ファーストキスはスポーツドリンク味だった

イノウエ マサズミ

初めてのキスの相手は運命の人?それとも…

序章




 伊藤正樹は、数日間迷いに迷った挙句、結婚式の招待状には「欠席」で返事をすることにした。


「それでいいの?本当は出席したいんじゃないの?」


 伊藤の妻、咲江は言った。


「ううん、いいんだ。あの人のことは、思い出の中で綺麗なままで保存しておきたいんだ。結婚披露宴に出て、あの人のウェディングドレス姿とか、相手の男性を見ちゃったら、俺、ジッとしていられないと思うから…」


「うふっ、そんなところ、昔から変わらないね」


「えー?昔っていつのことだよ。そんなところって、何?」


「んー、教えなーい」


 伊藤は妻の咲江と、教えろよー、教えなーいと半分遊びながら、この子と結婚して良かった、と思っていた。

 もし、あの人とそのまま付き合っていたら、一体どんな人生を送っていただろうか。


 それはそれなりに楽しい日々だったかもしれないが、離れ離れになった時点で、この先もずっと一緒に過ごせる関係になるとは、思えなかった。

 いつか別れる日が来たであろう、そうとしか思えなかった。


 だから自然に別れたことは、正解だったんだ。

 あの人も素敵な結婚相手を見つけたんだし。


 伊藤は高校2年生の時の、.運命の日のことを思い出していた。







「…以上が、インターハイ予選のメンバーだ。選ばれなかった者もいるが、落ち込んだりせず、万一メンバーが怪我等で戦線離脱した際は、代わりに入ってもらう可能性もあるから、練習は怠らないように。いいな!」


「はいっ!」


 と顧問の発表に一応大声で返事はしたが、伊藤正樹の心中は穏やかではなかった。


(毎日必死に練習して、怒鳴られて、ケガして、それでも歯を食いしばって頑張ってきたのに、今年は補欠かよ…。しかも2年の補欠は俺だけ?この仕打ちはなんなんだ…)


 伊藤は、男子バレーボール部の部員だった。

 中学の時からバレーをやっていて、大会では結構上位に入ることもあり、1年生の時はインターハイ予選のメンバーに抜擢されたが、残念ながら1回戦で敗退してしまった。

 だがその次の日から伊藤は誰よりも熱心に練習に打ち込んできた自負がある。


 なのに2年生に上がってからインターハイ予選メンバーに選ばれないのは、納得がいかなかった。2年生でメンバーから外されたのは伊藤だけだったのもある。


 顧問が変わり、春先から顧問の依怙贔屓みたいなことを感じることはあったが、まさかインターハイ予選メンバーから外されるとは…。


 更に納得がいかなかったのが、中学時代に伊藤が基礎から教えた後輩が、伊藤と同じ高校に入り、伊藤を出し抜いてインターハイ予選のメンバーに1年生ながら抜擢されたことだ。


「伊藤先輩に教えてもらったおかげッス。先輩の分まで頑張ります」


 と後輩は殊勝なことを言ってくれるが、伊藤は気持ちの整理が付かなかった。


 早速インターハイ予選メンバーに選ばれた12名の部員は、顧問を中心に円陣を組んでミーティングを行い始めた。

 予選メンバーから外れた、伊藤とあと数名の1年生は、ボーッとその様子を眺めていたが…


「バカバカしいから、俺帰るわ。あとよろしくな」


「あっ、伊藤先輩…」


 1年生が声を掛けてくれたが、伊藤は体育館で居場所を失った気持になり、どうでもよくなって、早退することにした。


 バレー部の部室は体育館への渡り廊下の途中にあり、男子バレーの部室と女子バレーの部室は何故か並んでいる。

 伊藤が道具を持って男子の部室に戻ろうとしていたら、隣の女子バレー部の部室前で、ユニフォームでは無く、普通の体操服姿でしゃがみ込み、泣いている女子がいた。


 伊藤は時期的に他人事とも思えず、不意に声を掛けた。


「どうしたの?」


 え?と言いながら、伊藤の方に顔を向けた女子は、3年生の高橋美由紀先輩だった。ショートカットがよく似合う、小柄ながらも鉄壁の守りで女子チームを引っ張ってきた存在だ。


