第百三十五癖『怒りの矛先、協力という名の罰』
人口密集地で起きた事件は何とか収めることに成功し、事なきを得た。
県警を総動員して行った大規模な交通規制、情報漏洩を防ぐためのフェイクの流布。
被害地域の店舗など、各所に説明をしに行くだけでも相当時間を費やしている。
実に骨が折れる仕事だった。ここ数年で一番の大仕事であることは間違いない
支部、そして密かに協力していたという闇の剣士がいなければ剣の存在は公になったことだろう。
他にもいくつかの作業を同時に進めていたため、私の疲労は隠しきれないレベルに達していた。
「お疲れですね、警部。お菓子食べます?」
「気持ちだけ受け取っておきます……はぁ」
そんな私を見て、食べかけの菓子袋の口をこちらに向けてくれる犬居巡査。
疲れが抜けきらない今、本当なら職務中の間食は注意すべきなのに、それすら言う元気が無い。
こんな様子の私に対し、犬居巡査には堂々と間食する余裕があるらしい。
乙骨巡査も迷惑をかけた責任を取ると言い、犯人の動向を監視する張り込み役を志願してから戻っていない。
流石に年齢の差か……。三十路の私と若者の体力では回復力と総量がここまで違う。
疲れていると思考も弱る。ああ……こんなこと、まだ考えたくなかったなぁ……。
「警部、本当は大丈夫じゃないですよね? 鼻にツンとくる過労の臭いがしますよ。お風呂とか入ってませんよね?」
「……余計なお世話です」
「それじゃ駄目ですよぉ、警部らしくもない。そうだ、仕事が終わったら銭湯に行きませんか? お風呂は命の洗濯。溜まった疲れはお湯に溶かしてさっぱりしましょう!」
独りでに年齢故の落差に落ち込む私に、犬居巡査は気分をリフレッシュさせる提案をする。
入浴……認めたくはないが、彼女の嗅覚が示す通りここ数日はまともに入れていない。
そのお誘いは実にありがたい。良い後輩を持ったものだ。
普段の学生離れ出来ていないような態度には困らされることも多いが、逆にその率直さには助けられることもある。
気を抜くにはまだ早いが、溜まってしまった疲れを取らずにいると後々辛くなる。
ここは犬居巡査の提案を素直に受け入れるとしよう。体の調子を整えるのも仕事の一つだ。
「……分かりました。では場所を押さえておいてください。マッサージサービスがある店を希望します」
「うふぉおお! マジですかぁ!? やった、警部と一緒に温泉行ける~! 私が知ってる店で一番良い店予約しときますね!」
と、了承した途端に犬居警部は椅子から飛び上がって喜びを露わにしている。
そして、勤務中だと指摘する前に犬居巡査はスマホ片手にオフィスを飛び出して行った。
全く、浮かれすぎだ……とはいえ、同じく勤務中に部下へ温泉の予約をさせる私も私か。
特権課が警視庁の中でも浮いた部署であることのメリットに感謝する日が来ようとは。
当部署で最も権威があるのはこの私。私が容認さえすれば、この部署内で起こるある程度の不良行為は無かったことにできる。
それを行使した以上は私も同罪。乱用は組織内の腐敗に繋がるため、普段から部署の人間には厳しくしているのだが。
このことはなるべく庁内に広まらないように……と、願った時、それは不意に起こる。
ジリリリリ、という内線の音。それを耳にした瞬間、私は反射的に受話器を取った。
「はい、こちら特権課」
『廻警部ですか? 実は先日全国指名手配にした人物についてなのですが──』
通話先の相手からもたらされる情報に私は固唾を飲んで聞き入る。
それは約束の日まで残り三日を切った今にとって吉報であり、そして今回のヤマを解決する最後のピースだ。
「犯人が……見つかった?」
†
その通達を受けてからすぐに、私は聖癖剣協会へと電話をかけた。
元々捜査に進展があれば直ちに情報を共有するという取り決めがあるが、それ以外にも協力を要請したい人がいるからだ。
ここ最近はあの方の力を頼りっぱなしなので、特権課として申し訳ない限りだが、あれほど便利な権能は世界中を探してもそう見つかるものではない。
あの権能を自由に行使できる向こうが少しだけ羨ましいところだ。
そんなわけで電話をかけてから翌日。指定の時間になると、オフィス内にある物が出現する。
