第4話 会合


 僕は、またベッドのミミズに戻っていた。布団の中で、くねくねと体を動かしながら、怠惰に身を任せている。どうせまた死ぬんだ。そんな思いが、僕の自己嫌悪を加速させていた。所謂転生をしたものの、豚の子が豚であるように、バッタに生まれればバッタの人生を歩み、僕として生まれれば僕を生きるのだ。だから僕は、これから死ぬ。


 不意に、昔のことを思い出していた。幼稚園生だった頃、ようやくひらがなを一通り覚え、先生から将来の夢を書いてみろ――と、課題を出された。手元の紙は、未来へ羽ばたく園児をイメージしたのか、蝶々の形に整えられている。僕は、何の迷いもなく蝶々へ「サラリーマン」と記入していた。そこに未来への意志などなく、なんとなく惰性で、それが一番正しくて、かっこいい答えなんだと思っていた。僕らの歩む未来への道筋は、ピカソが描くキュビスムほどに複雑性を含み、直線的な通路など一つたりとも存在しない。でも少なくとも、最も何も必要とせず、最も当たり前にある職業を選べば、自分が世界を俯瞰で見下ろせている気がして、何もない何かと張り合っていたんだ。とにかく、サラリーマンという答えは、僕にピッタリだった。それが自分に合わせて粘土のように整えられた、自己肯定的な一つの形でしかないことから、必死に目を逸らしている僕には。


 暫く現実逃避をしてから、もう一度ベッドの中で身じろぎをして、土の居心地がいい場所を見つけ、ことの発端を思い返していた。


 地下室で、暗殺者へいくつかの質問をした。しかし、暗殺者は肝心な質問には答えてくれなかった。それは、「依頼主」に関する情報だ。屋敷の構造、僕ら家族のディティールについては事細かく説明してくれたが、本当に重要な情報には、漬物ようの重い蓋が被せられていた。僕と同じく精神干渉ができる福音所持者が、彼へ情報統制を行ったとしか思えない。実験結果から推測するに、精神干渉系統の福音は、複数人が同一人物へ干渉した時、強弱関係が発生するようだった。僕よりも干渉力が強い福音所持者が、先に暗殺者へ干渉していたから、先駆者が蓋をした情報には干渉できなかったんだと思う。情報の一部にしか蓋がされていなかった理由は、湾曲的な脅しみたいなものだろう。これだけお前らの情報を知っているから、どれだけ抵抗しても無駄だぞ――という意思が、存分に見え隠れしていた。


 だから、僕は死ぬ。怠惰で何の力もない僕は、これから死ぬんだ。どうせ死ぬならと、最後に頭に浮かんだ人物は、両親ではなく――…


(小夜、君はどこにいるの?この世界に来てないの?)

 ――僕は、心の中で何でもない何かへ質問していた。


 そうして、僕はようやく上体を起こした。差し込む光を警戒しつつ、慎重にカーテンの隙間を覗くと、夕日だけが表現できるオレンジ色の光が目に映った。温かさと寂しさを同時に兼ね備えるとても稀有な色合いだ。特に、小夜を求める今の僕には、よく響く色合いだった。


 この時、目覚めてから初めて屋敷の外を眺めた。16年間が所持していた記憶という名の朧げな風景画は、オブラートにでも描かれていたのか、既に僕の海馬で溶けだし始めている。こうして窓から見える景色によって、記憶が色好き、その輪郭の解像度を増していく。怠惰かつ自己嫌悪的思考回路により阻まれていた外界との会合を、小夜の存在により、ようやく成し遂げたのだった。夕方という特異な時間帯は、後に並ぶ夜を待たせているから、僕の興味を引いたのかもしれない。僕は、夕方に強く小夜を感じていた。


(そもそも、僕と一緒に転生しているのかな?)


 窓の外を眺めていると、夕焼のせいで悲しみばかりが増していく。それでも目を逸らせず、心の中で肥大化していく小夜への欲求に従い、あてもなく視線を彷徨わせ、どこかにいるかもしれない彼女を探してしまう。自室の窓からだと、外を歩く人が随分と小さく見えた。最初に広い庭が景色を支配したものの、高身長な我が家のおかげで、随分と遠くを見通すことができた。この都でも、我が家はトップクラスの規模を誇っているみたいだ。強大な宗教団体、その教皇が暮らしている家ともなれば、当然なのかもしれない。外部への興味が、内部への興味へと変化する奇妙な経験の中で、僕の思考はとある存在へと辿り着いていた。


(神様が…僕を転生させたのかな?)


 転生と言えば神様――そんな荒唐無稽な知識が、僕の中のファンタジー世界で自生している。知識が植物だとするのなら、それは意味もなくいつの間にか育った雑草といったところだろうか。とかく、あてにするには頼りない分類の知識が、僕の中で風に吹かれ、その存在感を増した。今日日、僕は神様の近くで暮らしている可能性が高い。ルゥナ教の神であるルナ、彼女が何かを知っているのなら、それを訪ねるのに最適な場所へ、僕は毎朝の日課として通っている。