「あっ、高橋先輩…。失礼しました。どうしたの?じゃなくて、どうされたんですか?ですよね」


 高橋はその伊藤のその一言が効いたのか、泣き顔が落ち着いた。


「2年の伊藤君だよね?ありがとう、声掛けてくれて」


「いや、やっぱり女の子が体操服のまましゃがんで部室前で泣いてたら、気になりますから…。どうされたんですか?」


「あのね、アタシは去年インターハイの予選で負けてから、一年間、一生懸命練習を頑張ってきたの。3年生になったら、絶対に試合で負けたりしないようにって。なのにね…」


 高橋は再び涙ぐんだ。伊藤は立っていたが、高橋の横に行って、座り込むようにした。


「なのに…というと、もしかして…?」


「そうなの。アタシ、インターハイ予選のメンバーから外れたの…」


 そう言うと高橋は再び膝に顔を埋め、泣き始めた。

 伊藤はどうしていいか分からず、ただ隣に座っていたが、伊藤自身の事も話しておいたほうがいいと思い、喋り始めた。


「…実は俺も、インターハイ予選のメンバーから外されたんです」


「…えっ?伊藤君も?」


「はい。俺は今の2年生の中で、去年は予選メンバーに選ばれたのに1回戦負けという悔しい思いをしたので、誰よりも一番練習してきた自負がありますし、絶対選ばれると思っていたんです。だけど2年生6人の中で俺だけメンバーから外されて…。代わりに1年生が2人選ばれていて…。あまりにバカバカしくて、今日はもう帰ろうと思って、部室まで戻ってきたんです。そしたら高橋先輩が泣いてらっしゃって…」


「そうなんだね…」


 高橋先輩は涙を拭うと、ふと俺の頭をナデナデしてくれた。


「えっ?先輩…」


「伊藤君が頑張って練習してたの、アタシ、知ってるよ。誰よりも早く体育館に来て、誰よりも遅くまで残ってたよね。なのに選ばれないなんて悔しいよね」


「はっ、はい。でもなんでそれをご存知なんですか?」


「あっ…。いつも伊藤君を見ていたのがバレちゃったね。でも追っ掛けとかじゃないから安心してね」


 高橋はちょっと笑いながら続けた。


「実はアタシも、他の誰よりも早く練習始めて、誰よりも遅くまで練習してたつもりだったから…。だから伊藤君の姿もよく見掛けてたんだよ」


「そうだったんですか、ありがとうございます。逆に俺、高橋先輩のことに全然気付かなくてスイマセン」


「ううん、いいの。アタシが勝手に伊藤君を見ていただけだから…」


 伊藤は、まるで高橋から告白されているような気持になっていた。


「あっ、先輩、お返ししてないです」


「え?なんの?あ…」


 伊藤は高橋先輩の頭を軽く撫でた。


「高橋先輩も毎日練習を頑張ったのに、最後の年なのに選抜メンバーから外されちゃって、悔しいですよね。だから、俺なりのお返しを兼ねた慰めです。ごめんなさい、女の子の髪の毛に触っちゃって」


「いいよ、ありがとう」


 しばらく沈黙が続いたが、先にその沈黙を破ったのは高橋美由紀だった。


「ねっ、ねえ伊藤君、この後、何か予定ある?」


「いえ。部活に出るつもりだったのを早退することにしたので、何もないです」


「あの、アタシも何も予定がないの。2人で一緒に帰らない?学校で話すより、どこか公園とかで話したいな…」


「俺なんかと一緒でいいんですか?先輩、彼氏とかいらっしゃるんじゃ?」


「…彼氏はいないよ。だから安心して。逆に伊藤君は?彼女とかいる?」


「いいえ、サッパリです。バレンタインも、母からの1個と、女子バレー部全体からの1個の、計2個です」


「アハハッ…って笑っちゃいけないね、ごめんね。じゃあ安心して帰れるね」


「そうですね。じゃあ今日は2人して、部活サボっちゃいましょうか」


「ね、そうしよう!じゃ、制服に着替えたら、下駄箱で待ってるね」


 高橋先輩はそう言うと立ち上がり、少し乱れていた体操服を一旦綺麗に直していた。ブルマを一旦上に引っ張り上げてから、裾ゴムに指を入れて食い込みを直している時は、伊藤は見てていいのかどうか躊躇してしまった。