「お待たせ致しました。不肖メイディ・サーベリア、今回も特権課の皆様にご協力をするようご主人様からご命令を受け、やって参りました」
白い渦。そこから始まりの聖癖剣士であるメイディ・サーベリアさんが現れた。
ここは警視庁。普通に考えれば不法侵入だが、大抵のことは特権課の名の下に許される。
今回彼女を召還したのは、新たに発生した件を手伝ってもらうためだ。
「何度もお呼び出ししてしまい、申し訳ありません。失礼を承知の上で申し上げますが、今回もご協力お願いします」
「そう畏まらずとも結構です。私としても、
まず先に謝罪を入れて誠意を示すと、なんとも心強い言葉が返答として出る。
あらゆる面において現代の剣士を凌駕する存在から快く承諾されるのは実に喜ばしい。
許しを貰えたのであれば、すぐに本題へ。
「では内容を。昨日、我妻あやめの元婚約者の男を発見したという報告を受けました。メイディさんにはその人物がいる場所へ我々を送り届けていただきたいのです」
改めて本件を説明。特権課に入った内線から犯人の特徴に合致する男を発見したという報告を受けた。
その男は別件で逮捕されており、身柄は県警が預かっているという。
特権課の権限で全国指名手配をされて僅か数日のこと。正しく幸運と呼んでも差し支えがないだろう。
「なるほど、分かりました。喜んで送迎の役割を請け負わさせていただきます」
「ありがとうございます」
彼女を呼び出したのは他でもない、あの白い渦こと『空間跳躍』の権能をお借りするため。
これまで何度も現場の行き来などに協力して貰っているが、本来彼女は協会の人間ですらない。
そんなお方に何度も頼るのは申し訳ないが、捜査を遅らせるわけにはいかない。
未だ目覚めていない犠牲者も多くいる。彼らのためにもいち早い事件解決を目指さなくては。
「メイディさんにもご同行をお願いします。お着替えの方もご用意しておりますので、そちらに袖を通してから特権課の車両へご案内します」
書類上は指名手配犯の護送として身柄を警視庁へ移動させることになっているため、このまま直に跳んでいくことは難しい。
護送任務に見えるようカモフラージュするのが最低限の必須条項。
よってメイディさんには車両ごと別の地域まで運んで貰うことになる。
諸々の準備を済ませ、特権課一同は専用の車両に乗り込んで出発準備を完了させる。
「ではそのまま真っ直ぐ進んでください。県警からは少しだけ離れた場所に出ますのでご注意を」
「……いつ見ても不思議な権能です」
正直なところ数名の職員を乗せた車両一台を長距離ワープさせるのは厳しいのでは? と思っていたが、そんな心配など無意味であった。
涼しい顔のまま車はあっという間に数県離れた場所へ転移。
そこからしばらく走ること数十分。目的の県警へと到着する。
「ではここからは我々の出番です。メイディさんは車内でお待ちください」
協力者には待機してもらいつつ、特権課は職務を果たすために動き出す。
手続きは特権課の権限によりもうすでにあらかた完了済み。
すぐにでも身柄の移送に移れるが、その前に容疑者と直接会い、説明などを含めた会話を行う。
県警の職員に案内されるのは留置所。そこに目的の人物がいる。
そして、我々はようやく目的の男と相対する。
「初めまして。私は警視庁から来ました警部の廻裁綺です。あなたが詐山さんですね」
「はい、自分に何か……?」
面会室の向こうにいる黒髪の優男。呟くような返事にはあまり覇気を感じない。
この男が我妻あやめの元婚約者……名は
一見すると爽やかな好青年な風体をしている。美男子の部類に入る顔だが、見た目で判断するのは早計。
こいつは元半グレかつ暴力団関係者。故に油断はしない。
私は一警察官として、目前の男がどのような人間なのかをこの目で確かめる。
「お聞きになっているかは分かりませんが、あなたはつい先日全国指名手配されました──もっとも、手配した時点でここにいたようですが」
「噂程度にはですが……。確かに詐欺に手を染めてここにいることは事実ですが、それが逮捕後に全国指名手配されるなんて。一体自分に何が起きているんですか?」
