第8話 組織

 はっきり言って、状況は芳しくない。僕の栄養になるはずだった暗殺者らは、不明瞭な程に大きな組織であるらしかった。それは、屋敷の全貌が内部から感じ取れぬように、あまりに身近であるからこそ、角や隅を捉えさせないのかもしれない。


 アルとリリックは、難しい顔で会議を続けている。そんな彼女たちを他所に、模擬戦で蓄えた疲労を、少しでも癒す為に時間を費やしていた。やがて呼吸も落ち着けば、僕は手を持て余し、体捌きの確認作業を行う。特に、指摘されてしまった回避手段においては、丹念に反復をしておく。回避において、重要なのは上体の動きではなく、足さばきである。できれば、「躱す」のではなく、「外す」イメージだ。


 どこかダンスのニュアンスのある足さばきを反復するのに、僕は何度も足を絡ませてよろけた。酔いどれの夜道を連想させる動きに、たまらず声をかけてきたのは、アルではなくリリックの方だった。


「リース様、助言をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

「助かるよ。」

「では、手を伸ばして頂けますか?」


 リリックの伸ばした両手に、僕は照れつつも手を重ねた。初めて介護を受け入れる老人の覚える気恥ずかしさが、僕の中に宿った。同時に、暗殺者の気配かと思えるほどに、厳しい視線がアルから向けられるのを感じた。


 武道の体捌きとは、やはり舞踏に似る部分があるらしく、おもむろにリリックが始めたのは、まさしく踊りであった。僕の両手を、車のハンドルのように操舵しながら、軽やかに足が動く。


「よく足元を観察してくださいまし。」

「う、うん。」


 習いたての外国語を扱うように、僕は拙いながらもリリックの足の動きをなぞった。不思議なことに、彼女の動きを盲目に追いかけていたはずの足は、やがて自ら動き始める。耳を澄ませば、リリックが鼻歌を歌っていた。僕の足は、そのリズムに従って動いていたのだ。


「せっかくの【知恵流】が……」


 と、ぼやくアルの声が聞こえた。ふと鑑みれば、何処か彼女の動きとは違う気もした――が、より僕に合っているのは、こちらであるように思えた。リズムに内包される動きは、体系の中に形態的に固着する彼女の動きとは違い、若者言葉のように簡略化されているからだろう。


「リース様、作戦ですが……今日より一週間後、夜襲をかけるとします」

「……わかった。僕は?」

「私から離れるのは危険ですから、御一緒に」

「そっちの方が危険なように思えるけど…」

「七元徳が二人も付き添いますから、問題ないかと。話は、ペルに通しておきます」

「そこまでアルが言うのなら、付いて行こうかな」

「あら、二人とも素晴らしい信頼関係で、妬いてしまいますわ」


 リリックに茶化されると、アルは誇らしそうに胸を張った。それはあたかも、当然のことです、と回答しているかのようだった。


「正直なところ、模擬戦だけでは実戦に対応できませんから、丁度よかったです」


 元も子もないことを、アルが輪郭をなぞる癖を添えて言った。彼女の言い分はもっともで、実戦以上の練習は、おそらく存在しないのだろう。そんなことは、素人の僕でも想像できた。問題は、地球のようなルールのある格闘技とは違い、結末に生死が絡むことくらいのはずだ――と、僕はげんなりしつつ、溜息も見舞った。


「それでは、もろもろの事情を私がペルに話してきますから、リース様はお気に入りのリリックと共に、研鑽を続けていて下さい」

「あ、あぁ。了解」


 明らかに、怒りの覗く様子で、彼女はホールから出て行ってしまった。何が勘に触ったのだろうか、と思う程、僕は鈍くない。恐らく、長年を供にしてきた良き生徒を、横から来たハイエナに奪われた気分なのだろう。


 苦い顔をしていれば、握られたままの手に、きゅっと力が込められた。視線を戻せば、リリックが少しだけ頬を膨らませて、拗ねた子供のような表情を浮かべている。二兎を追う者は――とはよく言ったのもので、僕に間男は向かないことが発覚した瞬間だった。やや癖のある苦笑いをしつつ、僕は彼女の鼻歌を少しアレンジして、ダンスを再開することにした。今度は、僕のリズムで彼女が踊る。数分も続ければ、ようやく朗らかな太陽にも比肩する、彼女の笑顔が元に戻っていた。