「伊藤君も早く着替えて。早くここから脱出しよう!」


「あっ、はっ、はい…」


 伊藤の脳裏には、今見たばかりの高橋の体操服を整える仕草が、妙にセクシーな映像として焼き付いて、つい照れてしまっていた。






「ごめんね、アタシが待たせちゃって」


 高橋が慌てて下駄箱にやって来た。体操服から制服に着替えるのは、男子より女子の方が時間が掛かる。2人はとりあえず歩き始めた。


「いえ、全然大丈夫です。気にしないで下さい」


「ありがとう。優しいんだね、伊藤君って」


「えっ、そ、そうですか?」


 伊藤は赤面した。


「だってアタシが部室前でしゃがんで泣いてた時、無視しようと思えば無視できたじゃない?なのに声掛けてくれたし。アタシの頭をヨシヨシってしてくれたし。今も多分かなり待たせたと思うけど、大丈夫って言ってくれたり…」


「いえ、そんなの男として当たり前ですよ。先輩の頭をヨシヨシしちゃったのは、ちょっとやり過ぎかもしれないですけど」


「でも、アタシは嬉しかったよ。なんかね、初めてアタシが頑張って練習してきたことを、他の人に認めてもらえた気がして」


 学年では高橋が上だが、身長では伊藤が上なので、知らない人から見られたら、伊藤が高橋の先輩のように見えるかもしれない。


 2人はしばらくバレーボールについて話しながら歩き、高校近くの公園に着いた。


「ねえ伊藤君」


「はい?」


「ここでちょっと休憩しない?」


「は、はい。いいですよ」


 高橋と伊藤はベンチに座った。結構広い公園で、まだ初夏ということもあり、親子連れも沢山来園している。


「伊藤君、何か飲みたい?奢ってあげるよ」


 確かにこの公園は広いので、自販機も設置されていた。


「えっ、いいんですか?なんか申し訳ないです」


「いいの。アタシが一緒に帰ろうって誘ったんだから」


「じゃあ、もしよければ、スポーツドリンク系の何かをお願いしていいですか?」


「分かったよ。ちょっと待っててね」


 高橋は自販機に向かって走り出した。その後ろ姿は、まるで少女のようで、とても伊藤の年上には見えなかった。

 またいつも体操服やバレーのユニフォーム姿しか見ていなかったので、スカートを翻す制服姿は、伊藤には新鮮に感じた。


「はい、アクエリアスで良かったかな?」


 高橋はアクエリアスを買ってくれた。よく見たら、高橋もアクエリアスを自分用に買っていた。


「ありがとうございます。暑いから、喉が渇きますしね」


「そうよね。ちょっと走っただけで、汗かいちゃった」


 高橋は制服のブラウスの第一ボタン辺りをパタパタさせた。その瞬間、ブラウスの隙間から高橋のピンクのブラジャーが一瞬見え、伊藤はドキッとした。


「じゃあ、乾杯しようか?」


 高橋が声を掛けてくれ、伊藤は我に返った。


「あっ、はっ、はい、そうしましょうか」


「あれ?なんか別のこと考えてた?もしかしたら…何かエッチなこととか?」


「い、いえ、気にしないで下さい!乾杯しましょう!」


「うん、分かったよ。特別に気にしないで上げる…ウフフッ。じゃ、カンパーイ!」


 2人はアクエリアスの缶を合わせた。高橋は伊藤の考えていたことはお見通しなのかと思うほどだった。


「あー、美味い!先輩、ありがとうございます」


「いやいやアタシこそ、インターハイ予選に外れた悔しさに付き合ってくれて、ありがとう、だよ」


「俺も悔しかったけど、高橋先輩は今年最後ですもんね。仮に大学とか進学されたら、バレーは続けるんですか?」


「うーん…正直、分かんない。大学に行ったとしたら、インカレって言うのかな?全国大会のこと。それに出られるとも限らないし」


 伊藤は一気にアクエリアスを飲み干し、尋ねた。


「先輩は、バレーはいつからやってるんですか?」


「小学4年からよ」


「うわっ、俺より凄いですね!俺は中学からですから…」


「アタシの小学校は、4年生から何かのクラブに入らなくちゃいけなかったのね。アタシ、体育が好きだったから、何か体育系のクラブにしたいなと思ってね。それで何が良いのかなと探したら、バレーボールなら長く続けられるかなと思って」


