第3話 継承
そして、その日の夜――両親が暗殺された。
僕がその一報を受けたのは、翌朝。まだ眠気と戦争している最中に、戦意は焦燥と驚愕に流されてしまった。それは、雨が火薬を濡らし、戦争を一時的に止めるのと同じ現象だった。僕が侵略した16年間が、感情の渦の中に戦争を巻き込み、僕の惰性を雨と共に洗い流してしまったのだろう。それを反射的に流れた涙が証明している。侵略者である僕に、侵略対象の親へと流す涙などなく、その自然現象的に舞い落ちる小さな雨は、間違いなく16年間のものだった。演技などではなく、涙が自然に流れてくれたからこそ、極自然に17年目を歩める――僕は、両親の「死」という非現実的な事象よりも、そうした些細な反射に感謝していた。コップから溢れるような、許容量以上の情報から、自衛のために目を逸らそうとしていたのかもしれない。
それから正午、隔離という断絶から口を開き、僕の部屋の扉が二回だけ狐のように鳴いた。
「はい?」
「リース様、ペルにございます。入っても?」
「どうぞ。」
被害者の息子という重しがあるのにも関わらず、意外にも扉はすんなりと開いてしまった。ペル・ラートライト。それが彼の名前だ。真っ白な長い髭と、ポニーテールにまとめられた同じく白い髪、青白く死人のような肌色、その上にカトリック系のキャソックと肘くらいまでの短いマントを羽織っている。儀礼的な服装は、地球と酷似しているようだ。彼は、その大理石のような冷たさを感じさせる容姿にも関わらず、とても慈愛に満ちた人物だ――と、16年間が教えてくれた。道に捨てられた小動物を拾ってしまう癖があり、自宅には数十の猫と犬が、子供代わりに彼の周りを駆けまわっている。55歳だが、未婚だ。彼の持つ慈愛の精神が、不特定多数ではなく個人へと依存するのを恐れ、恋愛に足を踏み入れなかった。彼にとって、色恋沙汰とは禁断の実に等しい。年輪のように刻まれた皺を引けば、若かりし彼が容姿端麗だったことが容易に想像できる。誘惑から耐えきった今の彼の顔には、その分の皺が刻まれている気がした。
ペルの来訪から30分後、僕は祈祷の間で祈りを捧げていた。両親の遺灰をルナへとまき、青い炎が儚く散っていく様を見る。マナにより、僕の頭頂部から流れる赤い液体が、二人の血液のようだった。地球での最後の日、養護教諭から流れていた鮮血が頭に過る。それは、僕の鼻孔に小夜の香りを漂わせていた。肉体を16年間に任せ、僕は小夜を求めて思考を彷徨わせている。両親から施されたあらゆる優しさの記憶があるのにも関わらず、彼らの死に真剣になれない。記憶だけでは、愛情を再現できないのだと、僕は今日初めて知った。百聞は一見に如かず――という言葉が表す意味合いが、もう少しだけ深みを持っているように思えた。
「それでは、皆の者。挙手を。」
いつの間にか、ペルが周囲に集まる人々へ挙手を求めていた。僕はその横で無気力に立っている。投げられた釣り竿の先にあるウキのように、引き上げられるまでは何の意思も持たず、川や海にある流れを眺める。今は発言すべきではない。僕よりも遥かに年齢を重ねた者達が手を挙げる姿を見て、僕はそう思った。あるいは、本能的に警戒しているのかもしれない。両親は暗殺されたのだ。僕が水底から黒い影に引きずりこまれるのも時間の問題なのかもしれない。脳内に漂う小夜の残り香が、それを拒絶すべきだと意見している。
「では、決議とする。」
ペルの声に反応し、先ほどまで手を挙げていた彼らは、王に対する儀礼のように片膝をつき、頭を下げてしまった。彼らの体は、全て僕へ向き、忠誠の意志を伝えている。その光景は、少しだけ不気味で、圧倒的なチェックメイトを迎えるチェス盤に立っているのではないかと、僕は錯覚してしまっていた。
「リース教皇様、こちらを。」
