの積み込みは相手側ここの人間が行う。君の仕事はそこから先だ」


 だが予測通り、そんな心配は杞憂に終わる。そもそも今夜この場に自分が現れなければ、ドラム缶を積んだユニックを押し付けられるのは課長になっていたはず。

 彼がクレーンの扱いに長けているところなど見た事も聞いたこともない。条件としては私と同じだ。故にこの厄介モノを積み込むための何らかの算段を立てている事は明白だった。

 そして――


「相手?」


 白痴を気取って鸚鵡おうむに返す私を見て、課長が驚きとも呆れともつかない表情を浮かべる。


「まさか今まで、ここの会社の名前を知らないで話していたのか?尾美おみ興産だ」


 呆れたような課長の声に濁った愛想笑いを返し、その影で今度はこちらが手ごたえに拳を握る番となった。

 よし、これで最後にして最大の鍵となる単語は拾えた。

 尾美興産――ウチの営業所の中でも上から数えた方が早いほど大手の取引先。最近はともかく、以前は営業会議で事あるごとにご自慢げに口に上らせていたせいで、平役の頭の中にはその名前が悪印象と共にうんざりするほど刻まれている。

 本人にはその自覚がないのか、あるいはそんな事も失念するほど自らの優位に酔っているのか……当然確認するまでもなく、ここの名前など私だって知っている。

 無知を装ったのはだがそれを今、課長の口から言わせる事こそが重要だったからに過ぎない。 


「ひとまず積み込んだユニックを停めておく場所さえ確保してくれればいい。そこから先は、ハンドルを任された君次第だ」

「つまり、私は尾美興産の持つこの倉庫へユニックを回して、この硫酸ピッチの入ったドラム缶4つを積んでどこかのパーキングへ入ればいいんですね。高橋課長?」

「随分と念入りな確認だな。普段の仕事にも生かせばよかろうに」

「文字通り、こちらの生き死にが掛かってるんです。慎重にもなりますよ」


 最早ここまで来れば、向けられる皮肉にも神経が逆立つことはなかった。

 臆病を装うその影で見えた勝利に浮足立つことなく、逆に自らの足場をまだ盤石と信じて疑わない課長をじっと見つめ、一度大きく息を吸う。勿体ぶられて余計募った苛立ちが、こちらの望外に課長の口を再び動かしてくれた。


「そうだ。尾美興産の硫酸ピッチの入ったドラム缶をどこかに追いやれば契約が取れる。その数字と手柄は私と君で山分けだ」

「……ええ、もう充分です」

「というと?」

「もし、リストラの撤回がなされなかった場合――」

 

 ――ピッ。

 言い放つ言葉の尻に指先で添えたスマホの電子音。それに一拍遅れたタイミングでその音の正体に見当をつけたのだろう。再び驚きの色が広がっていく課長の顔の前に『録音完了』と表示された画面を突きつける。


「この会話、全て上に報告させていただきます。もちろん座標と日時も一緒に」


 恨むなら、便利なだけのお人好しと高を括った自分を恨むがいいさ。

 課長だけでなく、それぞれの会社にも追及の手が伸びる事を意味している付け足しの文句――尻尾切りどころか、全てを巻き込んで弾け散る道を密かに用意され、在ろうことか完成の為の最後の欠片を自分の声で嵌めてしまった。

 怒りに奥歯の噛む音が聞こえてくるような課長の形相に、内心震えあがる心地を覚えながら必死に平静を装う。


「何もしなければ、どうせ私は会社を追われるんだ――悪人になるなら、ひとりよりふたりの方が何かと融通が利きますよ、きっと」


 あえて直接的な表現を避けたが、こちらの真意は十二分に伝わったようだ。

 道連れの宣告と受け取ってくれた課長は、苦虫を噛み潰したような渋面を浮かべて、それからしばらく思索に耽り始める。


「……君の言う『業者』には、本当にそれだけの力があるのだろうね」

「私は、約束を果たしてほしいだけです。もし私が処理しきれなければ、お言葉の通りどこかに一生置き場を借りてやりますよ。万一公にバレてこの話が無くなったとしても、課長は得られるはずだった数字を手放すだけです」


 ――ちゃんと約束が果たされるなら。

 念を押す私に向かい、たっぷりの時間を置いて縦に振られた課長の首は、この倉庫に捨て置かれたどんな廃材よりも暗く、重々しく見えた。

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