「では、動きがおさらい出来たところで、模擬戦を再開いたしましょう。」

「やっぱり、リリックも模擬戦至上主義者なのかい?」

「わたくしとアルでは、根本的な武術構造が違いますから、基礎には手を付けずに、今の動きだけでも確認しようとしているだけですわ。」

「あぁ、なるほど。」


 そう言って、リリックは構えた。体は半身、左手を軽く前に出し、右手は腹部に添えている形だ。何と言うか、アルよりも真面目に構えてくれているのに、リリックの方が自然体であるように思える。彼女の纏う雰囲気がそう連想させるのか、まるで武道が淑女の嗜みであるようにさえ思える。


「行きますわよ!」


 あえて解り易く、攻勢の合図を取って、彼女は半歩踏み出した。どこかの映画のワンシーンみたいに、弟子が攻めて来るのを待つことは無かった。守勢の復習なのだから、当然なのかもしれないが、あたかも授業の小テストのように、彼女は解り易く、僕でも捉えられるような動きで、左手を伸ばしてきた。適切な表現ではないが、アルと比較すると、数段以上も落ちる速度が、攻撃の素振りを食器を取るような素振りに錯覚させていた。


 先のダンスのように、彼女が踏み出した半歩に合わせて、僕もまた半歩だけさがった。まず、距離で外す。すると、また彼女は踏み込み、今度は右手を伸ばしてきた。繰り返し、僕は半歩下がりつつ、それを左手で丁寧に弾いた。回避に躍起になるアルトの模擬戦とは違い、しっかりと回答を探す余裕があった。


 それから数手分、彼女と同様の動きを繰り返す。それは、まさしく踊りであるかのようで、いつの間にか彼女の動きが僕の一部として躍動している。それもこれも、アルが基礎的な身体能力や体捌きを教えてくれていたからだと、僕は身に染みて理解していた。どちらも必要な要素であり、授業で取ったノートを、他の科目の先生に賞賛されるかのような、小さな承認欲求が満たされていくのを感じた。


 不意に、リリックが蹴りを出した。左腿を狙う一撃を、左足を下げて躱す。しかし、手と足では距離感が異なり、パチンッという良い音が鳴った。思わず赤面する僕を、彼女は好ましそうに見ている。交互に訪れる成長と未熟の実感は、僕に武道の奥深さを教え、そのものの趣きを見出させた。必要に迫られて行っていた武道の鍛錬が、いつの間にか趣味の一つであるかのように、僕の心に馴染んでいく。次第に、口角まで上がり、僕は笑顔になっていた。


「蹴りに対しては、距離で対応するよりも、足を軽く上げて、脛で受けるようにしてください。痛みはありますが、相手の方がより痛むので、効率よくダメージを交換するイメージですわ。」

「わかった。」


 つまり、割引の商品を買うイメージかな――という言葉を、僕は口内に隠した。前世の残り香は、僕の中にだけあればいい。


 ほとんど言葉と同時に、リリックが蹴りを出した。再び、左腿を狙う一撃で、僕は習った通りに足を上げて、脛で受けた。今度はドスッ…みたいな、鈍い音が鳴った。どうやら正解だったらしく、彼女は満足げに頷いている。蹴りから拳まで増えた選択肢を、何とか自分の中で解決しつつ、模擬戦は続けられた。


 絶妙になされた手加減のおかげもあり(……僕の成長のおかげもあり)、攻防は完成された劇の様相に落ち着いていた。彼女が左手を出す。僕が左手で受ける。彼女が右手を出す。僕が右手で受ける。左足、左脛――右足、右脛、全ての動きが僕の中で、知識から技術に昇華していくのを感じていた。


 やがて、乖離していたファンタジーと現実の境界線は、曖昧になっていく。戦わずして、問題を解決する意思を、僕の中から融解させていった。


 一週間後、きっと僕は敵を倒す。


 できれば、必要以上に人を殺したくはない。


 ――でも、殺人は経験済みだ。

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