第9話 夜襲

 実戦に勝る練習はない。矛盾しているように思えるこの言葉は、この世界でも重宝されているらしく、僕は早速実戦に駆り出されていた。


 夜間、二時を跨いだ深い夜。僕は初めて屋敷から出て、王都から離れた。この世界の景観から、ある程度の発展度合いは想像していたが、やはり中世ヨーロッパを彷彿とさせる香りがした。地球の都会とは違い、建築物を構成するのは主にレンガや石。

あるいは京都のように、景観の守護者として、国がルールを設けている訳ではないようだった。極自然な歩みとして、歴史の流れの中で造られる建造物が、その存在を暗がりの中で主張していた。


「大丈夫ですか?」

「ん?あ、あぁ……問題ないよ。」


 景観に圧倒されている僕を見かねて、リリックが声をかけてきた。彼女は、黒いライダースーツのような服装をしている。僕が都会に来た田舎者よろしく、おっかなびっくり歩いていたせいで、余計な不安を煽ってしまったようだ。そんな自分を想像してしまって、僕は薄く笑みを浮かべつつ、彼女の心配に答えてしまった。仄かにニュアンスを残す程度の僕の笑顔に、彼女は気付いていたようで、明らかに違和感を覚えているようだった。


 これ以上、違和感を残せば、アル以外にも真実を知る者が増えてしまう可能性もある。サッと視線を逸らして、僕は先導するアルの背中に視線を戻した。無論、形ばかりの真剣な顔を付随させて。タイトな服装のリリックに対して、彼女は普段通りのメイドの様相だった。但し、身分を隠す為に、目元だけを隠す仮面を着けている。それは僕も同じで、彼女が黒、僕が青だ。互いに、暗所でも目立たない色をチョイスしている。リリックに関しては、七元徳または聖騎士として、悪しき存在を討滅するのは当然のことであり、必要以上の変装はしていなかった。


◇――◇――◇


 どうやら、リリックの資料にあった場所に着いたらしく、アルが立ち止った。


 視線を上げれば、それは何の変哲もない二階建ての赤レンガ造りの建物でしかなかった。まさかあの赤が、血を連想させるだとか、そんな稚拙な趣味であるはずもないとは思う。都会の景色に良く馴染み、主張を抑えたその装いは、怪盗の変装のように我々から注意を逸らしていた。まさかあれが……なんて想いが、当然のように僕の中にもあった。


 違和感が一つ。それは周囲の建物とは違い、蔦が纏わりついていることだ。ハート型の葉をつける植物が、建造物を拘束しているかのように、二階の窓までひっそりと手を伸ばしていた。手入れを疎かにしている――そんな第一印象が、この建物を更に人々から隔離するのかもしれなかった。


 アルが振り返る。リリックが頷く。それ以上の素振りもなく、彼女らは同時に動き始める。移動開始前に聞いていた通りに、僕はアルの背後に張り付くように動いた。連日の模擬戦もあり、彼女の実力を思い知らされたからこそ、深い信頼が育まれていた。彼女の背後にいることで、感じるべき緊張も二割ほど軽減できている。


 実直に入り口に向かう僕らを他所に、リリックは蔦を登って屋根の上に消えてしまった。どれだけ確認しても、あの蔦が人間の体重に耐えうるような太さには見えなかった。福音なのか、あるいは技術なのか、この世界の限界について、僕は思案することくらいしかできなかった。


 アルが入り口の扉を開錠するのに要した時間は、およそ2秒ほどだった。よく見る古墳のような形をした鍵穴に、細い針金を差し込み一ひねり。これも七元徳が知恵の嗜みなのか、それともメイドとしての嗜みなのか、少なくとも異世界リースの記憶には、頼りになりそうなものはなかった。


 まず最初に、数ミリほどの隙間分だけ扉を開けて、そこから何かを確認していた。

一つ頷いてから、彼女は針金を隙間に差し込み、手首を数度捻る。心なしか、先ほどよりも太く見えた。同時に、ドアノブに触れていた左手を捻りながら、扉をゆっくりと押し開く。何も見えない暗闇の中に、音を立てずに踏み入る様は、ある種のプロフェッショナルであるかのようだった。中に入り、月明かりに目が慣れれば、彼女が入り口のトラップを解除していたのだとわかった。扉の直ぐ上には、開閉に反応するベルがあった。今は、役目を果たせず沈黙しているだけだ。


 先にアルが中に入り、様子を確認してから僕を手招いた。細心の注意を払いつつ、足音を消して歩く。一夜漬けの消音歩行訓練が功を奏し、僕の存在を暗闇の中に隠してくれている。


 外観から想定していた通り、この家はさほど広くはないようだった。教皇を暗殺できるような組織のアジトには思えない。入ってすぐのリビングには、どこの家庭にもあるような背の高い机と、椅子が四つ、それと窓が一つ。腰丈くらいの高さのキッチン、シンクには食器が入ったままだ。皿の数は少ない。多く見積もっても、三人くらいだろうか。