「やっぱり高橋先輩、凄いです。小4の時に、俺はそこまで考えて無かったですよ」


「ううん、バスケットボールは突き指しそうだし、ポートボールって小学校だけみたいだし、陸上は走るのがちょっと苦手だし、消去法なだけだよ」


「それでもバレーを選ぶ理由はちゃんとあるから、偉いです」


「伊藤君は、中学の時になんでバレー部をえらんだの?」


「俺は親友に誘われて、ですから、先輩みたいにカッコ良くないですよ」


 伊藤は苦笑いした。


「でもバレーのセンスがあったんでしょ?中学の時に県大会で、いい所までいってるんでしょ?」


「まあ、結果論ですけどね」


 高橋もアクエリアスを一気に飲んでから、聞いてきた。


「やっぱりインターハイの予選メンバーから外れたのは、悔しい?」


「そりゃあ、悔しかったです。自慢みたいな感じになっちゃいますけど、他の誰より練習してきた自信がありましたから…」


 伊藤は去年のインターハイ以降、一度も練習をサボらず、誰よりも練習を積んできたことを思い出すと、不意に涙が溢れてきた。


「伊藤君…」


「…ごめんなさい、高橋先輩の方が悔しい思いをしてらっしゃるのに…」


「ううん、学年は関係ないよ。頑張ってきたことが認められない悔しさは…」


 高橋はそう言うと、伊藤からちょっと離れた位置に座っていたのを、伊藤に近付けて座り直した。

 高橋の吐息、香りが感じられるような近さだ。


 時間も夕方になり、親子連れも殆ど帰り、公園にいるのは伊藤と高橋の2人だけのような感じだ。


「高橋先輩…」


「伊藤君、来年は絶対、インターハイ予選のメンバーになってね」


「はい…」


「アタシ、卒業しても伊藤君のこと、応援してるからね」


 高橋はそう言うと、目を瞑り、伊藤の両肩に手を置いて、伊藤の唇に唇を重ねてきた。

 伊藤はいきなりの行動に驚いたが、高橋からのキスを受け入れた。

 キスはとても長い時間に感じられた。

 ただ唇を合わせるだけのキス。

 それでも伊藤にとっては初めてのキスだった。


 暫く唇を合わせた後、2人は一旦唇を離して見つめ合った。


 お互いに照れて、顔を赤くし、俯いた。


 伊藤から先に声を発した。


「先輩、俺なんかにキスしてくれて、ありがとうございます。恥ずかしい話ですけど、俺、初めて女の人とキスしました。でも先輩、好きな男子とかいらっしゃるんじゃないですか?」


「アタシ…。実はアタシもね、男の子とキスするのは初めてだったの」


「えっ?そしたら俺、大切な高橋先輩のファーストキスを奪っちゃったんじゃないですか?」


「それは逆に、アタシも伊藤君のファーストキスを奪っちゃったことになるよね。アタシなんかが初めてのキスの相手で、ゴメンね」


「そんな、何を言われるんですか。俺、高橋先輩がファーストキスの相手で、メッチャ嬉しいです!」


「本当に?」


「本当ですよ」


「アタシも伊藤君が初めてのキスの相手で、嬉しかった」


「高橋先輩…」


「伊藤君…」


 2人は自然と抱き合い、再びキスを交わした。

 少しずつ夕闇が、2人を包んでいた。





 3




 2人はその後付き合ったが、高校2年と3年という学年差は大きく、高橋は卒業後、県外の大学に進学したこともあり、いつの間にか手紙のやり取りも途絶え、恋人関係は自然消滅してしまった。


 伊藤は高校卒業後、志望校に落ちまくり、仕方なく滑り止めで受け、唯一合格した家から通える距離の大学に進学し、バレーボールは止めたので、すっかり高橋とは接点が無くなっていた。