事前情報によると、十日ほど前に詐欺罪で逮捕されたばかりで、今は検察官が起訴か不起訴かを決める段階にある。
まぁそれは一蹴できる話題だ。今必要なのはこの男の本性を曝くこと。
いや、最低限集めた情報が正しいと分かる反応をしてくれればそれでいい。
「……今からおよそ一ヶ月ほど前、あなたは一人の女性から大金を騙し取りましたね? 当時の名前は『
「は……!?」
まずはジャブ。名前は伏せるが、我妻あやめの件に関係する名を上げる。
ここでいつぞやの取り調べで得た情報が役に立つ。
結婚詐欺をしていた頃の名前を出され、一瞬動揺したのを見た。
どうやら奴にとってこの話題は予想外の物であると分かる。
「な、なんですか急に。そんな勝手に別の事件と自分を結びつけないでくださいよ……」
「『
「…………ッ」
続けて取り立て屋の男からの情報を言葉に出す。
まさか裏切った組織で使っていた名前まで警察の人間の口から出てくるなどとは思わないだろう。
いきなり黙り込む詐山。この様子を見る限り、
図星。最初から分かっていたことだが、この男が犯人で確定だ。
次に事の重大さを理解してもらわなければならない。自分のしたことを知ってもらう。
「では次……179人。これが何の人数か分かりますか?」
「え、いや……」
「あなたが結婚詐欺をしたことで結果的に亡くなった人数です。多少誤解を招く表現ではありますがね」
「な…………!?」
単刀直入に今日までで判明している
バタフライエフェクトも甚だしい表現ではあるが、あながち嘘では無い。
もっともこの数字はゾーヤさんと支部の尽力によって0人にすることが出来たが、一度臨死状態に陥ったのは間違いない事実。
まさか詐欺行為を働いた結果、大量の犠牲者を生み出したと伝えられれば、どんな面の厚い人物でも唖然としてしまう。
事実、詐山の表情は豆鉄砲を食らったような……いや、それ以上の顔をしている。
「ちょ……ちょっと待ってくださいよ! 詐欺ですよ、詐欺。確かに犯罪ですけど、それがなんで大量殺人なんかに繋がるんですか!? 俺何もしてませんよ!」
「落ち着いてください。実際に殺人をしたのはあなたではありません。あくまで間接的に関与しているというだけなのであしからず」
椅子から立ち上がる詐山。一人称も本来の呼び方に戻るほど驚いているようだ。
無論この程度のアクションに慄く私では無い。ポーカーフェイスで冷静に言葉を返す。
「では本題に入りましょう。その大量殺人を犯した人物を逮捕するために、あなたに協力をして欲しいのです」
「その犯人を捕まえるために俺を……?」
「はい。だから指名手配をしてでも早急にお会いしたかったのです」
ここで何故全国指名手配をしたのか、そして何を目的としているかなどを詐山に伝えた。
全ては最悪の権能を振るう剣士、我妻あやめを止めるため……原因の一つであり要求物である奴には必ず協力してもらわなければならない。
「ちなみに訊くんですけど、嫌だって言ったらどうなります……?」
「断れると思います?」
「で、ですよね……」
私には不似合いだと分かっているからこその笑顔で応答。
すでに警視庁の管轄へ移動は決まっている上に準備も出来ている。断っても強制連行するだけだ。
この男に選択権は無い。人を食い物にするような奴には相応の禊ぎをしてもらう。
それが数少ない贖罪の方法。もっともそれで罪が軽くなるか否かは行動次第だが。
「相手は殺人犯……か。何をするかは分かりませんけど、命の保証はしてくれるんですよね?」
「勿論です。協力していただく以上、身の安全は約束します」
しかし、こんな男でも我々に守られる権利はある。警察としてそこは保証しなければならない。
仮にやられたとしても、間に合いさえすれば蘇生は可能。なるべくそうなって欲しくは無いが。
「質問等がなければ面会は終了です。この後、あなたは警視庁へと護送し、そこで諸々の準備を終えたら犯人に対する受け答えなどのレクチャーを行いますので」
「分かりました。あ、逮捕に協力したら不起訴になったりとかってあるんですか?」
「それはあなたの頑張り次第です」
詐山の質問には最低限の内容で答える。
確かに特権課の権限を利用すれば検察側の判断に関与することは可能。