 リビングを進むと、直ぐに階段があった。高低差のある床を、音を立てずに歩くのは至難の業で、一段上がる度に板の軋む音が鳴った。階段上には、短い廊下が続き、左右に一つずつと、奥に一つ扉があった。シンクから連想できる人数と、扉の数が一致している。やはり、この家には三人だけの住処……なのだろうか。


 不意に、アルは僕を見て左の扉を指さした。言葉など無くとも、こちらの扉を任せる――というアルの意志は、明確に伝わって来ていた。緊張から、思わず唾を飲みこむ。訓練は詰んだが、まさか初戦から一対一になるとは、想像もしていなかった。恐らく、奥の扉は屋根のリリックが対処するのだろう。


 右手の人差し指から中指までの三つを、アルが立てる。僕が視線を向けると、それは一定のペースで一本ずつ拳の中に折りたたまれた。心の準備には、余りに短い時間ではあるが、この場に来てまで迷っている暇はない。実戦と訓練の差を、緊張と言う形で、濃密に感じ取っていた。


 アルが慎重に扉を開ける。同じく、僕も慎重に扉を開けた。彼女とは違い、僕側の扉は木と石レンガの擦れる小さな摩擦音が鳴っていた。そういえば、少しだけ持ち上げながら開けるのが、扉開閉のコツだと言っていた――そんな反省を、現場でしてしまうあたり、我ながら緊張が足りていなかったのだと思う。


 扉を開いた瞬間、中から剣が振り下ろされた。闇夜に輝く銀色の蛇が、僕の脳天目がけて噛みついてくるかのようだった。咄嗟に、右足を下げて半身、剣が顔面の数ミリ先を通り過ぎていく。死んでいた――という実感が緊張感を沸騰させていた。


 ほとんど音を立てず侵入したはずなのに、敵はこちらの存在に勘付いていたのだ。僕の立ててしまった小さな音か、とかく敵は迎撃態勢を整えていた。当然のことだとは思うが、敵は武器を持っている。徒手格闘と武器術では、明確な有利不利がある。

 

 僕が最初に選択したのは、前蹴りだった。この場では、扉枠によって、僕の動きが限定されてしまう。ダメージを与えるというよりは、押し出すような蹴りでもって、敵を数歩分も後ろに下げた。


 よろけた瞬間に、僕も室内に侵入する。一つだけの窓から、月明かりがカーテンのように入り込んでいた。その中に舞う塵が、僕の侵入に驚いて、素早く蠢いている。


 荒い造りのシングルベッド、腰丈くらいの棚、火のない燭台、絨毯――というよりは、劣化の目立つ床を隠す黒い布。瞬間的に目に入った目立つ家具は、これくらいだろうか。実戦では、迅速なる環境分析が必要不可欠だ、とアルが言っていた。伏兵が隠れている可能性もある。しかし、この部屋には、そんなスペースは無さそうだった。問題なのは、この部屋が7畳もないところだろう。狭い部屋では、大きく動き回ることが出来ず、最小限の動きで剣を躱さなければならない。


 30代後半から、40代前半、鼻下から顎までを5センチ以上もある髭が覆っており、彼の顔の大部分をマスクのように隠している。上下を逆にしても、顔として成立するのではないかと思えるほど、毛髪と髭の質感が酷似しており、また長さまで同じように整えられている。背丈は僕と同じ170後半、正面からは鼻の穴が見えず、やや垂れて見えた。目の下の深い隈は、夜間に怯えている証拠とも言える。暗殺者として狙われる立場であることを、許容して生きてきたのだ。当然のように、安心する夜などないのだろう。


 彼の薄く開かれた瞳が、闇夜の中に潜む僕を捉える。肌に痺れるような特有の感覚を覚え、これが殺気なのか、と僕は思った。不思議と、そんな状況に心が馴染んでいく。自己分析には無頓着で、こうした隠れた一面が我ながら意外に思えた。ふと、愛する女性の蟻を踏む姿を見たかのような、小説の裏表紙、禁断の1ページに踏み込んでしまったかのようだった。


 やや広くなったのを活かし、敵が横なぎに剣を振るってきた。仰け反って躱すには、やや壁が近い。むしろ踏み込むことによって、斬撃を封殺した。腹部に一撃、拳を見舞うと、敵の頬が膨らむのが見えた。訓練の成果に、思わず僕の顔が綻んだ。


 そんな僕を見て、敵は不思議そうにしていた。人を殴って笑う者は、少数派に属するらしい。


 敵と僕の距離は、およそ50センチほど。これだけ近ければ、片手直剣を振るえないはずだ。となると、敵の次の選択肢は、直剣を活かす為に距離を作ること。敵が下がるのと同時に、僕は踏み込み、距離を作らせなかった。さほど距離を作れない狭い部屋であることに、僕は感謝さえしていた。そのまま膝を突き出し、敵の腹部に追い打ちをかける。更に敵はたたらを踏んで、壁際まで追い詰ることに成功した。まるで武器という拘束具を纏っているかのように、敵は不自由を噛みしめている。


 ――勝てる。


 確信と同時に、敵が自分の左手の親指を咬んだ。

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