第8話 人生の本質は?《別説》

 《前書》


 人は生まれて死ぬまで「学び」の連続である。人生の本質は人との出会いであると、同時に、人生とは「学び」そのものであり、または、「成長」である。

 死ぬまで人は変わり続けて変化して、新しい方向へ成長して、変わり続ける可能性を秘めている。


1.「石ころからも学ぶ」


 私は道に、転がる石ころからも学ぶ。石が硬いのか柔らかいのか。石が尖っているか?まるいのか?細々こまごまとした色がついているのか?宝石が含有するのか?


石もまた同じ。人間と同じく10人10色である。


 石は長い長い年月をかけて出来た。火山の噴火で溶かされたり、様々な混合物が混ざり合い、今の形になった。石は様々な事を教えてくれる。


 例えば、道でつまづくとする。「あれ?なんでかな?」普通はそれで終わりだ。僕ならなぜ躓いたか道をよく見る。溝がある。また誰かがつまずくだろうと予測する。ここを治すように安全面を考え対処法に思いをめぐらせるだろう。転んでもただでは起きないのである。


2.「死ぬまで学び」

 人はもちろんに毎日、学べる。起きて食べて働いて、家族と話して、友人と喧嘩して。


毎日毎日学ぶのである。

 例えば、人から注意される。仕事で失敗する。人から痛い言葉を言われて、傷つけられるとする。どれも、やはり学びだ。

 人の優しさに触れる、新しい発見や、出会い、もまた学びの連続だ。家族からも、友人、後輩、老人、子ども、みんなに学びしかない。学べないものなど、この世にない。


究極は、年を経て、病に倒れ、死が近づくとする。


それでも最期まで、わたしたちは、死と直面しながら、死を悟るなか、死に向き合いながらも学ぶだろう。


生まれて死ぬ直前まで人生は、学び成長である。



3.人生は学びあい


人の人生は学びあい、育ちあいである。


例えば教師は上から目線で「教えてやっている」と想いがちだ。教わる方は教えていだだいていると謙虚にまなぶのは当たり前だが、

教えている側は勘違いしてはいけない。


 教師は、教えているようでいて「生徒から学ぶことの方が多い」のである。反面教師って言葉がある。だめな教師からも生徒は学ぶ。やはり人生は学びあい育ちあいである


4.学びとは何か?


学びは血となり肉となる。いわずもがな謙虚に学ぶことは世界を無限に広げ、人生という大海の荒波を超えてゆく力、生きがいにつながるだろう。


よって人生の本質は、前に話した「出会い」であるとともに、


「人生の本質は学びと成長」である。

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人生の本質とは何か? 木村れい @kimurarei0913

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