しかし、それを実行するには相応の活躍をしてもらう必要がある。作戦に協力しただけでは不十分だ。
それこそ犯人の確保に直結するような活躍をしてくれない限りは認めるわけにはいかない。
幸いにも予定している作戦を鑑みるにその機会は巡って来る。
ただ、叶うか否かは──当人次第だ。
というわけで本件はこれで完了。利用価値はあるものとして、身柄を警視庁管轄の留置場へ移動させる。
本庁側の手続きを済ませると、またすぐに移動だ。
今度はこの男を聖癖剣協会の支部に連れて行く。
時間は想定よりも逼迫しているため、早い内に済ませられることはしておかなければ。
「これからどこに……?」
「申し訳ありませんが詳細な説明は到着してからお伝えします。これから行うのはあなたが考えているよりも規模の大きい物になるので、協力していただく相手方にはくれぐれも粗相の無いようお願いします」
次の行き先を気にする詐山だが、まだ詳しい説明は控えておく。
奴には居場所の特定を防止するために目隠しをしてもらっている。気になるのも仕方ない。
無論行き先が包丁メーカーの敷地内……もとい日本支部であることも伏せておくが。
そして適当な建物の中へ入り、メイディさんの権能で道のりをショートカット。
白い渦を抜けた先は支部の地下駐車場。ここから歩きで建物の中へと入館。
詐山を連れ、メイディさんの案内に従って行き着いた扉の前に立ち、ノックをする。
「失礼します。ご連絡に上がりました廻です。今回の協力者を連れて来ました。入ってもよろしいでしょうか」
「どうぞお入りください」
扉越しに挨拶を済ませ、入室許可が下りると中へ。
部屋の中には数十名にも及ぶ剣士たちが我々を待っているようだった。
「わざわざご苦労様です廻警部、特権課の皆さん。そしてようこそ、詐山さん」
「はっ、恐縮です」
「ここは……?」
出迎えてくれたのは鍛冶田支部長。特権課への労りの言葉をいただくと、詐山のことも歓迎する。
その詐山本人は目隠しを外された先に飛び込んできた光景に驚いている様子。
それも仕方ないだろう。何せここにいるのは大人や子供、国籍も問わない人々が集まっている。
それら全員の視線が集中しているのだから、気圧されるのも道理だろう。
「あ、あなたたちは? というか、ここは一体……」
「犯人確保に協力していただく以上、可能な限りの疑問にお答えしましょう。ここは光の聖癖剣協会の日本支部……分かりやすく言えば、剣を使い人知れず活動する秘密組織、と言うのが簡潔ですかね」
挙動不審な協力者の様子を察してか、支部長は我々の正体を明かす。
事を発生させた要因の一つとはいえ、身体を張って協力してもらうための誠意の見せ方なんだろう。
それが日本支部で最も権威のある人物の判断であれば、
「ひ、秘密組織ぃ……? 何言ってるんですか? 指名手配されてまで連れて来られた場所で、そんなふざけた話を聞かされて──」
「信じられないのも無理はありません。……では証拠を見せましょう。皆さん、手筈通りに」
案の定語られた事実を飲み込めない詐山。とはいえこれが一般的な反応だ。
支部長が例えに出した“秘密組織”。確かに成人の視点からすれば幼稚なワードに他ならない。
私ですらそう思うほどなんだ。稚拙と言わざるを得ない。
だがこの事実を無理矢理にでも認めてもらう必要がある。
私は何も聞かされていないが、これから行おうことは概ね理解した。念のため私も準備をする。
支部長の合図に合わせ、ここにいる剣士たちは一斉にその身分を明かす。
【
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【
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【
【
【
「ほ、本物の武器!? それもこんなに……!?」
この場にいる全員が一斉に各々の聖癖剣を抜く。
総勢二十名による聖癖剣の抜剣。連続して聞こえる聖癖の呼び声は壮観だ。
大小様々な形状をした武器の前に腰を抜かすほど圧倒される詐山。
もっとも、この音は剣に認められていない者には届かない。詐山には聞こえないのが残念だ。