ペルは、僕へ黄金のペンダントを渡した。写真などが中に入るような、ロケットペンダントに似ている。写真入れ部分の大きさが拳くらいあり、とても大きな品物だ。表面には、ルナの姿が凹凸深く表現されている。16年間が、開けるまでもなく中身を教えてくれた。中には、神の血判がある。我々敬虔なる教徒へ守護を与えるという契約なんだそうだ。ペンダントを開き、僕は中身を確認した。美しい円形は、中心で二等分になっており、その左側に神の血判が押されている。記憶では、右側に父の血判があるはずなのだが、既にそれは消えてしまっている。神の血がまだ赤く新鮮なことから察するに、このロケットペンダントにも超常的ギミックがあるのだと思う。つまり、父の死により、彼の血判は消えたのだ。
――だから、僕が新たな血判を押す。
不意に、先程ペルが呼んだリース「教皇」様という言葉が、脳内で反芻された。この世界における最大宗教である「ルゥナ教」の「教皇」。それが何を意味するのか、16年間が僕へ教えてくれる。それはあらゆる国家よりも、組織よりも強大であることを。
血判へと向かう僕の指は、不思議と震えていなかった。僕がもつ本来の欲求が、権力と影響力を同時に得る快感を求めている。砂漠を彷徨い歩く老人が、コップ一杯の水を渇望するように、僕はそれで喉を潤す代わりに、指を押し付けた。親指から吸い上げられた血液が、ペンダントへ判を宿す。手を引き戻せば、僕の親指の代わりに血液だけがその場に残った。そうして、僕はペンダントを閉じた。地球の僕を、その暗く狭い部屋に閉じ込め、17年目を歩むことを決意する。
――僕は「教皇」になった。
◇――◇――◇
教皇になってから、一週間が経過した。僕は今、地下室の扉の前に立っている。廊下の天井には、いくつかの管が通っている。管には、無数の穴が空いており、そこから空気が出ている。一直線に伸びる廊下の左壁面には、十の扉があり、僕はその一番奥の部屋に来ていた。それぞれの部屋は十畳ほどの、この屋敷の規模から考えれば狭い空間で、管がこの地下室へ空気を運び、一つの部屋として成立させている。外部から蝋燭を持ち込まない限り、この地下はとても暗い。廊下すら燭台が無く、持ち込まれる光だけが小さな太陽となる。
記憶に基づき想定していた以上に、ペルとは優秀な男だったらしい。一週間と言う短い期間で、両親を暗殺した犯人を捕えていた。犯人に面会する為に、僕はここへ来た。僕の後ろには、アルとペルも付いてきている。
「やはり、私も同行いたします。」――ペルが、必死に提案する。
「いや、いいよ。」
「せ、せめて私だけでも」――次にアルが、少しだけ大きな声で。
「必要ない。」
僕がぴしゃりと断ると、二人ともそれ以上は意見しなかった。教皇になりたてとはいえ、しっかりと尊重してくれているみたいだ。とはいえ、僕がやっていることは日課の祈祷くらいで、それ以外に必要なことは、ほとんどペルが請け負ってくれている。月に一度の会議があるらしいが、まだその時を迎えていないので実感がない。
地下室へは、とある実験の為に来ていた。暗殺者に復讐だとか、そんな野蛮なことは考えていない。彼らに対する愛情は、16年間と共に記憶の中にだけある。親戚からのお年玉のお礼に、彼らへ贈り物をする子供がいないように、血縁があるとはいえ、あくまで対岸の火事に感じられてしまう。無感情が支配するなか、ペルから燭台を受け取り、僕は扉を開いた。
十畳ほどの狭い部屋、その奥の壁に、件の暗殺者は拘束されていた。左右の手は、天井から吊り下げられた短めの蛇のような黒い鎖により、下げることすら出来ない。鎖の先には手錠が付いている。天井に滑車があり、鎖の長さが調節できるみたいだ。
丁度膝立ちくらいの長さになるように、鎖の長さは調節されていた。黒い蛇は、人間の弱点である手首に、的確に噛みついていた。牙が刺さり、その毒が暗殺者へ注がれているのか、彼は項垂れている。毒もなく、蛇でもないはずの鎖は、確かに暗殺者から力を奪っているように見えた。