 伊藤が後に妻となる咲江と出会ったのは、大学時代だった。

 バレーを止めた伊藤は、軽音楽のサークルに入り、楽器を始めた。そのサークルの1年後輩に、咲江がいたのだった。


 告白は咲江からだった。

 高橋といつの間にか疎遠になり、恋愛にオクテになっていた伊藤のことを何故か好きになってくれたのだ。


 いつも明るく、一緒にいて飽きることがなかった。年下なのにグイグイと伊藤を引っ張ってくれた。


 伊藤は咲江と付き合い、結婚願望が強い咲江が大学を卒業したタイミングで結婚した。

 赤ちゃんが出来たから…と言う訳ではなかったので、特に咲江の両親、親戚筋、知り合いには不思議がられたが、色んな挨拶の場で必ず咲江は、


「アタシの就職先は、伊藤家なの」


 と言って、自分の意志を押し通し、結婚したのだ。

 伊藤も、いつでも明るく前向きで、伊藤のことを励ましてくれる咲江とは、ずーっと一緒にいても楽しいはずだと思い、咲江からのプロポーズを請け、結婚を決断した。

 伊藤には妹がいたが、妹もサキ姉ちゃんと呼んで、すっかり懐いている。


 そんな伊藤が高橋と再会したのは、高校の大同窓会の時だった。伊藤が26歳の時だった。

 伊藤の母校は、10年に一度、創立から10年単位で学年不問で開催される、大同窓会があった。

 伊藤はバレー部の最後に、良い思い出が無かったため、あまり乗り気ではなかったが、クラスの親友が誘ってくれたので、出席することにした。


 その会場で、だった。


「もしかして、バレー部だった伊藤君?」


 なんとなく聞きなれたその声に伊藤が驚いて振り返ると、そこにいたのは高橋美由紀だった。


「高橋先輩?高橋先輩ですよね?わっ、お久しぶりです」


「久しぶりだね。元気にしてた?」


「はい、お陰様で…」


「良かった。伊藤君、その後、彼女は出来た?」


 彼女どころか、その大同窓会の時点で伊藤は咲江と結婚していた。


「…実は俺、結婚したんです」


「えーっ?ほ、本当に?…お、おめでと。良かったね」


 言葉とは裏腹に、心なしか高橋は、少し寂しげに答えた。


「先輩は、彼氏とか…」


 高橋はすかさず首を横に振った。


「伊藤君と自然消滅しちゃってから、アタシは全然.ダメ」


「高橋先輩なら、モテない筈はないと思いますけど」


「ありがと。そんなこと言ってくれるのは、伊藤君だけだよ」


 伊藤は、高橋と付き合った日々を思い出し、逆に高橋に助けてもらえたことに、今更ながら感謝していた。今まで消息も分からなかった高橋と再会出来たのは、せめて住所くらい知りたいと思っていた伊藤には、千載一遇のチャンスだった。


「高橋先輩、連絡先教えて下さい」


「えっ、伊藤君、奥さんがいるんでしょ?ダメだよ」


「いえ、妻にはちゃんと高橋先輩の素敵な部分を説明しますから」


「素敵な部分?クスッ、じゃあ、住所と電話番号、教えるね」


 高橋は住所と電話番号をメモに書き、伊藤に渡した。


「ありがとうございます。先輩、手紙書きますね」


「…うん。待ってるね。アタシの大切なファーストキスの相手の、伊藤君!」


「それは俺もですよ」


 2人は見つめ合い、自然と握手を交わした。




終章




「正樹君、今日はあの人の結婚式の日だよ。何か感慨深くなる?」


 咲江が朝食時に、伊藤に話し掛けた。


「そうだね。今頃だけど、やっぱり出席しておけば良かったかな、なんてね」


「あー、やっぱり未練がある?」


「み、未練?」


「だってさ、正樹君の初めてのキスの相手だもん。その人が他の男に奪われる!待ってくれ〜みたいな、卒業って映画のシーンみたいな…」


「サキちゃん、妄想族だったっけ?そこまで俺、考えてないよ」


「んもう、ノリが悪いんだから、正樹君は」


 咲江はそう言うと、伊藤の額にデコピンした。


「イテッ!なんだよ」


 伊藤がやり返そうとしたら、咲江は腕を額の前で組んで、防御の体勢に入っていた。

 自然と2人は笑い合った。


(咲江と出会えて良かった…。天使だよ、俺には。高橋先輩との出来事も全て受け入れてくれたし。いつまでも一緒にいような)


 伊藤はそう思いながら、1つだけ咲江に頼んだ。


「サキちゃん、1つだけ、許してくれる?」


「え?1つだけ?何々?」


「電報を送らせてよ。電報なら、まだあの人の披露宴に間に合うかと思って」


「電報かぁ…。うんっ、いいよ。正樹君の思いを込めて、カッコいい電報を送って上げなよ」


「ありがとね、サキちゃん」


 伊藤は早速パソコンを起動させ、ネットで電報を送る準備を始めた。

 手元には結婚披露宴の招待状を置きながら…。



《伊藤君、元気にしてる?遂にあたしも30歳を前に結婚することになったよ。相手は前に手紙で書いてた、大学時代のバレー部の先輩!もし可能なら、是非奥さんと一緒に、式に来てね。でも無理にとは言わないから、来れなくても気にしないで。出来ればこれからはお互いに家族同士で、付き合いたいな。じゃ、またね》

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