「これで、我々が本物であることをご理解いただけたでしょうか? ちなみにですが、後ろをご覧ください」
【
「私も外部組織という立ち位置ではありますが、同じ剣を所持しています。暴力で私をどうにか出来ると思わないようにお願いします」
「なっ、あなたも!? マジか……」
私も抜剣の用意が出来ていることを察してか、支部長は大トリを飾る最後の一本としての役割を譲ってくれた。
少なくともこれで婦警だからと舐めきった態度で脱走などを考えたりはしないだろう。
詐欺を生業としているくらいだ。自身が置かれた状況を理解してくれるといいのだが。
「挨拶はここまでとしましょう。では早速ですが、協力者が来たので改めて作戦の概要を説明します」
「作戦? 受け答えのレクチャーじゃ……?」
「それは表向きの内容です。実際は犯人と直接会っていただき、我々に逮捕の隙を作っていただきます。それが今回の協力内容です」
支部長が再度となるであろう作戦の説明を始めたタイミングで、私は詐山に真相を明かす。
今回の作戦──詐山には我妻あやめと直接会って話をつけてもらう、これが新たに起てた作戦。
犯罪者とはいえ一般人にリスクを負わせてしまう形にはなるが、確実な逮捕を目指した文字通り決死の大作戦だ。
「ちょ、ちょっと待て! 命の保証はしてくれるんじゃなかったのか!? 何で急にそんな……」
「あなたには護衛を同行させますのでそこは問題ありません。これは我々だけでは不可能であり、あなたにしか果たせないことなのです。ご了承ください」
「そんなの納得出来るか! そもそも相手って何なんだ。警察じゃなく本物の武器を持ってる連中が相手するような奴を俺が説得って、誰なんだよそいつは!」
作戦の真実を知った詐山。表面上は落ち着いていたのが、驚きのあまり再び素へ戻っている。
私が警察の人間であることも厭わず、ジャケットの襟に掴みかかったくらいだ。今の自分自身が置かれた状況がどれほどの物なのかを理解したのだろう。
公務執行妨害になりえる事態にざわつく室内。しかし、私はそれを静かに制止して詐山の相手をする。
「詳細をすぐに説明しなかった……いえ、出来なかったのは事実。それが危険な内容であればなおさらです。申し訳ありません」
「人を騙しやがって……、ふざけんなよ! こんなことなら死んでも協力しねぇ」
怒る詐山に対して私は冷静に答える。
命の保証はすると言っておきながら、実際は危険なことをさせる……確かにここまで怒りを露わにしてもおかしくはないことだ。
だが説明に制限が課されているのは特権課の規則によるもの。
不誠実さは否めないが、何も間違ったことはしていない。それに──
「ぐあっ……!?」
「ですが“人を騙す”という点において、あなたは私以上に悪辣なことをし続けていることをお忘れ無く」
胸ぐらを掴む腕を捉え、私は詐山を逆に壁へと押しつけ返した。
ドン、という強い衝撃が室内に響く。これを見た支部の剣士たちを驚かせてしまった。
この男は詐欺師。これまで幾多の人々から金銭を騙し取ってきたその道のプロ。
故に私が奴を騙したからといって、詐山本人が被害者ぶれる理由はない。むしろどの口が言った戯れ言なのか笑ってやりたいほどである。
「では私からあなたの疑問をいくつかお答えしましょう。あなたが相手をするのは、詐欺で大金を騙し取った我妻あやめさんです」
少し苛立ちを感じていた私は、思わず怒鳴るような口調で詳細を詐山に教えることにした。
「彼女は今、危険な存在になり果てています。このまま放っておけば被害者は増え続けるだけでなく、我妻さん自身も滅んでしまう。
故に止めなくてはいけません。彼女を騙した責任……すでに一度殺害されてしまった者たちの分も含め、あなたには行動で示してもらいます。逃げることなど断じて許さない!」
ここまでの大声を出したのはいつ以来だろうか。内心の感情も露わに詐山へ怒りをぶつける。
私とて我妻あやめの境遇を他人事として処理できるほど人としての情は捨ててはいない。
剣の洗脳による殺人衝動に身体を支配され、心にも無い殺戮を行っているなんて……。一体どれほど心苦しい気持ちでいることか!