近づきすぎれば、何かをされるかもしれない。扉を閉め、そこに寄りかかる。
「初めまして。僕を知ってる?」
「…。」
彼の返事は、沈黙だった。顔すら上げず、今も床を見つめている。いや、薄暗い部屋の中では、目を開いているのかどうかさえ分からない。しかし、僕の声は聞こえているようで、微かに動いたせいで鎖がカチャリと音を立てていた。無視をされているからこそ、丁度いい機会だと僕は思った。
さて、僕がこの部屋に来た理由は、「福音」についての理解を深める為だ。福音とは、特殊能力みたいなもの。この世界では、全員が平等に「福音」を与えられる。例外はなく、それは神の祝福だと信じられている。だからこそ、宗教団体こそが組織の最高峰なのだ。しかし、ゲームのようなファンタジー世界ではないようで、記憶の中に魔法などは存在しない。魔物などの化け物は存在するみたいだが、この屋敷にいる限り会うこともないだろう。教皇という立場だから、これから先も会うことさえないのかもしれない。とはいえ、それは僕に意志が無ければの話だ。僕が会いたいと言えば、自ずとそうした未来も引き寄せることが出来る。教皇という身分は、制限の中の自由を僕へ与えてくれるはずだ。
――僕には、福音が二つある。
16年間が一つと、僕が一つ持っているから、二つの福音がある――と思う。基本的に、福音は一人に一つだけ。そう決められているはずだけれど、それは肉体をカウントしているのではなく、魂をカウントしているのだろう。僕の中に魂が二つあり、肉体は一つ、だから福音が二つある。僕は、小学生の学習問題みたいな理論で、神々の思考を導き出していた。あくまでも、ルナ様に答えを聞いている訳ではなく、そう僕が結論付けているだけだ。
この部屋に来る理由に、「実験」という言葉を用いたのは、16年が実証している福音と、僕が侵略ついでに持ち込んだ福音が別物であり、未だに一度も使用していなかったからだ。感覚的に理解しているだけで、それをアルやペルへ行使する気にはなれなかった。持ち込んだ記憶だけでもイレギュラーであるというのに、それ以外にも兵器を隠し持っていたとなれば、空港警備がどのような反応をするか解らない。だから、アルとペルにはこの地下室へ入って欲しくなかった。僕と暗殺者だけが事実を知っていれば十分だ。福音には、必ず何か「発動条件」がある。僕の場合、発動条件は対象を見て、左右どちらかの手の親指で、こめかみに触れるだけ。手は妹を撫でるように優しく開き、右手の親指をそっとこめかみに当てた。
「僕を知ってる?」――僕は、あえて同じ質問を繰り返した。
「…リース・ルナ・ネフィート、ルゥナ教の教皇の息子」
――暗殺者は、沈黙を辞めた。
「続けて。」
「黒髪黒目、背は175センチ以内、パッツリとしたオカッパで、もみあげや頭部は刈り上げている。金縁の眼鏡をかけ、服装はキャソックに近い黒衣。但しマントなどの装飾はなし。それから~~……」
暗殺者は、壊れたラジオみたいに情報を開示し始めた。ニュースを読み上げるキャスターのように、はきはきと解り易く彼の持つ情報を教えてくれた。誰かに伝える為に用意されたかのような情報は、僕の頭の収納へ、すんなりと分配されていった。恐らく、彼も何者かに依頼された時、または属する組織から任命された時、こうして情報を教えこまれたのだろう。それをそのまま開示しているから、情報が丁寧に整理されているのだ。世界最大の宗教団体の教皇暗殺など、生半可な組織が実現できるような事件ではない。暗殺者の背後に忍、大きく暗い影を感じ取りながら、その脅威を十分に体になじませるように、僕は最後まで彼の話を咀嚼した。
それから十数分ほど、彼から情報を取り出し、僕は地下室を後にした。
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