 あやふやな知識に身を任せ、暗殺者への警戒心をも躱し、僕は扉を開いた。


「わっ!?」――突然、眼前が黒に染まる。

「…失礼いたしました。」


 完全なる僕の注意不足で、何か柔らかいものにぶつかってしまった。しかし、その何かは直ぐに僕から数歩分の距離を取り、正体を明かしてくれた。


「あ、アルだったんだ…ごめん。」

「私こそ、扉に近づき過ぎていました。申し訳ありません。」

「ううん。それよりも、どうして…ここに?」

「はい。暗殺者を警戒しておりました。」

「あぁ、なるほど。ありがとう。」――僕は、福音を思い浮かべた。

「ぼっちゃまは、どちらへ?」

「祈祷の間に行きたいんだ。ついてきてくれる?」

「もちろんにございます。」――アルは、恭しくお辞儀をした。


 福音の存在が、彼女に警護としての機能を付随させている。暗殺者が来ても、彼女が居ればなんとかなるかもしれない。16年間が、僕へそう伝えている。確かな安心感の後に続き、祈祷の間へ向かった。


◇――◇――◇


 祈祷の間には、映画館のように長椅子がいくつか並んでいる。ふんだんに綿が詰められ、クッション性が高い素晴らしい品物だ。マナの色と同じく、深紅に染められており、白を基調とした屋敷の中では目立つ。全てがルナのステンドグラスに向かって整列しており、座れば彼女を正面からとらえることができる。僕は、正面のルナから最も近い位置に座り、彼女を眺めた。因みに、アルは座らず、座席の横に立って周囲を警戒し、いつでも緊急事態に対応できる備えをしている。


(…神との対話…か。彼女から言葉を聞く方法に、心当たりはある。でも、どうして16年間は一度もこれを試さなかったんだ?神を信じていたなら、なおさら試すべきなのに、彼は一度たりとも実行しなかった。)


 些細な違和感に、僕はやけに慎重になっていた。16年間という時間は、過ごすには短いが、時間としてとらえればとても長い。犬の一生分、決して軽んじるべき時間ではないのだ。17年目にして、ようやく16年間の可能性に言及するのだから、やはり人生とは複雑怪奇だ。


 僕は、そっと左手の人差し指をこめかみに当てた。これが、16年間の分の福音であり、その起動方法だ。グッと視界が狭まるような感覚が通り過ぎると、視界の中に普段は見えなかった情報が見えるようになる。あるいはメタデータの中に隠された情報を読み取るように、突如として視界の中に情報の行列が生まれる。例えば、今朝僕が撒いた遺灰やマナの残痕、通常なら見えるはずもないそれが、空間の中に色として残っている。それは靄のような状態ではあるが、ある程度の事前情報があれば、景色から情報を完結させることも可能であるように思えた。


 それから、視線を正面のステンドグラスへ移す。


「…凄い。」――僕は、思わずつぶやいていた。

「…。」――同時に、アルが疑問気に僕を見た。


 そこには、女性がいた。ただの人間と呼ぶには、余りに大きなその姿に、僕は唖然としてしまう。ステンドグラスに描かれたサイズ感のまま、僕の前に降臨したのだ。もちろん、降臨という言葉が適切ではなく、彼女はずっとその場所にいたのかもしれないが、少なくとも僕は、ようやくそれを視界の中に確保することが出来た。


「可視化を使いましたね。」――意外にも、彼女から僕へ声をかけてきた。

「…(えっと、はい。)」


 僕は、側にいるアルの存在を警戒し、音での会話を断念した。神様ともなれば、心の声も聞こえるはず――という、願望を込めて。どうにも、アルにはルナの声が聞こえておらず、僕が声を出さなければ、彼女は無言の彫像と化している。


 「可視化」とは、16年間が所有していた福音の詳細な名称だ。ありとあらゆる存在・情報を目にとらえることができる。まさしく神に仕えるべき人間が持つべき福音だと言える。16年間は、僕さえいなければ、よほど優秀な教皇になっていたことだろう。想像していたよりも遥かに身近な存在となった神様に対し、僕は暫く言葉を失っていた。だから、会話は彼女主導で動くことになった。


「望みは叶います。」

(ルナ様が…叶えてはくれないのですか?)

「個人の欲求を満たす為に存在する神ほど、幼稚な存在はいません」

(…なら、せめて手掛かりだけでも)

「では、もう一つ助言を差し上げましょう。」


 ルナは、何か遠くを見つめるような表情で、僕を見つめていた。僕自身を観察しているというよりは、僕のもっと奥にあるものを見ているかのようだった。僕が何も言わずとも発せられた彼女の言葉は、不思議なほど僕の欲求に噛み合っている。会話以上の情報を、彼女は僕という器からくみ上げているのかもしれない。井戸のような労力を必要とせず、視線という最低限の作用だけで。


「あなた達は、同時にこの世界へ来た。運命線は共生しています」

(運命線?)

「あなたの目は、全てを見通すことができる。しかし、まだ未熟です」 

(僕自身の成長が、小夜を?)

「さすれば、道は開かれん。」


 遠くの宇宙と会話をしているみたいに、唐突にルナの存在や気配が弱まっていくのを感じた。普段なら、気配や存在感を認識することなどできない。福音:可視化のおかげなのかもしれない。僕は、自分の福音の新たな一面を認識するのと共に、最後に彼女へ一つだけ質問を投げかけた。


(僕は、どうしてこの世界に?)

「私ではありません。」


 端的にそう答えると、遂にルナは見えなくなってしまった。「私ではない」――その言葉は、僕の中で暫く反芻されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る