彼女が今どれだけ傷ついているか分かるまい。
……いや、理解する気もないだろう。でなければ逃走先でまた詐欺を繰り返すわけがない。
私はこの男を心底軽蔑する。だからこそ、本作戦で腐った性根を叩き直す。
人の手による因果応報の機会。死線を越える体験。
我妻あやめの苦しみを……犯した罪の重さをその身に味わわせるんだ。
「ぐ、がぁぁっ……!?」
「警部、そこまでです。これ以上は私有地でも許しませんよ」
「はっ。も、申し訳ありません。つい熱くなって……」
ここで支部長に止められ、ハッとなった。
詐山を壁に押し当てたまま、腕をきつく締め上げていたことに遅れて気付く。
私としたことが激情に駆られてしまうなんて……。
警部の階級に就く者らしからぬミスだ。すぐに詐山を解放する。
「痛っつぅ……。警察がそんなことしていいと思ってんのかよっ」
「大変失礼しました。あまりにも自己中心的な発言に苛立ったものでして」
腕を押さえて情けなく床にへたり込む詐山。
私の行動を非難するが、先ほども思った通りこの男にそれを言う資格は無い。
簡潔かつ直球で心情の言葉を露わにする。こんな男にしてやる心配はないからだ。
軽蔑にも近しい一瞥をくれてやると、詐山は床に座り込んだまま表情を曇らせる。
「……にしてもそうか、我妻あやめか。あいつ、人を殺したのか……」
流石に詐欺とはいえ婚約をした間柄。彼女のことをきちんと覚えているらしい。
しかし様子がおかしい。もっとあっさりとした態度を取るものだと思っていたばかりに、何か思い詰めるような表情となったのは意外だ。
「何か気に掛かるようなことでも?」
「別に。人生何が起こるか分からないもんだなって。今の自分含めてそれを思い知らされただけさ」
あくまでも何でも無いと言い切る詐山だが、表情は依然として暗いまま。
無論分かっている。今の言葉は建前であると。
彼女に対して後ろめたい感情があるのだろう。
それが詐欺をしたことへの後悔なのか、あるいは別の何かかは分からないが。
「……では話を戻しましょう。特権課一同、並びに協力者である詐山さんに改めて作戦の内容をお伝えします」
ここで区切りを付けたのか、支部長は説明の再開に戻る。
詐山の内心は若干気がかりだが、今はそれを気にする猶予はない。早いところ作戦を共有して本番に備える。
我妻あやめが定めた期限は残り二日。
幸運にも全ての準備を期限内に終わらせることは出来たが、まだ問題はある。
それが前回以上の力を伴って再び我々の前に現れる目標をどう撃破するか、だ。
作戦の都合上、詐山がどこまでやれるかに全てがかかっている。
これに失敗すればいくら権能回避の鎧があっても死は免れない。
もしものために用意されている臨時プランも成功を確実にするものではないからだ。
可能な限り最初の作戦で決着を付けたいところ。奇跡を願うばかりである。
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